ABOUT – The First Drop

The First Drop は、
東京藝術大学の公開講座で制作した キュレーションボックス を起点とし、
そこから、Web メディア・アートとして展開することを目指しています。

講座の最終課題は、
「自由テーマでキュレーションボックスを構想し、展示として提示すること」。
私はその自由テーマに、最近のAIのアートやビジネス、生活の中での位置づけ、
つまり、
“人間とAIの境界はどこにあるのか”
という、大きな問いを選びました。


1. ブレードランナー/PKD 原作が投げかけた根源的な問い

思想の出発点は、
フィリップ・K・ディック原作『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』、
そして映画 ブレードランナー が抱えた哲学的問題でした。

  • 人間を定義するものは何か。
  • 記憶は本物と複製でどう違うのか。
  • 感情や共感は複製可能なのか。
  • “意識”はどこで生まれるのか。

これらの問いは、AI時代の今日、
フィクションの枠を超えて現実的な問題になっています。

The First Drop の“しずく”は、
人間とは何か、意識とは何かという
PKD の問いの最初の一滴(The First Drop)を象徴しています。


2. ホーガン先生が開いた、もう一つの思想の扉 – ダナ・ハラウェイ

公開講座でホーガン先生は、
私のテーマに対してダナ・ハラウェイ(Donna Haraway)の思想を紹介してくださいました。
ここから思想はさらに深度を増します。

ハラウェイは、
人間/非人間、自然/人工、オリジナル/複製といった
二項対立を解体し、

“We are all compost, not posthuman.”
(私たちは固定された存在ではなく、混交し生成し続ける存在だ)

と語っています。

さらに彼女はこう述べます。

“It matters what stories make worlds.”
(どんな物語を語るかが、どんな世界をつくるかを決める)

PKD が投げかけた「境界の問い」を、
ハラウェイは “境界そのものの揺らぎと編み直し” へと再定義したのです。


3. 何を〈人間〉と呼ぶのか。アートとは何か。

その二つの問いが、AIとアート、そして人間そのものへ通じる。

The First Drop に通底する根本的な問いは、
突き詰めれば 「何を人間と呼ぶのか」 です。
そしてその問いは、
「アートとは何か」
という問題と切り離すことができません。

アートを生み出す主体は誰なのか。
意識や記憶、創造性は人間だけのものなのか。
AIが世界を解釈し、美を語り始める時代において、
アートはどこから来て、誰のものになるのか。

この二つの問いは、
PKD の境界問題と ハラウェイの関係論を結ぶ
一本の線として The First Drop を貫いています。


4. キュレーションボックスから

Webメディア・アートへと展開する理由

キュレーションボックスとして始まったこの作品は、
講座の展示で終わらせることなく、
Web 上で新たな形へと “しずくと波紋のように”広げてみることにしました。

  • イメージの断片(Drop Gallery)
  • 言葉のしずく(DROPS BLOG)
  • 作品同士の関係性
  • 観る側の記憶と解釈
  • AI との対話

これらが互いに響き合い、
ハラウェイのいう “becoming-with(共に生成する)”
という生態系として立ち上がります。

The First Drop は、
答えを提示するための作品ではありません。

人間・AI・アートが交わる曖昧な領域に
静かにとどまり、
その揺らぎの中で
問いが生まれ続ける場所。

それが The First Drop です。

東京藝術大学、ジェシー・ホーガン先生からの講評を再掲します。

【ホーガン先生からのコメント】
改めまして、この機会に『Art of Today / My Museum 2025 – Contemporary Art Public Lecture and Workshop at Tokyo Geidai』にご参加くださった皆さまに感謝申し上げます。皆さまの意義ある芸術的なご貢献に心よりお礼を申し上げます。
また、ArtStylic.com を主宰されているFujiiさんのサイトに掲載された作品に直接応答する形で、いくつか追加のコメントを記します。

コレクション素材を使った実験やさまざまな試みは、人間中心のアプローチとAIが生成する選択肢との間にある興味深い緊張関係を示していました。
さらに、AIによるキュレーション上の決定や提案をそのまま結論として受け入れるのではなく、批判的な姿勢を貫かれていた点も印象的でした。

過去のテクノロジー時代の興味深いオブジェを今日の最新技術と結びつけることで、ソフトウェアやハードウェアの資源がいかに日常生活や、現実と虚構に対する私たちの認識を変容させ続けているかを浮かび上がらせていました。

なかでも、RAMデータメモリーカードとフィリップ・K・ディックの人工知能に関する小説『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』を結びつけたキュレーションの工夫は秀逸で、(会話の中で生まれたアイデアから)“羊”の表紙アイコンを「RAM」にしてRAM(ランダムアクセスメモリ)カードと並べたのも巧みでした。

このアーティファクトの組み合わせにおけるもうひとつの見どころは、フィリップ・K・ディックの小説をAIで再デザインし、アートやアプロプリエーションの文脈において著作権侵害を回避する方法でした。
そして、その素材は ダナ・ハラウェイの『サイボーグ宣言』※ や、リドリー・スコット監督の『ブレードランナー』における未来像とも響き合う視点を提示していました。

この取り組みは、小説の内容やAIのテーマを参照すると同時に、Fujiiさんのキュレーションに含まれるデジタルアーカイブ資料とも呼応していました。

最終日のワークショップ展で発表された作品も興味深いものでした。それはAI生成のグラフィックが施されたプラスチックケースの中に、裁断された紙片(おそらく芸術的な課題、コード、あるいはキュレーション上の問いに対するAIの応答が含まれていたのかもしれません)が収められており、凝縮された詩的な美しさを持つアートオブジェになっていました。
この作品は作者の探究を端的に示すものであり、とても印象的でした。

総じて、作者のプロジェクトへのアプローチは、多層的かつ洗練され、非常に複雑な深みを持つものでした。
(このコメントはプロジェクトへの感謝の気持ちを表したものであり、東京藝術大学や同大学の教員を代表する公式見解ではありません。)

※作者が「ダナ・ハラウェイのサイボーグ宣言」を、作品の表現に直接取り入れていたものではなく、ホーガン先生からの新たな視点、気づきのご提供です。