MY MUSEUM

東京藝術大学 公開講座 2025年
「今日の美術を楽しむ」受講記録

MY MUSEUM

東京藝術大学 公開講座 2025年
「今日の美術を楽しむ」受講記録

学びと体験から生まれた「私の美術館」

「私の美術館」My Museum


Making Museum Displays / Contemporary Art & Curatorial Studies
Associate Prof. Jesse Hogan
& Research Assistant. Rinzo Yamashita

Assistant Artists:
Mamoru Hirata
Kazumasa Tanaka
Takumi Kurosawa
Keisi Sudo

007の真似をするお茶目な部分もある楽しいホーガン先生でした。平田さんともども大工さん?の腕前も凄いです。(photo:©k_fujii)

パーソナルで自由なキュレーションボックスの制作記録

 

Creating a Personal, Free Curation Box 
2025.8.18~8.22

 

このページは、公開講座の課題「私の美術館」という公開講座の体験を紹介する内容です。

課題の趣旨は、自分のテーマに沿ったキュレーションをボックスに行い、
「私の美術館」となるものを構築すること。
そして最後に参加者全員の作品を並べて、1日だけ、かつ講義参加者限定の「展示会」をキュレーションする、
ということを通じて、「今日の美術を楽しむ」ことを学び、体験するというものでした。

■注記
本資料は筆者個人の責任で作成したものであり、大学および教員の公式見解や公式資料を示すものではありません。
また、紹介する作品は、各作品の制作者自身の自由な創作活動としての表現です。公開講義を主催した大学や指導教授など関係者の考え方やスタンスとは一切無関係です。
本資料に関するお問い合わせは、大学や教員ではなく筆者までお願いいたします。

平田さんからボックスの脚の作り方の実演もありました。アートの展示にはDIYの腕も大事なんですね。(photo:©k_fujii)

講義の概略説明

最初の1日~2日目の午前、受講者の各自の自己紹介のあと、サポートスタッフの皆さんの作品のビデオでのプレゼンと自己紹介、そして最後にジェシー・ホーガン先生の作品のビデオでのプレゼンがありました。
これらはとても面白く、素晴らしいものでした。

その後、先生から受講テーマの説明があり、マルセル・デュシャンの「トランクの箱」といった作品の紹介などがありました。
紹介された作家は、デュシャンの他にも、「ヨーゼフ・ボイス、河原温、オノ・ヨーコ、塩見允枝子、リルキット・ティラヴァニア、ヴォルフガング・ティルマンス」、そして、V&Aミュージアムの紹介。

これらを通じて、アートにおける「キュレーション」の役割、そして、これらの作家たちや美術館が、小さな箱に、自らの作品を集めてキュレーションしている実例、等を通じて、これから取り組む課題の意味の説明がなされました。

時々、作品のことを周りの人と話しながら作業する空間は寂しさが無くて逆に楽しく集中できました。(photo:©k_fujii)

課題の概要

 

・各自が自ら自由なテーマを決めて、それを「私の美術館」として表現する箱を作る。
・それは、身近なところから集めたり、今まで作った作品や、あるいは今から作ったり、それは自由。
・最初にテーマ、コンセプトを決めて、写真を数枚、そして、何か数点、ボックスに入れたいものを持参する。
・その後2日間くらいで、さらに、いろんなものを集めたり、作りながら、箱に収めて、「私の美術館」、つまりキュレーションボックスを制作する。
最終日には、実際の展示会のように、この教室に全員の作品を展示して、全員で鑑賞する。
・展示用デスクの配置や、各自の場所決めもみんなで考えながら、一つの模擬的な(いや、もうこれは模擬のレベルではありません)展示会の空間創り、キュレーションをこの教室の中で実際に体験します。

ボックスの脚の完成に全員拍手喝采!!(photo:©k_fujii)

悩みと楽しさが同時に

 

とても面白いけれど、「ずっと何も作ってこなかった素人の私に、このような本格的な現代アートのキュレーションの取り組みなんてできるのだろうか、どんなテーマにしようか?」と、内心では頭を抱え込んでいました。

 

しかし、一方では、たった1日だけ、そして先生方と20名弱の受講者だけが参加するという模擬的な展示会、ではあるけれど、それは、紛れもなく、現代アートの展示会であり、そこに自分の作品を展示できる、という、素人の私にはあり得ないような体験ができる貴重な経験ができる機会を提供してもらえる、とてもワクワクする課題でした。

 

また、キュレーションを体験して学ぶ、という趣旨から、実際に、ボックス制作もボックスを自分で組み立てたり、足をつける場合の方法を実演で教えていただいたり(学生の皆さんが日々、取り組んでいる通りに自分で作る、という体験です)、一番メインのビジュアルとなる写真を大きく印刷して、教室内の壁に貼りだしたり、机を実際の展示会のように、どのように配置するのがいいかを皆で考えながら、並べたり、とさながら、本当の展示会づくり、キュレーション体験なのです。

 

さらに言えば、現代アートにおいては、このキュレーションボックスそのものが作品となる、という二重構造の講義であり、キュレーションと、現代アートの作品作り、という2つの実体験を5日間のなかで体験できるという、夢のような時間です。

公開講座への感想と作品の紹介

公開講座が「参加型イベントアート」になった日

The Day a Public Lecture Became “Participatory Event Art”

 

最終日に作品を展示し皆さんの前で各自が作品の説明をしていきました。(photo:©k_fujii)

公開講座が「参加型イベントアート」のような貴重な体験となった記録はこちらからご覧いただけます。(更新予定)

View the record of the public lecture — a valuable “Participatory Event Art” experience. (In preparation)

お礼の言葉

 

多くの現代アートを鑑賞する際に、
「この作品はどのようなプロセスを経て生まれたのか」と想像することがあります。
今回、私はその「制作のプロセス」を自ら体験できたことで、アートをより深く実感することができました。

 

また、参加者の方々のプランを聞いたり、制作途中の作品を見せていただいたりする空間も、
お互いに影響しあう豊かな体験となりました。
その交流を含めて、制作のプロセスはとても楽しい時間でした。

 

「楽しい」というのは、正確に言えば「苦しい楽しみ」という感じです。
理由は、他の参加者の方の途中経過を見るにつけ、圧倒されて凄い刺激を受けるため、帰宅してからでないとできないことやら、とにかく、集中して一生懸命になってしまう、という感じ。何でも一生懸命に真剣にやるというのは、「苦しくても楽しい」ものです。

 

現代アートとしての評価は別として、アートの専門家である先生やスタッフ、そして共に学ぶ参加者の方々に、

私自身が作った「私の美術館=アート」を見ていただけたことは、とても貴重な経験となりました。

 

ジェシー・ホーガン先生、サポートスタッフの皆さん、
そして一緒に参加した皆さんに、心より感謝を申し上げます。

Artstylic 編集長兼執筆者 K.Fujii

ホーガン先生やサポートスタッフ、参加者の皆さんとの交流の時間はとても楽しいものでした。(photo:©k_fujii)
(photo:©k_fujii)

Reference Video: What would an alien curate?

東京藝術大学の公開講座「今日の美術を楽しむ」の受講記録公開について

 公開の目的

公開の目的は、公開講座の楽しさや面白さをより多くの人に伝えることにあります。
アートを日常に取り入れるきっかけを広げ、また参加者の中には「一日だけで終わってしまうのは惜しい」「友人や知人にも見てもらいたい」と思う方もいるはずです。

私一人の作品では、今回の展示全体が持っていた多様な雰囲気が正しく伝わらない恐れがあります。
そこで趣旨に賛同いただいた方の中から、著作権や個人情報に問題のない作品を合わせて掲載し、記録として残しておきたいとおもいます。

しかし同時に、講座のタイトルにある「楽しむ」という行為の背後にある社会的な前提や課題を考えるきっかけにしたい、という思いも込められています。

アートを楽しむことは、平和と経済的安定を前提としています。だからこそ一見「気軽な楽しみ」として成立していますが、その陰には、アートを学び、将来を考えている学生さんや若い世代の方々、そして教育や研究の場を担う大学関係者の皆様が、この混沌とした世界情勢や地球環境の中で、これから直面するかもしれない厳しい現実もあります。

つまり、今回のネット公開は単に「面白さを広める記録」であるだけでなく、(少し大げさですが)
「アートを楽しむとはどういうことか」「その環境を社会としてどう支えるのか」という問いを共有する試みでもあります。


ネット公開と実物展示の違い

「実際に展示会を開くことこそ大切ではないか」というご意見もありました。
もちろん、実物に触れる場の価値はかけがえのないものです。むしろネット公開によって、実際の展示会でしか味わえない体験がより貴重に感じられる側面もあります。

一方でネット公開には、時間や場所の制約を超えて広く伝えられるという強みがあります。今回の試みは、両者の関係を考えるきっかけにもなるでしょう。


なぜ大学ではなく参加者が行うのか

今回は、私がフリーランスとしてネット公開のノウハウを持ち合わせていることで、外注は一切行わずに、今回参加者の一人としての個人記録として、また、ご賛同いただいた有志のご協力で取り組むことで、費用をかけずに実現しています。

このような公開は、大学にとっては著作権管理や参加者の同意確認、サイトページの制作管理など多くの負担が伴います。
そのため現実には制度的に難しい部分も多く、今まで事例が殆どないのではとも聞いていますし、今後も難しいだろうと思います。


光と影、賛否両論について

このように、新しい試みである講義の個人的なネット公開にも、必ず光と影があります。
広く知ってもらえるかもといういい効果の一方で(そこまでのアクセス数があるサイトではありませんが)、参加希望者が増えすぎて定員を超え、実際に参加できない人が増えるとかえって批判される懸念もあります。

また、こうした取り組み自体に賛否が分かれることも予想されます。だからこそ、今まであまり行われてこなかったのだと思います。今回のような試みは、こうした賛否、反感を買う可能性を想定したうえで覚悟して行わざるを得ません。
しかし、これはあくまで私個人での判断と責任による試みであり、大学関係者や参加メンバーの皆様が何らかの責任を負って関与するものでは全くありません。
大学・講師・スタッフへの批判が寄せられることは本意ではありませんので、そのような投稿や誹謗中傷などは速やかに削除させていただきます。内容に関するご指摘や建設的なご意見は歓迎します。


多様性と現代アートの本質

今回20名弱の作品が並んだ展示は、多様性そのものの驚きと称賛に値する内容でした。
多様性は人間の本質であると同時に、価値観の分断を生む矛盾を内包しています。まさにそれは現代アートが問い続けるテーマでもあります。

ただし「多様性」といっても、実際に集まった人々はすでにかなり特殊な偏りを持っているかもしれません。
このテーマで平日の5日間の講習を受けるというのは、私のような時間的余裕のある定年後のリタイア組だったり、現役の社会人や学生さんでも、アートに興味があってクリエイティブなマインドを備えた人々、であると推定できるからです。
現代の世界情勢や物価高騰といった社会状況では、「美術を楽しむ」という言葉を使うこと自体がアートに興味のない人から見れば共感を得られないような空気もあるかもしれず、アートを楽しむことは平和と経済的安定を前提とした行為でもあります。
(NHKの朝ドラ、「あんぱん」でも、主人公二人のこうした葛藤が描かれました。)

その意味で、「アートを楽しむ」という言葉には、アートで生活を立てていく学生さんや教育関係者の皆様にとって、今後避けがたい社会的課題に直面する可能性までも含んでいると感じます。


現代アートと公開行為

私の今回のテーマは「現代アートとは何か。その課題と未来を、アートとAIの関係を通じて問うこと」でした。
したがって、ネット公開に伴う賛否を受け止めること自体が作品の延長であり、むしろ完結でもあります。

つまりこの公開は単なる記録ではなく、公開という行為そのものが作品の一部であり、現代アートの実践でもあるのです。

今日の美術を「楽しむ」こと

「今日の美術」という言葉には、現代アート的な営みとともに、ファインアートそのものの今日的な姿も含まれるでしょう。
ただ今回は、キュレーションボックスという手法が現代アート的であったため、主に現代アートをめぐる課題について述べました。

しかし「楽しむ」という言葉の裏には、前述のように、さらに深い意味が生じてきた時代であると考えます。
ファインアートや応用美術、工芸などを含め、誰もが気軽にアートを楽しめる社会を維持しつつ、多様な価値観による分断を統合し、平和と人類の幸福に少しでもアートが寄与できるか。
その問いを含めてこそ、「今日の美術を楽しむ」という言葉は真の重みを持つのだと思います。


感謝とお詫び

賛同いただきご協力くださる参加者の方々、楽しく有益な経験をさせて頂いた先生方、そしてサポートスタッフの皆様に心より感謝申し上げます。
また、賛同はしていただきながらも作品内容によって公開が難しい方には、お詫びの気持ちをお伝えします。


応援とお願い

先生方やサポートメンバーの皆様には、万一この公開をめぐって賛否の声が寄せられたとしても、許容範囲に収まる限りにおいては、それはむしろ現代アートが抱えるテーマそのものに通じる現象だと考えています。
批判が予想されるからやめておこうという良識も世渡りには必要かもですが、それがために、少数の声だけがネットで氾濫し、世論の大半であるかのように誤解されるネットやSNSの問題もクローズアップされています。
今のネット社会で、良識に基づいて黙っている、ということが本当にいいのかという疑問への挑戦でもあります。

アートは常に社会との関わりの中で揺れ動き、問いを生み出すものです。
全員が賛成することなどあり得ない、というテーマこそが現代アートにおける大きな課題の一つであり、それに向かって問いを投げ続けることは職業作家を目指す人にとっての宿命ではないでしょうか。

社会を定年でリタイアした自分ができる範囲で、そんな皆様を応援したいという気持ちでもあります。
ご面倒をおかけすることが本意ではありませんが、これはアートに取り組む方々への応援とお願いの気持ちでもあります。
このネット公開が、今後の創作や教育活動の一助となれば幸いです。

もちろん、状況によっては直ちにクローズさせて頂きますので、よろしくお願いいたします。

Artstylic編集執筆 K_Fujii

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