バンクシーの光と影~賛否両論が渦巻く批判と評価


1.バンクシーは過大評価か?

今やメジャーな場所の展覧会での集客のアイコンとしても君臨するバンクシーですが、ネット記事には、「バンクシーは大嫌い」、とか、「バンクシーを安易に賞賛したり、ありがたがる人が大嫌い」「アートとしてはたいしたことがない」「過大評価も甚だしい」みたいな批判も少なからず見かける、賛否両論が渦巻く謎の「現代アーティスト(「現代アート」、というジャンルの作家、という意味です)」がバンクシーです。

実際に、バンクシーの評価アンケートを実施したという記事をみかけましたが、ほぼ五分五分(やや否定派が多いようですが)、まさに「賛否両論」に分かれる結果となっていました。
「芸術?ただの落書き?バンクシーの作品について賛否両論の意見」(Gunosy_News)

そこで、今回はバンクシーの人気や評価が果たして過大評価なのか、そのアート(特に「現代アート」)としての評価の本質を探るべく「バンクシーの光と影」というテーマでまとめてみます。

なお、ひとつだけ初めに筆者のスタンスを書いておきますが、「バンクシーのアートとしての技巧はたいしたことはない」という批判について、そこは一面的に見過ぎているのではと思います。ファインアート的な技巧とかイラストデザイン的な技巧、ではなく、メッセージに対する絵柄のセンス、どこに何を描くのか、そのポーズまで、絶妙なセンスを感じます。
技巧的には確かに、そこそこの腕のあるイラストレータさんなら、こんなものどうってことないものだ、というご指摘はわかりますが、そういう問題ではなく、以下に書くことを含めた総合的な目的に対する、「絵柄のアウトプットのセンス」の問題です。

こういうビジュアル面のセンスにおける卓越性の点は、デュシャンの泉の「サイン」に対する筆者の個人的な視点を記事にしたので、そちらもご参考にどうぞ。
「デュシャンの「泉」に潜む「無意識の美」~サインに出てしまったセンス」


1.1 「犯罪」なのに行政がアート扱いしていいの!?

「反体制的なアート」として有名なバンクシーの作品が、東京都の街角に現れた瞬間、東京都知事の小池百合子氏はそれを見たいという都民に対して公開するという措置を取りました。

「バンクシー?ネズミの絵 東京都庁で一般公開へ」(テレ朝news 2019.4.20)

東京オリンピックの準備が進む中、突如として現れたバンクシーの作品を一般公開した対応に対し、ある疑問が浮かびます。
都知事は「公共物への落書きを容認しているわけではない」としつつも、犯罪行為を一般公開したのはアートとして肯定しているように見えるが、いいのだろうか?と。(これが本当にバンクシーの描いたものかの真贋は不明のようですが。)

バンクシーの作品は、公共の場所に無断で描かれることが多く、その多くは「不法侵入」や「公共物損壊」とされる行為です。
彼のアートが社会的メッセージを持ち、世界中で評価されていることは間違いありませんが、公共の場に無断で描く行為は法的には「犯罪」。
そのような行為に対して、行政が「どちらかというと肯定的に(つまり現代アートの事例として)展示した」とみられるような対応をしたことに、果たして妥当性があるのかという疑問の声も多く上がったのです。

本物かどうかは別として、このネズミに関する記事もご紹介しておきます。

「バンクシーのネズミはなぜ傘をさしているのか? ストリートの現実主義とファンタジー」(美術手帳:文=鈴木沓子2019.4.29)

このようにバンクシーの作品は、街全体をキャンバスに、周りの風景を借景として「絵」を仕上げるので、絵の部分だけを取り外してしまうと意図がわからなくなってしまうことが多い。

こちらはバンクシーとは関係ない「落書き」ですが…ドロップシャドウまでつけてるのは犯行者のこだわりか?しかし、バンクシーのようなメッセージ性も、この場所にあるべき必然性は感じません。少しユーモラス系の落書きではあります。

この事件についての「ナルホド」と思った記事がこちら。

「バンクシーを評価する人もしない人も「落書きを消すべき」と言える理由」(note:品田遊(ダ・ヴィンチ・恐山))

「しかし、であれば、逆方向に考えることもできるはずだ。今回の騒動によって、逆にバンクシーのほうが批判されていると」

「落書きは違法だから?」

「そんな当たり前のレベルの話じゃない。公権力がバンクシーを認めてしまうことは、バンクシーのような表現をする者にとって脅威なのだ。なぜならバンクシーは『違法に』『ゲリラ的に』作品を描き出すことで体制からはみ出た表現の可能性を示し、そのこと自体を意義にしているアーティストだからだ」

「つまり、反体制的な違法行為によって成り立つアートなのに、権力サイドからお墨付きを貰っても嬉しくないどころか、逆に困ってしまうということですか?」


こういう視点に基づけば、東京都の反応は、バンクシーにとっては本当はありがた迷惑で、「犯罪だ!許せない!探し出して逮捕してもらって告訴します。消去費用を負担してもらいます!」と激怒してもらいたかった?ということになるのですが。

因みに、日本における公共物への落書きは、刑法や特定の法律によって処罰されます。具体的には、刑法第261条に基づき、「器物損壊罪」が適用されることが一般的で、この罪では、公共物や私有物を故意に損壊した場合に罰せられます。
量刑としては、次のような罰が科されるのではと推測されます。

懲役刑:最高3年
罰金:最高30万円
拘留または科料:軽度の損壊などで罰金や拘留の形で処罰されることもあります。

また、落書きの内容や状況によって、刑が重くなる場合もあります。
しかし、本人が自分が書いたと認めない場合、現行犯でもない限り実際に逮捕して量刑を貸すのは難しい犯罪です。

なお、バンクシーが影響を受けたと言われているストリートアーティストで「ステンシル・グラフィティの父」と呼ばれている「ブレック・ル・ラット」は、実際に、落書き中に現行犯で逮捕されて、正体がばれていますので、正体を隠したいバンクシーは絶対につかまる訳にはいかないでしょう。

「バンクシーが影響を受けたアーティストとは?」(翠波画廊)

正体不明のバンクシーと異なり、ブレック・ル・ラットは本名がXavier Prouであり、1951年にパリで生まれたフランス人であることがおおやけになっています。
というのも、ブレック・ル・ラットは1991年にストリートアートを制作中、警察に現行犯逮捕されて身元を調査されたからです。



なお、法律の専門家の中には、バンクシーのように作品に価値が生れて高く売れるような場合は、その描かれたものの価値が上がっているので「器物損壊」にはあたらない可能性も指摘されていますので、法律内容によっては高く売れるアーティストとして認知された場合は罪に問われない国もあるかもです。

バンクシー自身がこう語ったとされる記事もあります。
「バンクシーの実名が明らかに! 失われた20年前のインタビューで本人が公表」
(ARTnews JAPAN :TEXT BY ARTNEWS US 2023.11.22)

例えば若きバンクシーは、グラフィティは破壊行為かと聞かれ、こう答えている。

「適当にやれば違法だろうね! でも幸いにも、俺は普通では考えられないほど良い反応を得ることができた。中には、俺の作品を気に入ったという警察官もいたくらいだ。外に出て絵を描くのは、自分の権利だと思ってる」

いずれにしても、真偽不明にもかかわらず、筋金入りの現代アートファンではないであろう一般の人やマスコミを巻き込んで、このような大きな話題になってしまうところが、バンクシーのバンクシーたる所以です。

日本でも、高円寺の商店街ように落書きを逆手にとって、街の特徴として容認しているかのような場所もあります。


有名になって以降のバンクシーの作品が描かれた壁の所有者が、最初は喜んだものの、その後の対応に追われて多大な費用をかけて壁を撤去したがっているという実際の事例があります。

1.2 迷惑をこうむった住民の事例

イギリス・サフォーク州に住むギャリー&ゴーキーン・カッツ夫妻は、2021年に自宅の壁にバンクシーの新作が描かれたことを知り、最初は大興奮しました。しかし、その後、壁画の保護や保存に多額の費用と労力がかかり、最終的には壁画を撤去する決断を下したというのです。

バンクシー作品の所有者となった夫妻の苦悩。「この作品のせいで失ったものを取り戻したい」」(ARTnews JAPAN:TEXT BY DANIEL CASSADY )

カッツ夫妻はTimes紙の取材に対し、こう回答している。

「壁画がバンクシーによるものだと発覚した時は、そんな凄いことがあるなんて! と興奮しました。しかしその後、その喜びは大きなストレスに変わっていきました。バンクシーは、自分が壁画を描いた住宅の所有者がこうした負担を強いられているとは想像もしていないでしょう。時間を巻き戻せたらどんなにいいか……」

カッツ夫妻はこれまで、壁画を塗り替えようとするフーリガンや、絵の部分を削り取って売ろうと企む泥棒、壁のひび割れ、州議会議員など、この作品をめぐる数多くのトラブルに対応してきた。盗難対策として、彼らは自費で夜間警備員まで雇ってきたのだ。

そして夫妻はついに、この22トンにも及ぶ壁画を撤去するという決断を下し、1カ月かけて「12層の樹脂、グラスファイバー、5トンの鉄で補強し、40フィートのクレーンで撤去する」という大工事を行うことにしたのだ。

この事例は、バンクシーの作品が描かれた壁の所有者が直面する可能性のある現実的な問題を示しています。
最初の喜びが、後の多大な費用と労力に変わることがあるため、所有者はその後の対応について慎重に考慮する必要があります。

このエピソードは、バンクシーのアートが、光と影を持ったアートだということを物語っています。


そこで、バンクシーのアート活動において、その歴史を振り返り、次に、冒頭の、犯罪行為に触れる無許可のストリートアートという点以外にも存在する、匿名性や著作権と商業性の問題、アート技巧の評価等の多面的な視点から、バンクシーへの批判と評価について、まとめてみます。

2.バンクシーの歴史:反体制的アートの進化とメディアの反響

まず、バンクシーの歴史についてみておきます。

バンクシーは、匿名のストリートアーティストとしてその名を世界に知らしめ、反体制的なメッセージを込めたアートで現代アート界に大きな影響を与えました。
彼の活動がどのようにして広まり、どのようにして評価されるようになったのかについて、以下のように詳しく振り返ります。

2.1 初期活動とアートスタイル

バンクシーのアート活動は1990年代の終わりに始まりました。彼はイギリス、特にブリストルを拠点に活動を開始し、当初はグラフィティライターとして名を馳せました。彼のスタイルは、ステンシル技法を使用したグラフィティが特徴で、スプレーで描かれた精緻な絵柄と鋭い社会的メッセージが組み合わさっています。この技法を駆使することで、彼は公共の壁に素早くアートを描きながら、匿名性を保つことができました。

バンクシーの作品は、ただの「落書き」ではなく、政治的・社会的な問題に対する鋭い批判を含むもので、そのメッセージ性が次第に注目されるようになります。特に、戦争、貧困、環境問題、社会的不平等に関するテーマが取り上げられ、一般市民やアート界から注目を浴び始めました。

ステンシル技法は素早くイメージ通りに描けるのでストリートアートにはうってつけ。

2.2 初めてメディアに取り上げられた時期

バンクシーが最初にメディアに取り上げられたのは、1990年代後半から2000年代初頭にかけてと言われています。
具体的なメディア名や担当者については記録が不明な部分も多いのですが、ロンドンを中心としたアート情報誌や地域メディアが、彼の作品を最初に取り上げたとされています。

また、バンクシーのアートは、その強い社会的メッセージと反体制的な側面がメディアで話題になり、注目を集めるきっかけとなりました。
特に、1999年に発表された「The Mild Mild West」という作品が、バンクシーの名声を広げる一因となったとも言われています。
この作品は、暴力的な警察の描写を通じて、社会的な権力に対する批判を示すもので、ストリートアートが持つ社会的影響力を証明しました。

バンクシー「マイルド・マイルド・ウェスト」(Artpedia 近代美術百科事典)

2.3 名声の拡大とハリウッドスターたちの作品購入

バンクシーの名声は、2000年代初頭にロンドンで本格的に広まり始めました。
ロンドンでは、彼の作品が街中に現れることでメディアの注目を集め、グラフィティアートとしてだけでなく、アート全体としての重要性が認識されるようになりました。
彼の作品には、社会的・政治的メッセージが込められており、その内容が当時の世論やアート界に強い影響を与えました。

この時期、バンクシーは単なるストリートアーティストとしてだけではなく、アート界全体に対しても挑戦的なアーティストとして評価されるようになりました。
彼の作品が反体制的なメッセージを持ち、商業主義や消費社会に対する強い批判を行っていたため、アート業界やメディアの中でその存在感が大きくなっていったのです。
そして、米国ロサンゼルスで行った個展では、ハリウッドスター達も訪れて作品を購入するなどの話題になっています。

なお、バンクシーの歴史についてもっと知りたい方には、こちらの記事が年代別に詳しく解説されていて面白いと思います。
「バンクシー「世界で最も人気のストリート・アーティスト」(Artpedia 近代美術百科事典)

ブラッドピットやアンジェリーナジョリーが作品を購入した「かろうじて合法」という個展のことも紹介されています。

バンクシーは2006年9月16日の週末にロサンゼルスの産業倉庫内で「かろうじて合法」という個展を3日間限定で開催。ショーのオープニングにはブラッド・ピットなどのスターやセレブがたくさん訪れた。

「象が部屋にいるよ」という「触れちゃいけない話題」のことを指すイギリスのことわざを基盤にした展示で、この展示で話題を集めたのは全身がペンディングされたインド象だった。動物の権利を主張する活動家たちが、インド象へのペインティング行為に非難した。しかし、展覧会で配布されたリーフレットによれば、世界の貧困問題に注意を向けることを意図した展示だという。

この古びた倉庫での3日間のショーがアメリカ話題になり、美術界の関係者もこのショーをきっかけにバンクシーとストリート・アートに注目をしはじめた。美術館の有力者もバンクシーをみとめはじめ、ストリート・アート作品がオークションで急激に高騰をしはじめた。コレクターも新しい市場に殺到した。

「かろうじて合法」では、ブラッド・ピットやアンジェリーナ・ジョナリーなど映画や音楽産業の有名人も訪れ、作品を購入した。

2.4 代表作「Girl with Balloon」(風船と少女)とオークション事件

バンクシーの代表作の一つである「Girl with Balloon」は、彼の名声を確立する重要な作品です。
この作品は、少女が風船を手に持っているシンプルで美しいビジュアルを描いていますが、風船が象徴するものは希望や自由であり、それが失われることに対する警告を含んでいます。
この作品は、バンクシーのアートが単に視覚的な美しさにとどまらず、強い社会的メッセージを持つことを示しています。

さらに、2018年にはこの作品がサザビーズオークションで競売にかけられた際、落札直後に自動的にシュレッダーにかけられるというパフォーマンスが行われ、世界中で大きな話題を呼びました。
この出来事は、バンクシーがアート市場に対して抱く批判的な立場を強調するものとして、多くのメディアに取り上げられ、彼の名前が一躍有名になりました。
一方で、これが契機となって、バンクシーはさらに有名となり、価格が高騰するという自己矛盾の結果も引き起こしました。
果たしてこれは、バンクシーのの思惑と反対なのか、計算ずくなのか、今も議論はつきません。
いずれにしても、アートオークションというものの功罪について広く考えさせる事件となったことには間違いありません。

なお、この「風船と少女」という作品は、この事件後は「愛はゴミの中に(Love Is in the Bin)」という題名に改変されています。

アートの価格の不条理さについての記事はこちら

「アートの価格は不条理か?」

2.5 世界的な名声と商業化

バンクシーは、ロンドンやニューヨーク、パリなどの都市で展示を行うことで、国際的な名声を得ることになります。
特に、彼の作品が高額で取引されるようになり、その商業化が進む一方で、バンクシー自身はその商業主義に対して批判的な立場を取り続けています。
彼は、アート市場における商業化がアートの本質を損なうことに懸念を抱きながらも、その商業的成功を通じてさらに多くの人々に自らのメッセージを届ける手段としての側面もあります。

2.6 現在の活動と影響力

現在、バンクシーは依然として活動を続けており、特にCOVID-19パンデミック中には、ロックダウンの最中に病院に作品を描くなど、社会的な問題に対する関心を示しています。
彼の作品は、アートが社会問題に対する関心を呼び起こす強力な手段であることを証明し続けています。
また、商業アートギャラリーにおいて高額で取引される一方で、ストリートアートという形態を維持し続けることで、アートと社会の関係についての議論を引き起こし続けています。

このように、バンクシーは、その匿名性と強烈な社会的メッセージで、現代アート界に新たな地平を切り開いたアーティストです。
最初はロンドンを中心に活動していた彼のアートは、徐々にメディアに取り上げられるようになり、世界中に広がりました。彼の作品は、商業アート市場や既存の社会的構造に対する強い批判を込めており、そのメッセージ性と芸術的影響力によって、今後も注目され続けると思われます。

ここで、珍しくバンクシーがダイレクトなメッセージを投じたとする記事をご紹介しておきます。実際のメッセージは記事の方をどうぞ。
「覆面アーティスト、バンクシーは今何を思うのか? 再開した『バンクシー展』にみる多角的視点」
(引用:VOGUE JAPAN: CHIE SUMIYOSHI)2020年6月19日)

黒い遺影の傍に追悼のキャンドルが捧げられ、その炎は上に掲げられた星条旗を燃やし始めている。驚いたのはバンクシーが画像と共に投下したテキストだった。いつものような皮肉に充ちたニヒルなコメントでなく、正論ともいえるダイレクトなメッセージを投稿したのだ。

Stream of Banksy Effect~ストリートアートの進化と革命展 – Street Art (R)Evolution –

3.違法性以外でのバンクシーに対する批判と反論

アート、商業化、社会的メッセージに関する徹底的な議論

バンクシーの作品は、無許可でのストリートアートとしての犯罪性の問題以外にも、バンクシー特有の問題がいくつか存在します。これらに関する「批判」と「反論」についてもみておきます。

3.1 アートの商業化と高額なオークション

批判:アートの商業化と矛盾

バンクシーが高額で作品をオークションに出品し、その作品が商業的に取引される現実に対しては、矛盾を指摘する声が上がっています。彼自身が資本主義や商業主義に対して批判的な立場を取っているにもかかわらず、彼の作品が市場で高額で売られ、商業的価値がつくことは彼の意図と矛盾するのではないかとされています。バンクシーがアートを通じて社会的メッセージを伝えることが重要であるとされる中で、作品が高額で取引されることに対して商業化の懸念が生まれます。

反論:アート市場の現実と生計の手段

一方で、バンクシーの作品が商業的に取引されることについては、アート市場の現実に則った選択であるという反論もあります。アートが高額で取引されることは、市場の中で作品の価値が評価される自然な結果であり、バンクシー自身がその市場で活動を続けることで、より多くの人々に彼のメッセージを届ける手段となります。商業的な成功が必ずしもアートの本質を損なうわけではなく、むしろアートを広く社会に浸透させるための手段として機能することが理解されています。また、バンクシー自身がその商業化に対して距離を保ちつつも、アートのメッセージが広がることを重視していると考えられています。

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「1億円のゴミかアートか?アートオークションの光と影」

3.2 展覧会入場料は高い?安い?

批判:アートの普遍的アクセスの否定

バンクシーの展覧会に安くはない入場料が設定されるケースがあることについて、「アートは誰でもアクセスできるべきであり、金銭的な障壁を設けることはアートの理念に反する」という批判があります。特に、アートが商業化され、特定の社会階層にしかアクセスできない状況が生まれることに対する懸念が示されています。アートの普遍性を重視する立場からは、このような入場料の設定がバンクシーの理念に反しているという意見があります。

反論:アート制作と運営の現実的なコスト

一方で、高額な入場料が必要とされる理由については、アートの展示や運営には高額な費用がかかるという現実があります。
会場の賃貸料、スタッフの給与、作品の保管・運搬など、アートを展示するためには多くの経済的な負担が伴います。
そのため、展覧会の成功のために入場料が高額であることは理解できるという意見もあります。
さらに、高額な入場料を取ることで、より多くの人々にバンクシーの作品を届ける手段として機能する場合もあります。

なお、そもそも、「展覧会」にはアーティストの許可不要、ってご存じでしたか?
正当に入手した作品(あるいはその所有者から借りれば)さえあれば、作家自身の許可なく(つまり「非公式」とか「非公認」で)展示できるというのが今の法律なのだそうです。
バンクシーの展覧会の入場料はバンクシーには一銭も渡っていない可能性もあるということです。」(主催者以外にはわかりませんが)

「バンクシーから作家不在の“非公式シリーズ”を考える。「じつは作家本人が展覧会に関与する権利はない」
(美術手帳:弁護士・木村剛大、聞き手・文=鈴木沓子 2021.9.21)

非公式展覧会でも作品の所有者から作品を借りて展示することは法的に可能です。つまり、アーティストには展覧会に関与する権利があるわけではありません。

「作家本人には展示に関わる権利があるわけではない」とは考えもしませんでした……。だとすると、有料の展覧会で利益が出ても、必ずしもアーティスト側に還元する必要もないのですか?

木村「日本の著作権法では「最初の作品販売時点でアーティストは利益を得ている」という考え方なので、たとえ展覧会で入場料などの利益が発生しても必ずしもアーティストに支払う必要はありません。ただし、展覧会のショップで販売するグッズは展示権とは別です。

展覧会の許可は不要でも、グッズ販売はアーティストの許可が必要ってことなので、日本の著名な運営団体が行っているものは、ほぼ必ずグッズ販売しているため、実際に一切無許可の展覧会は殆どないとは思いますが。

渋谷ストリームの「ストリートアートの進化と革命展」におけるバンクシーの展示室「ROOM501」の入り口。このように多くの作品を書籍でなくインスタレーション的に体験できるのも展示会場ならでは。


また、書籍やネットで作品を見るだけでなく、インスタレーションとして雰囲気を体験できる、というのも展示会ならではのメリットです。
これを高いとみるか安いと感じるか、それは人それぞれですが、このような機会が「現代アート」と「大衆」をつなぐという役割を果たしている一面があると感じました。
また、バンクシーやバスキアという集客力の高い現代アート、ポップアート作家と並べて、同じストリートアートの作家が同時に展示されることで、一般の人にも、多様なストリートアートを知る機会ともなります。

イタリアのアーティスト「RAUL」さんのライブパフォーマンス。もちろん、主催者に呼ばれて描いているもので、無許可ではありません。

3.3 作品の自由な利用と商業利用禁止の問題

批判:覆面による作品の保護の欠如

バンクシーが覆面作家であるために著作権の実質的な保護が欠如しているとして批判されています。実名で商標権を保持していれば、バンクシーは自らの作品を不正に商品化されることから守ることができたはずであり、この決定が彼の作品の価値やオリジナリティを損なう可能性があるとの懸念が示されています。

バンクシーは自らのサイト(だと思われます)に以下のような記述をしています。

「LicensingAre you a company looking to licence Banksy art for commercial use? Then you’ve come to the right place – you can’t. Only Pest Control Office have permission to use or license my artwork. If someone else has granted you permission, you don’t have permission. I wrote ‘copyright is for losers’ in my (copyrighted) book and still encourage anybody to take and amend my art for their own personal amusement, but not for profit or making it look like I’ve endorsed something when I haven’t. Thanks.」

要するに、バンクシーの作品で勝手に商用利用はするな、でも、自分で楽しんだり改変するのは自由にどうぞ、ってことです。
法的に勝てるかどうかは別として、商標権は放棄しておらず、また、著作権も放棄しているわけではありません。

反論:アートの自由な拡張とメッセージの伝播

一方で、バンクシーの推奨メッセージでアートが自由に再解釈されたり、他のメディアで利用されたりすることを許すものであり、そのことでより広い社会層にメッセージを伝える手段となるとする意見もあります。
アートがより自由に発展し、再解釈されることを許可することが、アートの本来の役割だと考える立場です。

なお、覆面作家とは言え、勝手な商業利用には厳しい立場を取っており、訴訟を行った事例も有るようです。
バンクシーが著作権を理由に訴訟を起こした事例は数件あるようですが、有名なものは以下のような訴訟です。

「Flower Thrower」
バンクシーの有名な作品「Flower Thrower」を無断で使用した商業的な製品に関して、バンクシーが訴訟を起こしました。バンクシーは、自分のアートを商業的に利用することに反対しており、特に自分の作品を無断で商品化する企業に対しては強硬に立ち向かっています。


但し、この訴訟ではバンクシーの商標権は認められず、敗訴したとのことですが…まだこれでは終わりではない模様
「バンクシーの“商標権争い”が投げかける諸問題。知財に詳しい弁護士に聞く」(美術手帳:文=鈴木沓子 2020.10.1)

「Laugh Now But One Day We’ll Be In Charge」という猿の作品では、勝訴したとのこと。
「バンクシーが商標権侵害訴訟で勝訴。自身の匿名性を守る」
(ARTNEWS Japan:TEXT BY DANIEL CASSADY 2022.11.22)

もっと興味深い事件はバンクシーが無断で商用利用した相手の商品に対して「万引きを推奨したメッセージを発信」したという事例。

「バンクシーが万引き犯に協力を要請? ファッションブランドのGUESSによる盗作疑惑を受けて」
(ARTNEWS Japan:TTEXT BY KAREN K. HO 2022.11.21)
より引用

バンクシーは、「Attention all shoplifters(万引き犯の皆さん)」と呼びかけ、「リージェントストリートのGUESSのショップに行こう。彼らは無断で私の作品を使用した。これが許されて、なぜ彼らの服に同じことをしてはいけないのか?」というコメントを投稿した。

バンクシーは、アートが商業化されることを強く嫌い、覆面作家とは言え、商標権や著作権を強く主張する一方で、アートの自由な使用(特に非営利的な使用)には寛容な立場を取っています。日本でいえば、岡本太郎の持論と同じですね。

上記の事例のように、商業的な利益を目的とする使用については積極的に法的措置を取ることがありますので、覆面作家とは言え、無許可の商業利用はできません。

なお、バンクシーは自らの作品の真贋を見分けるための方法を提供しているようです。
それがバンクシーの作品の真贋を判定し、認証する唯一の公式機関が「ペストコントロール(Pest Control)」です。
この機関はバンクシー自身が運営しており、バンクシーの作品に対して「COA(Certificate of Authenticity)」と呼ばれる真正性証明書を発行しており、バンクシー作品の真贋を確認し、偽物の流通を防ぐ役割を担っています。

バンクシー作品購入前に知っておくべき大切なこと
「バンクシー(Banksy)作品の公式COAはこの2つだけって知ってた?」(The Art Of BANKSY)

ちなみに、前述の、シュレッダー事件で有名な代表作「Girl with Balloon」ですが、COA付きで販売しているサイトもあります。
当サイトは、バンクシー作品の販売サイト等とは全く関係ないので、敢えて販売サイトのページリンクは掲載しませんが、今日見たところ額無しの作品が「2,970万円」!…でした。

3.4 マーケティング戦略としての批判

批判:マーケティングの天才であるだけではないか

バンクシーのアートが、単なる商業的なブランド戦略に過ぎないという批判もあります。彼の匿名性、メディアの活用、オークションでの作品の演出(例えば《Girl with Balloon》のシュレッダー事件など)は、非常に計算されたマーケティング戦略であり、アートそのものの価値やメッセージに関わらず、注目を集めるための手法だという見方があります。こうした視点では、バンクシーの成功は実際にはアートの商業化を超えて、巧妙なブランディングによるものだとされています。

反論:アートのメッセージと社会的影響

一方、バンクシーの「マーケティング戦略」は、彼の社会的メッセージを広めるための手段であり、その目的は商業的成功ではなく、社会問題に対する意識を喚起することにあるとする反論もあります。彼が使用するメディア戦略やパフォーマンスは、単なる注目集めではなく、アートの力を借りて社会的な議論を呼び起こし、影響を与えることを意図したものであるという考え方です。マーケティングの巧妙さは、アートのメッセージを効果的に伝えるための手段として評価されています。

3.5 バンクシーの社会的メッセージと商業化のジレンマ

バンクシーに対する批判と反論は、彼のアート活動が社会的メッセージと商業的成功、技巧とメッセージ性、アートの普遍性と商業化のバランスにおいて複雑な問題を含んでいることを示しています。批判的な視点からは、彼の活動が商業主義やマーケティング戦略に偏っているという声がある一方で、反論の立場では、彼が行う手法が社会的な意識を喚起し、アートのメッセージを広めるための重要な戦略だとされています。
どちらの立場にも一定の正当性があり、バンクシーのアート活動が引き起こす議論は、現代アートが持つ複雑さとその社会的影響力を考える上で重要なテーマを提示しています。バンクシーのアートは、単なる視覚的な表現ではなく、強い社会的メッセージを含んでいることが、ここまで著名になった要因です。

しかし、この社会的メッセージを持つアートが、商業アート市場において高額で取引されることに対する矛盾が生じます。
バンクシーは、資本主義や消費主義に対して批判的な立場を取っていますが、彼の作品がオークションで何百万ドルで取引されることは、商業主義に対する挑戦としてどう評価すべきなのでしょうか?

先述した、「Girl with Balloon」が、サザビーズオークションで競売にかけられた際、落札直後に自動でシュレッダーにかけられるというパフォーマンスが行われた事件は、商業化されたアート市場へのバンクシーの強烈なメッセージと捉えられましたが、それと同時に、アートの商業化自体が社会問題をどのように影響するのかという深刻な問いを今でも投げかけています。

人物はCG合成です。

3.6 アートの技巧とメッセージ

批判:技巧に対する軽視

バンクシーのアートは、グラフィティという形式を多く取り入れ、独特のストリートアートスタイルで表現されていますが、その技巧に対して批判の声もあります。特に、グラフィティの技術が商業アートや伝統的な美術と比較して「簡単だ」「浅い」とされ、アートとしての技巧を軽視されているとの指摘があります。
こうした批判は、バンクシーの作品が単に社会的メッセージを伝えるだけに留まり、技巧的な洗練や深みが不足していると感じる人々によるものです。

反論:技巧よりもメッセージと社会的意義

一方で、バンクシーのアートにおける技巧はあくまで手段であり、彼の作品の真の価値はメッセージ性や社会的な意義にあるという反論もあります。
バンクシー自身がアートを商業主義や権力に対する批判として使用しており、技巧的な完成度を重視するのではなく、どれだけ強力に社会にメッセージを送れるかが重要であると考えています。
彼のアートは、商業ギャラリーや高級な美術館ではなく、公共の場で直接観客に届けられることを意図しているため、技巧よりも伝えたい内容に焦点を当てているという主張です。このため、バンクシーの作品はそのアートとしての「純粋さ」と社会的影響を重視する側からは非常に評価されています。

バンクシーのアートは、技巧や従来のアートスタイルにこだわらず、むしろその強烈なメッセージとアクセスしやすさが支持される要因となっています。

なお、バンクシーのステンシルを使ったラット作品が影響を受けたと言われるアーティストがいます。
【美術解説】「ブレック・ル・ラット「ステンシル・グラフィティの父」(Artpedia:近現代美術百科事典)

ただ、一方で、これだけの人気を呼んでいるバンクシーのアートのビジュアルには「大衆受けしやすい」「複製しやすい」「インテリアアート」にもなり得る、という特異な性質を持っており、これが計算づくである可能性も高いですが、ある意味、「ラッセン」のような「ヤンキー受け」しやすいビジュアルであるとも言えるのではないでしょうか。


その証拠に、バンクシーの作品は、例えば安価な消耗装飾品の「ウォールステッカー」としても販売されていて、人気もあります。(これらが正式に公認されたものかどうか、ちょっと不明なものもありますが…)

「ラッセン」と「バンクシー」では似ても似つかない、というお叱りを受けることは承知の上で、「ヤンキー受けするビジュアル」という共通点についてだけ、指摘しておきます。

この点は、奈良美智氏の「ラッセンとファンが共通」という指摘をした評論家に怒ったという事件に似た指摘ですが、少し違います。個人的には、奈良美智氏の女の子はディズニーキャラクターと相性は良くないと思いますが、ラッセンがディズニーとコラボしたように、バンクシーのビジュアルは、不思議とディズニーキャラ等とも相性はいいと思います。

バンクシーは一見すると「能天気」に見えるビジュアルでも、必ずシニカルな表現を含んでいる、という点がラッセンとは違う点です。一方、奈良氏の作品は、少女を描いているにもかかわらず、一見しただけで既に「能天気」には見えない、というのが独自のアートとしての価値であり、その点が、ラッセンとファンが同じだとみられることに反発されたのだと思いますが、おそらく、ラッセンのファンは、奈良作品は飾らなくても、部屋にバンクシーを飾る可能性は十分あるかなと思います。

バンクシーの描くネズミはかわいいミッキーマウスと違って街の嫌われ者の害獣である「ドブネズミ」だそうですが、ユーモラスで飾ってみたくなるようなビジュアルが多い。(バンクシーは、個人とかが複製して部屋に飾ったりするのは自由だと言っています。)


なお、日本のヤンキーにだけ受けた「ラッセン」と違ってバンクシーは「世界中のヤンキー」と「アートのエリート層」にも評価されている(批判もされていますが)という点が、全く異なりますが。

ラッセンとバンクシー~まさかの共通点発見

アート評論をしている父親が息子の部屋を訪ねたところ、飾ってある絵を見て「なぜこの2つなんだ?」と呟いた…的な画像

4.バンクシーの名前

商業化の「ブランド化」?それとも反体制の象徴?
バンクシーという名前の由来については、さまざまな憶測があります。
最も広く受け入れられている説は、バンクシーが「銀行」や「資本主義」に対する批判を込めて、名前を選んだというものです。バンクシーのアートは、消費主義や資本主義に対する強烈な反対の意を込めて描かれているため、この名前が示す象徴的な意味を指摘する人々が多いです。

一方で、別の説では、「Banksy」という名前は彼の出身地であるブリストルにある「Banksy Road」から取られたとも言われています。このような背景を踏まえると、バンクシーという名前は、単なる商業的な「ブランド名」ではなく、彼自身の社会的・政治的なメッセージとリンクしていると考えることができます。

しかし、バンクシーの名前が商業アート市場で「ブランド」として取り上げられ、彼のアートが商業化される過程を考えると、名前の商業化が彼の反体制的なメッセージと矛盾しているという批判もあります。
バンクシーが「ブランド」として認知される一方で、彼が反権力的なメッセージを発信している点は、アート市場の中でどう位置づけられるのでしょうか?

なお、バンクシーの正体についての記事はこちら

「バンクシーの正体がついに明らかに!?」

なお、前述の紹介記事「ARTnews JAPAN」にはバンクシーの実名についての箇所もあります。
「バンクシーの実名が明らかに! 失われた20年前のインタビューで本人が公表」
(ARTnews JAPAN :TEXT BY ARTNEWS US 2023.11.22)

しかしここにきて、2003年の夏に東ロンドンで開催されたバンクシーのゲリラショー「Turf War」に先立ち行われたBBCのインタビューの中で、バンクシーが自身の本名を明かしていたことがわかった。このインタビュー音源はその後お蔵入りしていたのだが、BBCは、今年7月に開始したラジオ番組「Banksy Story」の特別回で、このインタビュー音源を再編集して放送。その中で、インタビューを行った当時のBBCアート特派員、ナイジェル・レンチが、「あなたの名前はロバート・バンクスですか?」と尋ねると、バンクシーは「ロビーです」と答えていたのだ。

バンクシーの正体は未来からやってきたアーティスト!?(この画像はバンクシーとは関係ありません。)

画像は、未来のバンクシーらしき人物が登場する近未来SFアート小説「アートの未来 PartⅡ」より。

5. 商業化と社会的メッセージの葛藤

バンクシーの作品がオークションで高額で取引される一方、商業化されたアート市場で彼の作品が流通することに対する批判もあります。バンクシーはその作品を通じて社会的な問題に目を向けさせることを目的としていますが、アートが商業的価値を持つこと自体がそのメッセージを薄めてしまうのではないかという懸念があります。

例えば、バンクシーが描く作品は、公共の場に無断で描かれることが多く、そのためアートが商業的に取引されることは、アート市場の商業主義に対するバンクシーの意図に反しているのではないかという意見です。
しかし、彼がアート市場に積極的に関与し、商業化されたアート市場の中でも自らのメッセージを発信し続けていることも事実です。このように、バンクシーの活動には、商業化と社会的メッセージの葛藤がついて回ります。

まとめ

バンクシーが問いかける「現代アート」のあり方

このように、バンクシーのアートは、社会的メッセージと商業化という二つの相反する要素が交錯する、非常に複雑なものです。
彼の作品が商業アート市場で高額で取引される中、その社会的メッセージが商業主義とどう絡むのか、また、メッセージ性を持ったコンセプチュアルアートであることを存在意義とする「現代アート」が社会問題をどう伝えるべきかという問いは、今後も議論を呼び起こし続けるでしょう。

今や、バンクシーのアートは文化的に象徴的な意味を持つ一方、彼が描くアートが法的な問題や経済的な負担を生む、という「光と影」の矛盾した両面をもっている、ということが、許可を得ずに描くストリートアートとしての大きな特徴です。
また、バンクシーの匿名による活動の商業的な側面もアートとマーケティングという関係を考えさせられる部分があり、このような「光と影」を持った特殊なアーティストの活動は、その伝えようとするメッセージと合わせて、「アートとは何か?」「現代アートはどうあるべきか?」といった問いも含めて、今後もアート界だけでなく、社会全体に大きな関心を呼び続けるものと思われます。

最後に、個人的にバンクシーに一つだけ質問させてもらえるとすれば「あなたの最初の動機は何だったのか?著名な現代アーティストに肩を並べるほどの評価を得ることだったのですか?」ということです。
私の予想する答えは、「現代アートとしての評価と名声?そんなものは全く考えもしなかったさ」というものですが…


現在、「渋谷ストリームホール」で行われているストリートアート展ではバンクシーの作品の部屋がメイン展示として、多くのストリートアートを鑑賞することができます。

Stream of Banksy Effect~ストリートアートの進化と革命展 – Street Art (R)Evolution –
【期間】2025年1月22日(水)~ 3月23日(日)
【会場】渋谷ストリームホール

国内外のアーティスト 50名約100作品を展示している日本最大級のストリートアート展
Stream of Banksy Effect~ストリートアートの進化と革命展 – Street Art (R)Evolution –では、バンクシー以外のストリートアートも多数展示されていました。

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