1. 体験型アートとは何か
体験型アート(インスタレーション・アート)は、観客が作品と積極的に関わり、反応を通じて新しい体験を得るアートの形式です。
従来の絵画や彫刻が視覚的な印象を中心としていたのに対し、体験型アートは観客の行動や反応によって作品自体が変化します。
このインタラクティブな要素が、アートと観客の間に双方向の関係を生み、観客を「鑑賞者」から「作品の一部」へと変化させます。
テクノロジーの進化によって、作品が観客の動きや声、表情に反応することも可能になりました。
現代では、インスタレーションはインタラクティブ・アートと融合し、視覚・聴覚・触覚など複数の感覚を刺激する没入型体験として発展を続けています。
2. スノビズムと体験型アートの誤解
こうしたアートが広がる一方で、「美しい映像体験」や「驚きのある展示」を、単なるアミューズメントや子ども向けエンタメとして片付けてしまう、いわゆるスノビズム的な価値観も根強く存在します。
彼らにとって「大衆にわかりやすいアート」は、芸術的価値のないものと見なされがちです。
しかし、アートが一部の富裕層の資産や象徴でしかなくなるとき、それは「仮想通貨のような分類ラベル」にすぎなくなってしまいます。
一方で、インスタレーションも、視覚的快楽を追い求めるだけでは、3Dテレビが一時的なブームで終わったように、早晩、社会から飽きられる運命を避けられません。
現代アートはすでに、「何を表現するか」という思想的な革新性の上に成り立っています。
けれども、その思想性が形式化し、感性との往復を失ってしまったことが、今日の現代アートの限界として見えてきています。
これまでの現代アートは、「大衆的な感性だけではわからない知的な文脈こそが重要」としてきた側面がありました。
しかしこれからのアートは、「感性を導入にして、興味をひき、知性を呼び起こし、そして再び深い感性の揺らぎを起こすこと」こそを研究し、新たな方向へ進化すべきだと思います。
感性と知性の往復運動によって、観る人の中で静かに生まれる思考の連鎖こそが、アートの未来を形づくるのではないでしょうか。
3. ピンク・フロイドが切り開いた「体験する音楽」
体験型アートの概念を、音楽分野で先取りしていたのがプログレッシブ・ロックバンドのピンク・フロイドです。
1960〜70年代、彼らは音響・照明・映像・ステージ演出を融合させた総合芸術的なコンサートを展開し、観客を没入させる体験を提供しました。
「ダークサイド・オブ・ザ・ムーン」や「アニマルズ」ツアーでは、巨大なスクリーンと立体音響を駆使し、音楽と映像が一体化した新しいアート体験を実現しています。
観客は音に包まれ、光に浸り、まさに作品の中にいるような感覚を味わいました。
ジミ・ヘンドリックスのギター燃焼や、ELPのキース・エマーソンによるキーボード破壊、デヴィッド・ボウイの宇宙的演出なども、当時の「ハプニング・アート」的要素を含んでいました。
その流れをドーム級のスケールに拡張したのがピンク・フロイドです。
彼らの影響は、後のコールドプレイや松任谷由実のコンサートにも受け継がれ、今日の体験型ライブ演出の原点となりました。
4. チームラボ:体験型から参加型へ
現代においてこの流れを引き継ぎ、さらに発展させたのがチームラボです。
彼らの作品は、最新テクノロジーを駆使して観客の動きや触れ方を作品に反映させる、体験型かつ参加型アートへと進化しました。
スノビズム的な批評家からは「インスタ映えのエンタメ」と揶揄されることもありますが、むしろエンタメとの境界を曖昧にすることこそ、社会に影響を与える新しいアートの条件ではないでしょうか。
アートとエンタメは対立するものではありません。むしろ、エンタメは、アートから派生して生まれてきたとも言えるもののはずです。
深い思想を軽やかに伝えるためにエンタメの手法を、逆輸入のように現代アートの手法、思想に取り入れることは、現代アートの自然な進化形(先祖返り、退化ではありません)であり、「浅い体験に見えて深い構造を持つ」ことが次世代アートの鍵になると思います。
ただ、チームラボやラッセンは、まだその域には達していない、あるいは、そんなことを、そもそも追求していない、という批判なのであれば、それはそうかもしれません。
しかし、だからといって、ひとくくりに「くだらない」と切り捨て、大衆を見下すような批判は、実は、自分たちをも同じように否定することにつながるだけではないでしょうか。
5. ラッセンとチームラボ──同位性の再考
チームラボの評価を語るとき、しばしば引き合いに出されるのがラッセンです。
どちらも「ビジュアルの美しさ」や「光と色彩の幻想性」を通じて多くの観客を惹きつけており、現代アートの文脈からは「大衆的エンタメ」として軽視されがちです。
ラッセンが特に熱狂的に受け入れられたのは、アメリカではなく日本でした。
1980〜90年代の日本では、バブル経済期の「癒し」や「リゾート」への憧れが、彼の描くイルカや海の世界と重なり、国内で爆発的な人気を生みました。
一方で、チームラボはグローバルな視点で評価を得ており、アジアや欧米の主要都市で展覧会を開催し、国際的なアートマーケットや評論界にも受け入れられています。
この対比はとても興味深いものです。
ラッセンが「日本的感性の大衆化」を象徴する存在だったのに対し、チームラボは「テクノロジーによる感性の国際化」を体現しています。
どちらも、視覚的な快楽の奥に理屈を超えた癒しや共感を喚起する装置として機能している点で、異なる時代・異なる文化圏における同位的な現象だと言えます。
ラッセンは国内で“癒しの象徴”として、チームラボは世界で“没入の象徴”として存在しています。
どちらもアートエリートからは批判されがちですが、その「わかりやすさ」ゆえにアートをより多くの人に開いたという点で共通しています。
そしてここで強調したいのは、「再評価すべき」ということではありません。
むしろ、アートエリートほど、これまで単に批判し、忌み嫌ってきた態度を改め、視点を変えて“研究する態度”へ転換すべきではないかということです。
あなた方の価値観で高く評価しろとは言いません。嫌いで結構です。
ただ、これだけ多くの人々を惹きつけている現象を、感情的に否定するだけでよいのでしょうか。
チームラボを楽しむ人々は、現代アートのファンより、おそらく何倍もの規模に上るでしょう。
その大衆を「感性が浅い」とひとまとめにしてバカにする――
その態度そのものが、アートの存在意義を狭め、世界との対話を閉ざしてしまうのではないでしょうか。
こうしたエンタメ的な表現にこそ、「デユシャンから始まった一つの時代」を終えつつある「現代アート」の、これからのあり方を見直すためのヒントが隠されている気がします。
既に、現代アートの「アートワールド」も富裕層とアートエリートのためのエンタメの場、といえなくもないですが、つまり、そういう分断的な構造を良しとするのを、この危機的な時代においては、もうやめましょう、ということです。
6. まとめ
体験型アートは、観客とともに変化し続けるアートです。
ピンク・フロイドが音楽で体験を拡張し、チームラボはテクノロジーで社会化し、ラッセンは大衆的感性を可視化しました。
これらはいずれも、アートワールドの中心からは「通俗的」「商業的」として「批判」というよりも、文脈の外にあるものとして「無視」されてきた表現です。
しかし、こうした「無視」されているクリエイションが、実は大衆の中に少しずつ、アートへの興味を広げるきっかけを作っているのかもしれません。
大衆が「なんとなく美しい」と感じる瞬間、その背後には、まだ言葉にならない感性の芽が存在しています。
アートの未来は、そうした「大衆」という言葉でひとくくりにされている「現代アートになど、これっぽちも興味が無い」という人たちにもある、小さな芽をどう育て、知性へと結びつけていくかにあると思います。
スノビズム的な価値観は、もし世界が平和で、地球温暖化も止まり、人々がゆとりの中で芸術談義を楽しめる時代であれば、どうぞお好きに、と言って差し上げたいところです。
しかし、現実はそうではありません。
エリートがエリート同士だけで楽しみ、大衆はインスタ映えすることだけで満足し、そして分断は深まり、その結果が今の人類滅亡の危機ではないのか、ということです。
今こそ、価値観の分断を対話と相互理解で埋めるきっかけとなるような、感性と知性の往復運動を促すようなアート作品こそが評価されるべき時代になっているのではないでしょうか。
高みに立つことではなく、同じ地平で、同じ不安や希望を見つめ直す想像力が求められています。
それこそが、アートを“選ばれた人の言語”から、“誰もが語れる対話”へと開いていく力になるのだと思います。
体験型アート(インスタレーション・アート)とは
体験型アートは、観客が作品と積極的に関わり、反応を通じて新しい体験を得るアートの形式です。
伝統的な絵画や彫刻が観客に視覚的な影響を与えるのに対して、最近の体験型アートの多くは観客の行動や反応によって、作品自体が変化します。 このインタラクティブな要素が、アートと観客の間に双方向のコミュニケーションを生み、観客はただの鑑賞者ではなく、作品の一部となる体験をすることができます。
テクノロジーの進化で鑑賞者の影響を作品に反映させやすくなった現在では、インスタレーションは、インタラクティブ・アートと合体したものが主流になりつつあると言えます。
体験型アートは、視覚、聴覚、触覚など、さまざまな感覚を刺激することが特徴です。 これにより、アートの鑑賞方法が大きく変わり、単なる視覚的な美しさを超えて、感覚的で没入感のある体験を提供することが可能となります。
こうした中でも、ビジュアル的に美しいとか、驚きがあるといった、アミューズメント、エンターテイメント的なものは、「スノビズム」的な価値観の人からは、「現代アートを意味が分からない、くだらない、と否定する人は、そういうお子様インスタレーションでも見て喜んでいればいいだろ」みたいに言う人もいます。
個人的には、スノビズムアートに未来はないと考えていますが、残念ながら、そういう価値観の人もアートワールドには少なからずおられるようです。
「大衆」にわかりやすいものには、アートとしての価値なんかない、と言う考え方です。 ここでいう「スノビズムアート」というのは、富裕層が資産を守るための、一種の仮想通貨の「分類ラベル」のようなものに過ぎません。
スノビズムにありがちなことは、大衆を集めてイベントを行うインスタレーションは、その内容を吟味せずに、何でもかんでも、子どもの遊園地と同じ、という分類ラベルをつけてしまう傾向があるということです。
但し、インスタレーションにも、テレビから3D機能がなくなったように、単に美しい新体験のビジュアルということだけを追求していくと、いずれ「社会から飽きられてしまう」という宿命を負っています。
今後は、テクニカルな革新性だけではない、「何を表現するのか」が問われると思います。
それは、マンガやアニメがただの面白い娯楽もあれば手塚治虫の「火の鳥」のような哲学的な作品も生まれたように、インスタレーションも、いずれ、単なる表現手法の革新性から「表現するテーマ」の革新性があるかどうか、が「アート」と呼ばれるかどうかを左右するようになるでしょう。
ピンク・フロイドと体験型アート
一般的には「アート」という分野で評価されて取り上げられることはあまりみかけませんが、体験型アートの先駆者とも言えるのが、プログレッシブロックバンドの「ピンク・フロイド」です。
ピンク・フロイドは、1960年代から1970年代にかけて、その音楽と共に革新的なコンサート体験を生み出し、まさに体験型アートを先取りしていました。
彼らの伝説的なコンサートツアーは、単なる音楽演奏にとどまらず、音響、照明、映像、そしてステージの演出が一体となった総合芸術的な体験を観客に提供していました。
もちろん、ピンクフロイドだけがいきなりこのようなコンサートを突然に始めたという訳ではなく、彼らも含めてアートロックと呼ばれるムーブメントのミュージシャンたちのコンサートでは様々なライブパフォーマンスの試みは始まっていました。
舞台の演出だけでなく、ギターを燃やしたジミヘンドリックスや、キーボードにナイフを突き立てて破壊した、ELPのキースエマーソン、サイケな衣装を着て歌ったジェネシスのピーターガブリエル、宇宙人を演じたデビッドボウイなど、今から見れば、「ハプニング・アート」的なパフォーマンスだったとも見ることができます。
そうした流れの中で、一部のアートロックやコアなバンドのファンだけが集まるコンサートの規模から、今のドームツアーのような巨大な規模にまで発展させたさきがけがピンクフロイドでした。
特に「ダークサイド・オブ・ザ・ムーン」ツアーや「アニマルズ」ツアーでは、巨大なスクリーンを用いて映像と音楽が同期し、視覚と聴覚が融合した新しいアートの形が生まれました。 観客は音楽と映像が織りなす世界に没入し、感覚全体でその演出を体験しました。
これにより、ピンク・フロイドのコンサートは単なる音楽イベントを超えて、まさに体験型アートの先駆けであったと言えるでしょう。 このようなコンサートの演出は、後の体験型アートの方向性に大きな影響を与え、音楽とビジュアルアートの融合を目指すアーティストたちに多くのインスピレーションを提供しました。
今では、巨大なドーム会場を使うようなロックバンドやポップアーティストのコンサートでは、こうした演出が盛んに行われています。 世界的に人気のコールドプレイの公演や、日本のミュージシャンでいえば、松任谷由実のコンサートなども毎回、趣向を凝らした体験型アートとも言えるような演出が人気です。
チームラボの体験型アートは参加型アートに進化
体験型アート、現在では「インスタレーション・アート」と呼ばれていますが、この分野で特に注目されているのが、チームラボです。 チームラボの作品は最新のテクノロジーを活用して、インタラクティブな仕掛けも豊富に用意し、体験型かつ参加型のアートとなっています。(最近の盗用問題での訴訟の件はここでは触れませんが)
スノビズム的な人からは、「体験型のエンタメ」であって、「アート」とは呼べない、と言われることも少なくないかもしれませんが、筆者は、新時代のアートは、エンタメとの境界が薄まっていくものほど社会に影響を与えて評価される可能性がある、と考えています。
また、チームラボの人気は、ラッセンに似ている、といった指摘もあり、現代アートの文脈から外れているという視点から、ラッセン同様に、現代アートの本流のエリートの人たちからは、」見下されている、といった状況です。
「インスタ映えすればいいじゃん」みたいな人達に支えられている人気って、それは現代アートの文脈で勝負している人たちから見れば、「あんなものと一緒にしないでくれ」といった感情になるのも理解はできます。
一応、こういう評価に基づけば、チームラボ側は「アート」と称していていても、現代アートの本流の人たちからは「ただのエンタメ」と言われるのです。
そして、「チームラボが好きな奴は、部屋にラッセンでも飾っておけ」なんて言われたりしています。
でも、現代アートも、見方を変えれば、アートエリート同士の知的な謎解きのエンタメ、です。
エンタメは、アートから派生し、「大衆が感性だけで楽しめる低俗なもの」とスノビズム的なアートエリート層から卑下されてきた部分がありましたが、しかし、個人的には、むしろ、これからは、「現代アート」が生き残っていくには、大衆の喜ぶエンタメにこそ接近する必要があるとさえ思っています。
もう、既に一通りやりつくされた感のある現代アートの殻に閉じこもっているより、一見「浅いエンタメ」と思わせながら「深い重層的なコンセプト、思想を忍ばせる」みたいな方が、むしろ、より現代アート的アプローチじゃないでしょうか。
そうしたひとつの形態が、こうした大衆参加型のインスタレーションイベント(こういうイベントを全て「アート」と呼ぶ必要はありませんが、内容如何では、「アート」として評価される時が来るでしょう)ではないかと考えます。
チームラボのコンセプトや手法の現代アート的な評価はさておき、ですが。
エンタメが全て低俗と言ったところでそういう人も一緒に崖から落ちる時代だ
歴史
チームラボは、2001年に東京大学と東京工業大学の大学院生5名によって設立されました。
創業当初は、WEB開発やレコメンデーションエンジンなどの独自技術を活用した製品開発に加え、デジタルアートの制作にも取り組んでいました。
アート、デザイン、テクノロジー、エンジニアリングなどの多様な分野から集まった専門家たちは、旧来のアートの枠を超えた新たな表現方法を模索し続けました。 その結果、初期からインタラクティブで没入感のあるアート作品を発表し、特にデジタル技術を駆使した空間展示が注目を集めました。
2000年代の終わり頃から、チームラボは日本国内外で広く認知され、世界各地の美術館やギャラリーで展示を行いました。 代表的な展覧会には、「チームラボボーダレス」や「チームラボプラネッツ」などがあり、特に「チームラボボーダレス」は、2018年に東京のお台場に開館したインタラクティブアートのミュージアムとして注目を集めました。
また、チームラボは、商業施設や公共空間にも作品を展開し、アートをより多くの人々に届けることに注力しています。 こうした取り組みが、観客との新しい関係性を築く一助となり、世界中で高く評価されることになりました。
重要人物
チームラボの創設メンバーの一人であり、リーダーとして知られる人物は猪子寿之(以下、敬称略)です。
猪子は、チームラボの創設において中心的な役割を果たし、同時にアート、テクノロジー、デザインの融合に対するビジョンを提供しました。
彼のリーダーシップのもとで、チームラボは技術を使った表現の新境地を切り開いてきました。 猪子は、技術者でもあり、アーティストとしても活動しており、アートの枠にとらわれない自由な発想でプロジェクトを推進しています。 彼はまた、企業としてのチームラボを創造的に率い、独自の価値観とアートへのアプローチを構築しています。
チームラボの他のメンバーはそれぞれ、プログラミング、デザイン、エンジニアリングの専門知識を駆使して、チームラボのアートの技術的な側面を支えています。
展開と影響
チームラボの作品は、通常の美術館展示にとどまらず、企業イベントやコンサート、公共アート、テーマパークのような大規模なインスタレーションでも展示されています。
これにより、アートはより多くの人々にアクセス可能となり、インタラクティブな要素が強調されています。
また、チームラボは世界中の国際的なアートフェスティバルや展覧会にも参加し、国際的な評価を得ています。 特に「チームラボボーダレス」や「チームラボプラネッツ」のような常設の展示は、観客に新しいアートの体験を提供し、アートとテクノロジーの未来を切り開く重要な役割を果たしています。
チームラボのアートは、観客とのインタラクションや環境との関係を重視しており、アートそのものが常に進化し続けるという特徴を持っています。 これにより、観客がただの「鑑賞者」ではなく、作品の一部となる体験が提供され、アートの新しい可能性を広げています。 なお、「チームラボ」という名前に「アート」というワードを使っていない意図は不明ですが、個人的には、それがかえって「アートとは何か?」という議論を超えた存在っぽくて、良い名前だと思います。
まとめ
体験型アートは、観客がアートと積極的に関わり、作品が観客の行動に応じて変化することで、まったく新しい体験を提供します。 この新しい形態のアートを体現するのがチームラボであり、彼らの作品は、テクノロジーとアートの融合を通じて、未来のアートの可能性を切り開いています。
スノビズム的な価値観では、子どもの遊園地と同じ、と言うラベルをはられがちですが、アートの本質が、見る人の「心の揺らぎ」を生むものだとすれば、こうした大衆の感性を揺さぶる手法には、「感性と知性をつなぐ」未来のアートのあり方のヒントがあると思います。
体験型アートを切り開くチームラボの取り組みの先にある、エリートと大衆をつなぐ未来のアートの世界をSF小説にしました。 「現代アートの課題をテーマにSFアート小説をAIに書いてもらう」
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