NOT ART:アートとノンアートの境界に光をあてるキュレーション

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アートはラベルで社会に現れる

「アート」と「キュレーション」の関係は「薬」の効能書き

アートは「作品そのもの」として存在しているのではありません。
社会の中で「これはアートである」とラベルを与えられることによって、はじめて人々にアートとして認知されます。

その最も典型的で確実な行為が展示です。展示とは単に作品を並べることではなく、キュレーションそのものです。
展示されることで、作品には「アート」というラベルが付与され、解説やコンセプトという「効能書き」が添えられます。
薬が成分そのものではなくラベルと効能書きによって社会に受け入れられるのと同じように、アートもまた展示=キュレーションによって社会に現れるのです。

批判や嫌悪の根本にある固定観念~「アート」というラベルの功罪

それではなぜ、現代アートはこれほどまでに批判や嫌悪を招くのでしょうか。
その背景には、人々の中に根強く存在する無意識の固定観念があります。

「アートとは、感性だけでわかるものにラベルを貼るべきだ」

美しいと感じる、感動する、直感的に理解できる──それがアートであるはずだという思い込みです。
ところが現代アートの多くは、感性だけでなく知識や文脈、社会的背景を必要とします。
この「理解の難しさ」に「アート」というラベルが付けられた瞬間、人々は違和感を抱き、反発し、時に強い嫌悪を示すのです。

「現代アート」という呼び名そのものも、本来は中立的な時代区分の用語でした。
けれども社会の中では「理解できないのにアートとされるもの」というイメージと結びつき、結果として批判や嫌悪を増幅する「悪手」となってしまった面があります。

境界にこそ届くアートの光

とはいえ現代アートは決して無意味ではありません。
むしろ「アート」と「ノンアート」の境界に立つ人々──デザインやエンタメ、サブカルチャーのクリエイターたち──にとっては強く響いてきました。

彼らは現代アートの挑発や実験性を、自分の活動の中に取り込みます。
そしてその影響は、大衆文化や日常生活にまで浸透していきます。

つまり、アートを嫌う人や批判する人でさえ、無意識のうちにその影響を受けている可能性があるのです。
現代アートが光を放つのは、直接的にではなく、境界を経由することで社会へと広がっていくのではないでしょうか。

境界の「NOT ART」の事例

このことをわかりやすく示すのが、いくつかの歴史的な事例です。

  • ロックコンサート
     1960〜70年代のライブは、照明や映像を駆使した総合的な体験でした。今日「インスタレーション」と呼ばれる表現を、エンタメはすでに先取りしていたのです。
  • ボブ・ディラン
     彼の歌詞は詩として文学的評価を受け、ノーベル賞に結びつきました。音楽と文学の境界を横断することで、芸術表現のあり方そのものを拡張しました。
  • アルバムジャケット
     ビートルズ『サージェント・ペパーズ』や、アンディ・ウォーホルによるヴェルヴェット・アンダーグラウンドの「バナナ・ジャケット」は、デザインをアートに接続しました。音楽アルバムを「総合芸術」として提示する試みは、この時代に一気に花開きました。
  • ジョンとヨーコ
     二人の出会いそのものが、ヨーコの前衛アート展示を通じて実現しました。その後の『イマジン』は、音楽を超えて平和の象徴として世界に広がりました。展示という場が、音楽と社会を結びつける契機となったのです。

これらはいずれも「アートのラベル」が付与される前に社会を動かしていた「NOT ART」の典型例です。

アートスクール的背景と必然性

さらに注目すべきは、多くの境界の表現者がアートスクール出身だったことです。
ジョン・レノン、ボブ・ディラン、ブライアン・イーノなど、彼らは美術の教育を受け、アートの言語を知っていました。

だからこそ、それを音楽やデザインに翻訳できたのです。
アルバムジャケットにアート作品やポップアートを取り込むのは偶然ではなく、必然的な選択だったのです。

無力さと意義の両立

アートには、戦争を止めるような直接的な力はありません。
しかし、それはアートが無意味であることを示すのではなく、むしろその意義を際立たせます。

アートは即効性のある「武器」にはなりえない。
けれども、人々の想像力を刺激し、議論を呼び起こし、社会の空気を変えていく。
「武器にはならないが光にはなれる」──その遠回りな作用こそが、アートが社会に必要とされ続ける理由なのです。

結び──ラベル付けの二重構造を示すこと

これまでの展示=キュレーションは、ほとんどの場合「ART」というラベルを与えることに偏ってきました。
その結果、「感性でわかるものがアートである」という固定観念を刺激し、批判や嫌悪を生みやすくしてしまったのです。

そこでArtstylicは、あえて「NOT ART」というラベルを掲げます。

  • 「ART」として展示される作品と、
  • 「NOT ART」として境界にある表現とを、

同時に提示する展示=キュレーション
それによってラベル付けの二重構造を可視化し、境界から広がる光を社会に示していくこと。

これがArtstylicの試みる、新しい「NOT ART4.0」の時代のキュレーションのあり方だと考えています。

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