アートには二面性があり、重いテーマを扱うアートというものがあります。
この分野のアート、特に現代アート等は、その重くてダークなテーマゆえに、なかなかインテリアとして飾りづらい、というものが大半です。そんななかで、「ARTSTYLIC」が特に注目する日本が誇る天才芸術家が岡本太郎です。
なぜなら、岡本太郎の作品は戦争や死という重くてダークなテーマを扱いながらも、インテリアアート(生活空間や公共空間に装飾的にも飾れる)としても成立するという稀有な作家だと思うからです。
実際に渋谷駅には「明日への神話」という原爆が描かれた巨大な絵がパブリックアートとして飾られています。
また、岡本太郎の絵画作品などは技巧面でそれほどのものではない、とか、マンネリの時代があると批判されることがあります。しかし、これらの批判は一面的には妥当かもしれませんが、時代を超えて人の心に響いたという事実から、岡本太郎の本当の価値はそこにはありません。
絵画技術の技巧の問題やマンネリと言われる作品も含めて、後世まで人の心に響くものを残した「岡本太郎」という生き方そのものが現代アートだったと言えます。
このような、インテリアアート的にも成立する作風は、岡本太郎自身が「芸術は生活の中にあるべきだ」という考えから、アートを日常生活と切り離すのではなく、むしろ空間や生活の一部として楽しむことを提唱したこととも大きく関係しているものと思いますが、「ARTSTYLIC」のサイトポリシーそのものであり、この人に触れない訳にはいきません。
1.批判と賞賛の理由 ~ 最高傑作アートは「岡本太郎」
岡本太郎が受けた批判とその理由
岡本太郎は、その独自の芸術観と挑戦的なアプローチで、特に戦後日本の美術界で数多くの批判を受けました。
彼の作品は、当時の芸術界の保守的な価値観や、社会的な常識に反するものが多かったため、理解されにくかったのです。以下では、彼がどのような批判を受けたのか、具体的な事例を挙げて説明します。
1.1 伝統的美術アカデミズムへの反発
岡本太郎の作品が受けた最初の批判は、伝統的な美術アカデミズムに対する反発から来るものでした。戦後の日本では、西洋美術の影響を強く受けたモダニズムや抽象表現主義が支配的であり、これが多くの美術家たちにとっての「正当なアートの方向性」とされていました。しかし、岡本太郎はこの主流から逸脱し、アートを「自由な自己表現」として捉えました。
岡本は、伝統的な日本の絵画や西洋美術の形式に囚われず、民俗芸術や縄文文化、さらにはシュルレアリスムの影響を受けながら、自己のアートスタイルを確立しました。この独自のスタイルが、当時の保守的な美術界では理解されず、「異端」と見なされることが多かったのでしょう。
1.2 前衛的な姿勢とその孤立
岡本太郎は、アートを常に「常識」を疑うものとして捉え、「芸術は爆発だ」という名言に代表されるように、従来の美術界の枠を打破しようとしました。彼のアートは、社会的な問題を扱いながらも、非常に挑戦的な表現方法を取っていたため、当時の前衛アートに対する批判が多く寄せられたようです。
特に、岡本が表現したエネルギッシュなアートスタイルが、当時の美術界における静的で内省的なアート潮流に対してあまりにも激しい衝撃を与えたからかもしれません。岡本太郎の作品は、爆発的な色使いや象徴的な形態が特徴であり、それが時に「過剰」や「不安定」と見なされたのでしょうか。
1.3 商業性と大衆文化への積極的な関与
岡本太郎は、アートをエリート層にだけ享受されるものではなく、社会全体に開かれたものとして捉えました。
この姿勢は、彼がテレビ番組に積極的に出演し、アートや芸術観を広く一般に向けて発信したことに見られます。
岡本の意図は、アートをエリートのものではなく、大衆が楽しめるものにし、社会全体を活性化させることにありましたが、こうした芸能人的な活動が一部の美術批評家から批判されたのかもしれません
また、岡本が手掛けた大型の公共アート作品《太陽の塔》や《明日の神話》などは、その巨大さや公共性から、「商業主義的」だと批判されることがありました。
このような作品は、純粋なアートの域を超えて、「文化の商業化」を象徴するものとして、アート界の保守派から疎外される原因にもなったようです。また、彼が積極的にメディア出演し、大衆向けに自身のアート観を発信したことも反発を買うのには十分な行動だったと言えそうです。
1.4 批評家や同時代のアーティストとの対立
岡本太郎は、自己のアート観を強烈に主張し、時に美術界の権威に対しても遠慮しなかったようです。
彼は、芸術が特定のグループや批評家によって独占されるべきではないと考え、アートの自由を擁護しました。
しかし、この姿勢が彼を美術界の主流から孤立させたものと思われます。
特に、岡本が美術界の「内輪」の論理に反発し、アートを独自の哲学に基づいて表現し続けたことが、多くの批評家や同時代のアーティストとの対立を生んだのでしょう。彼の率直で挑発的な発言や行動が時に誤解を招き、「芸術家としての品位に欠ける」といった批判を受けがちだったのかもしれません。
1.5 作品ごとの批判の意義
こういう行動への反発の一方で、作品ごとの批判は一つの視点として意義はあります。
批評家がその時々に客観的な批判や、思想の違いから批判を下すことで、それに対する反論や新たな作品の誕生が次に繋がることであります。
現時点でこれらを俯瞰できる私たちは、岡本太郎が直面した批判の中で、これがどう彼の次の作品に影響を与え、さらなる芸術的成長を促したかを考慮すべきです。
岡本太郎のように、批判を受けながらも一貫して自らの哲学を貫いたアーティストは少なからず存在しますが、岡本太郎も、そうした姿勢こそが彼を後世において再評価させる要因となったとも考えられるからです。
こうした反骨精神の塊のような作家というのは、批判もモチベーションにできる精神力を持っている人たちですが、身近な人たちの話を読んでみると、こうした批判を安穏と受け流している鈍感な人ではなく、それらも覚悟の上で闘っている、という方が近かったようです。

©Eric Akashi – stock.adobe.com
「太陽の塔」の背中側。内部は入ったことはありませんが、今でいえば、さながらインスタレーションのような空間。「燃やしてしまえ」とまで批判されたらしい独特のこの造形、AIが進化してもゼロからこれと同じものは生み出せない気がします。ある意味、人間のクリエイションの凄さを感じさせてくれます。
2. 岡本太郎が受けた批判の事例とその理由
岡本太郎の作品には、アートの理念やメッセージ性が強く表れている一方で、その技術的な面に対する批判も少なくありません。
特に、彼が描いた絵画作品に関しては、「技巧が凡庸である」や「60年代の作品はマンネリ化している」といった指摘がなされました。以下に、これらの批判を詳しく説明します。
2.1 絵画技術が凡庸であるとの指摘
岡本太郎の作品は、彼が表現するメッセージやテーマの強さに注目されがちですが、その技術的な完成度については批判の対象となることもありました。特に彼の絵画作品については、「技巧が凡庸である」という指摘がしばしばなされました。
岡本は、絵画技法に関して伝統的な西洋の技法にこだわることはなく、むしろ自由な表現と抽象性を追求していました。このため、彼の作品は一般的に、細部の描写や写実的な技術よりも、そのエネルギッシュで感情的な表現が重視されました。
しかし、このアプローチは、技術的な精密さを求める美術批評家からは「技巧が欠けている」と評価されることがありました。
2.2 1960年代の作品がマンネリ化しているという指摘
1960年代になると、岡本太郎の作品には「マンネリ化している」という批判も現れるようになりました。
これは、彼が持ち続けていたエネルギッシュな表現スタイルが、時として過去のスタイルの繰り返しになり、創造性に欠けるという指摘のようです。
特に1960年代後半にかけて、岡本太郎の絵画作品がマンネリ化しているとされました。
例えば、彼の代表作である《太陽の塔》をはじめとする巨大な公共アート作品が評価される一方で(「太陽の塔」も当時は「燃やしてしまえ」とまで批判されたそうですが)、彼の絵画作品には同じようなテーマやモチーフが繰り返され、形式が似通っていると批判された事例があるようです。
具体的には、彼が描く「生命力」や「爆発」といったテーマが、1960年代の絵画作品において繰り返し現れることが、批評家の目には「新鮮さが欠ける」と映ったのでしょう。
また、岡本は非常にエネルギッシュな表現を好み、絵画においても強い筆致や鮮やかな色使いを多用しましたが、その手法が次第に「型にはまった」ものとして受け取られ、彼が描くテーマや表現が一度確立されると、それを繰り返すことになり、新しい挑戦を見出すことができなくなったということを指摘したものと思われます。
たとえば、岡本の1960年代後半の絵画作品は、力強い色使いとシンボリックな形態が特徴でしたが、これらの作品は次第に似たような構図や色彩が繰り返されるようになり、斬新さが失われたとされています。
こうした指摘により、岡本太郎の絵画作品は一部から「マンネリ化した作品」と見なされ、その革新性が薄れたと批判されたのでしょう。
2.3 具体的な批判内容
この「マンネリ化」の指摘は、岡本が創作活動を続ける中で特に顕著に現れた時期に関連しています。
例えば、1960年代に彼が発表した絵画作品などは、テーマや色使いこそ強烈であるものの、その構図や表現方法において一定の繰り返しが感じられ、前衛的であるにもかかわらず新鮮味を欠いたとして、批評家からは「同じような作品が続く」という評価を受けたようです。
これらは、例えば、強烈な赤と黒が使われ、爆発的なエネルギーが表現されていましたが、これもその後の作品において繰り返し使用される色やモチーフとなり、変化が見られにくかったという指摘があります。こうした批判は、岡本が次第に新しい方向性を模索することなく、既存のスタイルに依存していた、という批判につながります。
2.4 ピカソからの影響に関する批判
一部の批評家は、岡本太郎の作品がピカソの影響を強く受けていると指摘し、「模倣に過ぎない」と批判することがあります。
彼がピカソを尊敬し影響を受けたことは自ら語っていたようですが、岡本太郎の作品にはピカソとは異なる独自の哲学と視点が込められていることを忘れてはいけません。
確かに岡本太郎の初期の作品には、ピカソの影響が見受けられるものもありますが、それを超えて彼自身の個性的な表現を展開し、後に日本の現代アートに大きな影響を与えたことは事実です。
この点を理解せずに「模倣に過ぎない」とする批判には大きな疑問を感じます。
2.5 海外であまり評価されていないという批判
岡本太郎の作品が、例えば、草間彌生のように海外でも評価が高い作家と違って、海外であまり評価されていないことを理由に、「大したことがない」とする意見も見受けられます。
このような考え方は、評価基準として非常に限られた視点に過ぎません。岡本太郎の作品は、日本の文化や精神性を深く反映したものであり、その独自性が彼のアートの魅力の一面でもあります。
また、著名な傑作にはパブリックアートが多く、海外のコレクターが購入できるような作品ではないことも、海外で人気が高まらない理由の一つかもしれません。もしそうであれば、海外の評価や人気の有無が岡本太郎の作品の評価の本質には殆ど関係ないと言えます。
こうしたことは、彼が海外での評価を意識することなく、純粋に自己表現を貫いたことこそが、彼の作品に真の価値を与えているとも言えます。こうした背景を考えると、海外での評価がないからといって、彼の芸術の価値の評価軸には全く意味がないということが言えます。
日本社会では、外部の評価、特に「海外での評価」に対して敏感になる人が多いのが特徴です。
特にアートに関しては、他人の意見や外国の評価を基準にしてしまう傾向が強く、それが時に自己の判断を曇らせることになります。
アートの本質的な価値を理解するためには、自分自身の感性を大切にし、その作品が何を伝えようとしているのかを深く掘り下げることが重要ですが、海外の評価の有無を基準にしたがる日本人の傾向にこそ、岡本太郎のメッセージを深く感じて欲しい、と思うのは私だけでしょうか。
3. 反論と再評価 – 岡本太郎のアートの真価
作品ごとの批判は一つの視点に過ぎません。批評家がその時々に批判を下すことは意味がないわけではありませんが、重要なのはそれを全体として受け入れることではなく、それに対する反論や新たな作品の誕生が次に繋がることであります。
岡本太郎が直面した批判の中で、これがどう彼の次の作品に影響を与え、さらなる芸術的成長を促したかも考慮する必要があります。
岡本太郎のように、批判を受けながらも一貫して自らの哲学を貫いたアーティストは稀であり、その姿勢こそが彼を後世において再評価させる要因となったのも、こうした批評があったからかもしれません。
3.1 その時点の批評家は全ての作品を見れない
岡本太郎が批判を受けた背景には、彼のアートが既存の美術界の枠を超え、独自の哲学や思想を持っているからこそ生まれたことが影響しています。彼が制作した作品が、時に技術的に未熟であったり、繰り返しに見えたりすることがあったとしても、それはあくまで「道を切り開く過程」に過ぎません。
重要なのは、彼が生涯を通して一貫して自らの哲学と向き合い、常に新しい表現を模索し続けたという点です。
一方で、批評家がその時々に作品を客観的に批判することには相応の意味があり、その時点での評価は決して無駄ではありません。
また、批評家がその時点では、生涯の全作品を見れるわけではないという点も考慮しなければなりません。
その時々に出された批判は、次の作品が生まれるための原動力にもなり得ます。
岡本太郎にとっても、批判に対する反論として次の作品が生まれることがあったのではないでしょうか。
その結果、彼のアートは時代を超えて進化し続けたのかもしれないのです。
3.2 岡本太郎の生き様そのものがアート
本当にすごいアートというのは、どんな天才でも人生で何枚も生みだすのは難しいことです。
その過程で批判されるような作品があったとしても、岡本太郎のように、一貫して自らの哲学を生き様に落とし込み、アートとして表現し続けた作家は稀です。
彼の傑作は、単に技術的な完成度を超えて、彼がどれだけ情熱を込めて自らの表現を探求したかにあります。
彼の生き方そのものが「アート」であったと言っても過言ではありません。
岡本太郎の作品は、ただの絵画や彫刻としての評価を超え、その人間的な情熱、探求、そして精神性が凝縮されているからこそ、観る者に強烈なインパクトを与え続けています。
彼の表現は、決して一回限りのものではなく、その後のアーティストや観客に新たな視点を提供し、心を動かす力を持ち続けています。
岡本太郎が亡くなってから作品を見る上では、彼の生き様もみれるわけですから、こうした「生き様そのものがアート」という観点から、岡本太郎の作品を評価することが、真の理解に繋がる気がします。
3.3 批判の重要性と、批評家としての視点
岡本太郎の作品には「技巧の凡庸さ」や「マンネリ化」という批判がありましたが、これは彼のアートを深く掘り下げた結果の一部の視点に過ぎません。
批評家は作品に対する評価を下す責任がありますが、その評価がそのまま全体を否定するものではありません。作品毎への批判はあくまで一つの見解であり、それをもって全てを否定するのではなく、その中に込められた思想やメッセージを読み解くことこそが本当の批評家の仕事であると言えます。
実際に、岡本太郎の作品は多くの人々に影響を与え、社会的な変革を促す力を持っていました。
彼のアートは、単に絵画や彫刻の枠にとどまらず、公共空間における巨大な作品や日常の中で楽しめるインテリアアートとしても高く評価されています。彼の作品が多くの人々を動かしていることは、その作品が本物のアートである証拠です。
批判があっても、実際に人々の心を動かし、社会に影響を与え続けるアートが生まれたことは、彼のアートの本質を物語っています。
一方で、「天才、岡本太郎の作品だから何でも傑作」と言っていては、本当の傑作が何だか見えなくなりますので、見る目を持った批評家の批判もとても大事な視点です。それによって、アートに詳しくない人でも、いろんな作品をいろんな視点で見ることが可能になります。

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ヤノベケンジが、岡本太郎へのオマージュを込めた宇宙猫の作品「BIG CAT BANG」。(GINZA SIXのインスタレーション展示)
4.神格化と反批判 – 岡本太郎を「普通の男」として
岡本太郎に対する評価の中には、彼を神格化し、過度に崇拝する風潮もありました。多くの人が彼を「スーパーマン」のように思い、彼をサファリパークの外から見る猛獣のように扱ったと言います。この神格化に対する反応は、実際に岡本太郎自身が語っていた通りです。
糸井重里氏と平野暁臣氏の対談において、平野氏は岡本太郎に対する過剰な崇拝について言及しています。彼は、次のように述べています。
(「ほぼ日刊イトイ新聞」より「岡本太郎は忘れてけっこう」の記事より引用)
「太郎を拝んだり、太郎にすがるのは、もう終わりにしたい。だって、岡本太郎はふつうの男ですからね。」
さらに平野氏は、若い人たちが岡本太郎を「スーパーマン」として見ている様子についても触れ、こう続けました:
「最初から種族がちがう、鋼鉄の人。サファリパークで、柵の外から猛獣を見てるような感じっていうのかな。」
この神格化とそれに伴う批判の裏表についても彼は言及しており、次のように述べています:
「こういう状況が続くと神格化して崇拝する人も出てくるし、その裏返しで、本質ではないことで否定したり、批判したりする人も出てくる。それはつまらないことでしょう? 101年目から次のステージに行けるといいなぁ、と思っているんです。」
糸井氏もこの意見に同意し、こう返しています:
「そんな、尊敬してるヒマねぇだろう、ということなんでしょうね。」
さすがのお二人ですので、視点も鋭くて、なかなか面白い対談です。
(「岡本太郎は忘れてけっこう」というタイトルもさすがです。きっと、今どきのAIに考えさせたタイトルだとピンポイントで指示出さない限り、出てこないでしょうね。)
この対談から読み取れるのは、岡本太郎を「スーパーマン」として過剰に神格化するのではなく、彼を「普通の男」として捉え、彼の作品をそのまま真摯に評価することが重要であるということです。岡本太郎を過度に神格化することは、時として彼の本質を見失わせ、逆に過剰な批判を生む原因となります。真の評価は、彼が人間として持つ限界や挑戦を理解し、その生き様そのものがアートであったことを認識することから始まるのです。
5. インテリアアートとしての魅力
岡本太郎の作品は、そのエネルギーやメッセージ性が評価される一方で、インテリアアートとしても高く評価されています。彼のアートがどのようにして空間に調和し、どのようにインテリアとして成立するのかを見ていきましょう。

5.1 視覚的な力強さと普遍性
岡本太郎の作品には、鮮やかな色彩や象徴的なデザインが特徴です。これらの要素が観る者に強い印象を与え、空間に「エネルギー」をもたらします。彼の作品に見られる赤、青、黄、黒といった大胆な色使いは、どんな空間にも活気を与え、作品がテーマの重さを感じさせる一方で、ポジティブな印象をも与えます。さらに、抽象的でシンボリックな形態を多用するため、インテリアとしても親和性があります。
5.2 テーマの二重性と空間での調和
岡本太郎のアートは、戦争や死、再生といった重いテーマを扱いながらも、その表現方法に希望やエネルギーが含まれており、空間にポジティブな印象をもたらします。例えば、《明日の神話》は原爆をモチーフにしていますが、生命力や未来への希望を表現しています。この二重性は、インテリアアートとして非常に効果的であり、空間を活性化させ、テーマの重さを和らげる力を持っています。
5.3 空間デザインとしての適応性
岡本太郎の作品は、その大胆な構図とデザインで、インテリアのアクセントとしても高く評価されています。彼の作品は、大型の壁画から小型の彫刻まで幅広く存在し、住宅や公共空間など、どんな場所にも適したものが見つかります。具体的なメッセージが過剰に強調されることなく、空間の一部として溶け込みやすく、どんな環境にも自然に調和します。
5.4 実際のインテリアアートとしての例
岡本太郎自身が設計した「岡本太郎記念館」では、彼の作品が空間と自然に調和し、鑑賞者に強い印象を与えています。現代のインテリアトレンドとも調和し、ポップアートやミッドセンチュリーモダンの流行と共鳴することが分かります。彼のカラフルでダイナミックな作品は、現代の空間デザインにおいても大きな影響を与えていると言えるでしょう。
6. 絵を売らなかったこと
岡本太郎には、芸術家としての誇りを貫いたユニークなエピソードがあります。
彼は一度も絵を売らなかったことで知られています。岡本は、「アートは金儲けの道具ではない」と考え、絵を商業的な目的で売ることを拒んだのです。これは、彼がアートに対する純粋な愛情と哲学を持ち続けた証拠であり、芸術を自己表現の手段とし、他者に対する影響を与える力と捉えていました。岡本太郎がアートを通じて貫いたこの姿勢は、後世のアーティストにも多くの影響を与えました。
7. 格言と書籍
岡本太郎の思考や哲学は、彼の数々の名言や著書にも反映されています。彼の格言は、アートや人生に対する深い洞察を与えており、多くの人々にインスピレーションを与え続けています。また、彼の書籍には、アート観や生き方、哲学が色濃く反映されており、彼の作品を理解するうえで欠かせないものとなっています。
7.1 「芸術は爆発だ」
この言葉は、岡本太郎のアート観そのものであり、彼が追い求めた自由でエネルギッシュな表現を象徴しています。
岡本は、アートをただの美術作品としてではなく、社会に対する挑戦的なメッセージと捉えていました。
「芸術は爆発だ」という言葉には、自己表現の力強さと、社会に対する影響力を発揮するという彼の強い意志が込められています。
一方で、この言葉にも、彼の少年時代の抑圧への反発の言葉に過ぎないのでは、という批判的な見方もあります。
7.2 「自分の中に毒を持て」
岡本太郎の名言の一つで、自己表現と独自性の重要性を説いています。
彼は、他者の意見に流されることなく、自分の信念を持ち続けるべきだと考えていました。この言葉は、アートや人生において自分自身を貫くことの大切さを教えてくれます。
7.3 「今日の芸術」
岡本太郎の著書『今日の芸術』では、アートが過去の遺産に囚われることなく、現代社会において生きた力として存在すべきだという思想が展開されています。彼は、アートがその時代に生き、社会を変革する力を持つべきだと考えていました。
この書籍は、彼の芸術観とその社会的役割に対する深い洞察を与えており、現在でも多くのアーティストに影響を与えています。
一方で、「アートは下手でもよい」という主張が、今日の現代アートでファインアート的な技巧の軽視につながった面もあると、マイナス面を指摘する批判もあります。
8. まとめ ~岡本太郎から読み取れるアートの本質
岡本太郎のアートは、技術的な完成度や形式にとらわれることなく、社会や人間に対する挑戦的なメッセージを込めたものであり、その生き様そのものがアートの本質と言えます。
彼が受けた批判、あるいは作品毎の出来具合への批判だけを読んで、彼の作品の全てに固定観念を持って否定する必要は全くありません。
作品ごとの批判は一つの視点に過ぎません。批評家が、生涯の全作品を見れない時点のその時々に批判をすることは、意味がない訳ではありません。それに対する反論として、次の作品が生まれることもあるからです。
また、このように批判と再評価があるアーティストの場合は、その両方に触れることで、アートの初心者が、「アート、特に現代アートとは何か」ということを考え理解する上での、格好の材料にもなり得ます。
岡本太郎の作品は、単に視覚的な美しさに留まらず、その哲学的な深さとエネルギーによって多くの人々に影響を与え続けています。
彼の全作品を俯瞰してみることができる今の私たちは、彼の生き様まで見ることで、そのアートを深く掘り下げることが可能な立場であり、その真の価値を感じることが可能です。
批判を受けながらも、彼のアートは時代を超えて多くの人々にインスピレーションを与え続けており、今後もその哲学は新たなアーティストや観客に影響を与え続けることでしょう。
彼の作品が後世に与え続ける影響は、技術的な完成度だけでなく、その哲学的な深さと強烈なエネルギーにあります。
岡本太郎のアートを評価するためには、その独自性と精神性、彼の生き様そのものをアートとして捉えることで、作品からのメッセージをより深く感じることができるでしょう。
岡本太郎の最高傑作のアート作品とは、彼が生きたアーティストとしての、いや「普通の人間としての生き様」そのものなのかもしれません。
「今日の芸術 新装版 時代を創造するものは誰か 」
(光文社文庫) 文庫 – 2022/7/13岡本 太郎 (著)