現代アートのラベル貼り替えキュレーション

外部ページURL

ラベルの貼り換えのキュレーション効果とは

はじめに ― 「現代アート」はなぜ批判されるのか

「現代アート」と呼ばれるものには、常に批判がつきまといます。
「よくわからない」「値段だけが高い」「技巧がなく、ただの日用品にしか見えない」。

こうした声は、実際に多くの展覧会やSNSで繰り返し聞かれます。
そして、その結果として「現代アートと大衆との断絶」が深まってきました。

Artstylicでは、この断絶を埋めるために、あえて「NOT ART」という言葉を使います。
つまり、もともとはアートではないものが、展示や解釈=キュレーションを通じてアートとして立ち上がる現象を指す呼称です。

そして、この視点から20世紀以降のアートを NOTART 1.0〜4.0 というフェーズに整理しました。
これは、他のアート専門サイトとは異なる多様なクリエイションを横断し、美術館の展示室に限らず、建築、音楽、映画、思想、さらにはデジタル時代のAIまでを見渡すための新しい地図、Artstylic独自の「キュレーション」でもあります。

「現代アート」という言葉の歴史

まず前提として、「現代アート」という言葉自体の歴史を整理しておきましょう。

欧米では「modern art(近代美術)」に続くものを「contemporary art」と呼びました。ピカソやマティスらのキュビスム、カンディンスキーら抽象絵画を経て、戦後以降の作品群を「現代のアート」と総称したのです。

日本では戦後、国立近代美術館の活動や美術評論家による翻訳を通じて「現代美術」という語が普及しました。1970年の大阪万博以降、「現代美術」という言葉は一般紙でも多く用いられるようになります。

「コンセプチュアル・アート(概念芸術)」と混同されがちですが、これは1960年代以降に生まれたひとつの潮流であり、現代アートの全体を指す言葉ではありません。

つまり「現代アート」は、単なる時代区分ではなく、作品単体よりも文脈や社会性、解釈のネットワークを重視する芸術観を表しています。

感性と知性のあいだに立つ現代アート

「感性」と「知性」の分断

伝統的な美術は「美しい」「迫力がある」といった感性的な共感を入り口にしてきました。
しかし現代アートでは、社会的な問いや文脈、批評性が評価の基準となり、「感性の心地よさ」だけを志向すると「浅い」とみなされがちです。
そのため知的な解釈が必須となり、感覚的に楽しめない人にとっては疎外感を生みます。

結果、「現代アートは何でもあり」という感性至上主義的な誤解を持たれたままそっぽを向かれる、という分断につながりがちなのです。

大衆からの乖離

批評性・文脈性に依拠すればするほど、専門的な言語と理論に寄りかかることになり、結果として 「わからない人は置いていく」構造 が生じます。
一方で「わかりやすさ」を追求すると、今度は「ただの感性表現=軽い」と批判される。
このジレンマが「現代アートは難解すぎる」「閉じた世界だ」という印象を強めてきました。

矛盾を乗り越える試み

実際には、この矛盾を乗り越えようとする動きも現れています。

参加型アート:観客の体験や感覚そのものを作品の一部に組み込む(例:インスタレーションやワークショップ型)。

SNS時代の拡散:視覚的インパクトやユーモアを入り口にしつつ、背景には批評的文脈を隠しておく。

教育的アプローチ:作品解説やアーティストトークを充実させ、「感性から知性へ」段階的に橋をかける。

Artstylicの別の記事でも書きましたが人間の脳というのは、「感性は知性で揺らぐ」ものであり、両者は不可分の関係にあり、どちらかだけで評価する、ということ自体がナンセンスなのです。

なぜ「NOT ART」と呼ぶのか?

現代アートは「感性だけでは不十分」と言いながら、知性に偏ると大衆から離れてしまうという矛盾を抱えています。
実はこの緊張関係そのものが、現代アートの特徴とも言えるでしょう。
つまり、「感性と知性の間に立つこと」こそが、現代アートに課された宿命なのです。

そして、Artstylicが「現代アート」というラベルをつけるものをあえて 「NOT ART」 と呼びかえるのは、この矛盾を直視し、「大衆的な感性とアートのエリート層の知性の境界に立って橋を架ける」ための試み でもあります。

「NON」 ARTから「NOT」 ARTへ

この記事や、Artstylicのいくつかの記事では「NOT ART」という言葉を、単に「ART以外のすべて」という意味では使いません。
それは、アート(ART)と非アート(NON ART)の境界に立ち、文脈によって「現代アートというラベルをつけた作品」として立ち上がってきたものを指します。

NOT ARTは、多くの場合、そのままでは一般的に「現代アートというラベルをつけたクリエイション」としては機能せず、物体・出来事・データにとどまります。


しかし展示や批評、観客の解釈といった文脈を与えられることで、「現代アート」として見なされ得る契機、ラベルが付くのです。

ここで重要なのは、「NOT」と「NON」の違いです。

  • NOT ART は非アート、下記の「NON ART」が文脈により「現代アート」というラベルをつけられたクリエイションに転換したものを指します。世の中的なラベルは「現代アート」ですが、そう呼ばれない「境界の端」の外のものまで含みます。
    (例:デュシャンの便器、ウォーホルのスープ缶、SNSに投稿された日常の断片)

  • NON ART はアート性そのものを欠いている、あるいは必要としない、意図しない、基本的にはアートとして読まれる契機を持たない領域です。
     (例:取扱説明書、税務書類、機能のみを目的とした工業製品)

したがって、この記事が扱う対象は大きく三つに分けられます。


ART(古典的・伝統的な芸術)/NOT ART(境界に立ち文脈でアートとなり得るもの)/NON ART(思想や主張の文脈を欠いた、あるいはその必要が無いモノや情報、行為等すべて)

Artstylicが注目するのは、このうち NOT ART の領域です。
なぜならここにこそ、「現代アート(というラベルをつけたくなるもの)」とキュレーションの力がもっとも鮮明に現れるからです。

「NON ART」と「NOT ART」という新たな用語でこの記事を書いたため、最初はかなり違和感があると思いますが、「現代アート」を「ART」として理解できない、こんなものは「アート」ではない、という方ほど、しっくりくる、腑に落ちるのではないでしょうか。

キュレーションとは何か

同時に、すべての作品紹介がキュレーションになるわけではありません
単なる情報提供やカタログ的な解説は「紹介(情報提供、情報集約)=NON ART」にとどまります。

キュレーションが成立するのは、

  1. 作品に文脈を与え、新しい意味を生み出すとき

  2. 観客体験を意識的に構成するとき

  3. 批評性や問いを伴い、「なぜ今これを提示するのか」が示されるとき

つまり、「キュレーション」とは、単なる説明、情報提供ではなく「意図をもって編集された視点の提示」です。

そしてその編集行為こそが、「NON ART」を「NOT ART」に転換し「現代アート」というラベルを付けられる契機を開くのだと思うのです。

ブログ一覧