この記事では、「現代アート」というラベルを「NOT ART」というラベルに貼りかえて、新たな視点で「NOT ART」の歴史を俯瞰してみる試みです。(本来は記事を4つに分けるべき長さですが、このまま一本でお届けします。)
そこで、「NOT ART1.0」~「NOT ART4.0」まで大きな時代の流れを途中の1.5を含めて5つに分けてみました。
通常の現代アートの専門的な歴史記事や書籍とは違って、「現代アート」というラベルがつかない周辺のクリエイションも一緒に同列に記載することで、かえって「現代アート」というラベルがついたものの意義が見えてくるのではないか、というのが、この記事の狙いです。
但し、ここで示した NOTART 1.0〜4.0 は、便宜上の区分です。実際には、ある潮流が終わって次が始まるのではなく、複数のフェーズが重層的に進行し、互いに影響を与え合ってきました。
また、100年程度の歴史なので、一人の作家が複数の時代にまたがって活躍してもいます。
したがって、この区分は「時代の整理」として理解すべきものであり、実際のアート史は複数のフェーズが併走する“層”として存在しているのです。
一方で、分野を横断して実際にこうして記事にしてみると、やはり、分野別にラベルを付けて深堀りしないと、収拾がつかなくなる、というデメリットを如実に感じる結果となってしまいましたが、「現代アート」に対して「NOT ART」というラベルを使う大きな意図だけでも伝われば幸いです。
以下で掲載した作家等は、「NOT ART」の境界に立った視点で大きな流れを説明しやすいように選びましたが、網羅はできませんので、偏りがありますし、取り上げるべき重要な作家が漏れている、という部分が多分にありますので、その点、ご容赦ください。
ここから、各分野の専門書やサイトをご覧いただいて、「NOT ART」への知見を広げていただければと思います。
P.S.
世界の美術館には、既に「NOTART」な作品を収蔵しているケースも多数ありますので、世界初とか独自の試み、というものでもありません。現代アート史は初めてという方に、分厚い本を1冊読むよりは、ずっと短時間で、大きな流れをさくっと頭に入れられるように作ってみました。初めて現代アート系の美術展に行ってみようという方にはおススメです。
NOTART 1.0 ― 物質の逆転と日常の転用(1910s〜1950s)
前衛の胎動(1900s〜1910s)
セザンヌ ― 前衛の父
ポール・セザンヌ(1839–1906)は「自然を円筒と球と円錐で捉える」と語り、風景や静物を幾何学的構造で描きました。
彼の探究は、印象派の感覚的表現から抜け出し、構造を意識する方向へと進められました。
この「自然を分解し再構築する」という発想が、後のキュビスムや抽象絵画へとつながっていきます。
まさにセザンヌは「近代絵画の父」であり、前衛への道を切り開いた存在でした。
ピカソとキュビスムの誕生
パブロ・ピカソ(1881–1973)は《アヴィニョンの娘たち》(1907)で人体を幾何学的に解体し、空間を同時多視点で描きました。
これは西洋絵画の遠近法を根本から覆し、芸術が「模倣」ではなく「構築」へと向かう転換点となりました。
この試みが「キュビスム」として確立され、後の前衛芸術の出発点となります。
カンディンスキー ― 抽象への飛翔
ワシリー・カンディンスキー(1866–1944)は1910年頃、《即興(Improvisation)》シリーズで世界初の抽象絵画を生み出しました。
彼は『芸術における精神的なものについて』(1911)で、色や形そのものが精神に直接働きかけると説きました。
ここで初めて「自然を描かない絵画」が正面から提示され、NON ART=色と形の純粋性 が NOT ART=精神的表現 へと転換しました。
この理論と実践は、マレーヴィチのシュプレマティスムやモンドリアンの新造形主義、さらにはバウハウス教育へと受け継がれていきます。
最初の転換:形態・反芸術・日用品(1915~)
カジミール・マレーヴィチ《黒の正方形》(1915)
黒い正方形だけを描いた絵画です。
「何を描くか」ではなく「絵画とは何か」を問う、絵画史のゼロ地点ともいえる作品でした。
この絵は、シュプレマティスム(絶対主義、至高主義)という抽象性を徹底した絵画の一形態です。
ダダイズム:キャバレー・ヴォルテールの夜(1916)
第一次世界大戦中、スイス・チューリッヒの小さなカフェ「キャバレー・ヴォルテール」に芸術家や亡命者が集いました。
彼らはピアノを叩きながらナンセンス詩を叫び、新聞紙を引き裂き、奇怪な仮面をかぶって踊りました。
観客は怒号を飛ばし、笑い、時には暴力沙汰にまで発展しました。
しかしその混沌から、「芸術の権威を破壊する」という新しい芸術観が生まれました。
まさに「反芸術=anti-art」、NON ARTをNOT ARTに変える実験でした。
マルセル・デュシャン《泉 (Fountain)》(1917)
男性用小便器を横倒しにして署名を入れただけの作品です。
「作家の手による制作」が消え、日用品=NON ARTがそのままNOT ARTとなりました。
これは「レディメイド」と呼ばれて、現在まで続くコンセプチュアル・アートの出発点となりました。
その後の展開と広がり
ピエト・モンドリアン《赤・青・黄のコンポジション》(1930)
垂直・水平線と三原色のみで構成し、普遍的秩序を追求しました。
後のデザイン・建築・バウハウス理念と結びつきました。
フルクサスとオノ・ヨーコ(1960年代へつながる萌芽)
ダダの精神を継承するかのように、フルクサス運動が登場しました。
オノ・ヨーコの《グレープフルーツ》(1964) は「読む人の参加」で完成する作品集です。
ベッド・イン・パフォーマンスなどを通じ、日常や平和運動そのものをアートにしました。
女性であったことやビートルズのイメージに隠れ、正当に評価されてこなかった面がありますが、近年その先見性が再評価されています。
建築と日常の美学
- ル・コルビュジエ《ユニテ・ダビタシオン》(1952):「住宅は住むための機械だ」と定義し、住まいを社会装置として提示しました。
- ヴァルター・グロピウスとバウハウス(1919–1933):家具や工業製品を芸術と一体化させ、生活と芸術の境界を消しました。
- フランク・ロイド・ライト/ミース・ファン・デル・ローエ:近代建築に機能美を導入し、「建築=アート」の新地平を切り開きました。
日本の動向と前史
- 岡本太郎(1911–1996):戦前から前衛と接触し、『傷ましき腕』(1936) を制作。戦後は「芸術は爆発だ」思想へ。
- 吉原治良と具体美術協会(1954〜):「人の真似をするな」という理念のもと、紙破りや風船割りといった行為をアートに。欧米前衛と共鳴しました。
- 丹下健三《広島平和記念資料館》(1955):戦争の記憶を建築で語り、都市を芸術的装置へと転換しました。
この時期に登場した作家たち
- ヨーゼフ・ボイス(1950年代活動開始):蜂蜜やフェルトを素材に実験し、のちに「社会彫刻」へ。
- スタンリー・キューブリック(1953デビュー):映画言語を再構築する萌芽を示しました。
- 黒澤明(1950『羅生門』):国際的に映画を「人類の倫理的装置」として位置づけました。
- フィリップ・K・ディック(1950年代デビュー):後に「人間と機械の境界」を問うSF文学へ発展しました。
- 武満徹(1950年代活動開始):前衛音楽・映画音楽を発表し、音と映像の融合を探りました。
NOTART 1.0まとめ
NOTART 1.0の時代は、
- セザンヌ、ピカソ、カンディンスキー等の前衛への息吹の時代(1900年前後)
- マレーヴィチによる形態の純化(1915)
- ダダによる反芸術の爆発(1916)
- デュシャンによるレディメイド~日用品の転用(1917)
- 行為・沈黙の芸術化(ジョン・ケージ/ポロック)
- 生活空間の芸術化(バウハウス/近代建築)
- 日本の前衛の胎動(岡本太郎/具体/丹下健三)
- 次世代の萌芽(ボイス/キューブリック/黒澤/ディック/武満)
といった流れが重なり、「芸術=物質的な特権」という近代の価値観を崩壊させました。
この延長線上に、1960年代のコンセプチュアルアートや社会彫刻(NOTART 2.0)が生まれていきます。
参考:NOTART 1.0 関連潮流と作家(1900s〜1910s)
※上記に漏れたものを中心に現代アート正史においてよく取り上げられる主義・作家 を補記します。
- 印象派:クロード・モネ、ピエール=オーギュスト・ルノワール、エドゥアール・マネ、カミーユ・ピサロ
- ポスト印象派:フィンセント・ファン・ゴッホ、ポール・ゴーギャン、ポール・セザンヌ(既出)
- フォーヴィスム:アンリ・マティス、モーリス・ド・ヴラマンク、アンドレ・ドラン
- 表現主義:ワシリー・カンディンスキー(既出)、エルンスト・ルートヴィヒ・キルヒナー、エドヴァルド・ムンク
- キュビスム:パブロ・ピカソ(既出)、ジョルジュ・ブラック
- 未来派:ジャコモ・バッラ、ウンベルト・ボッチョーニ、ジーノ・セヴェリーニ

(参考)NOTART 1.5 ― 橋渡し期(1920s〜1960s)
デ・ステイルと新造形主義(1917〜1930s)
オランダでモンドリアンやリートフェルトが進めた「デ・ステイル」運動は、水平と垂直、赤・青・黄の三原色による純粋な構成を追求しました。
ここでは NON ART=線や色の最小単位 が「普遍的秩序」としてアートに昇華されました。
ただし、これは1.0の抽象化の延長線上であり、次の大きな「転換点」には至りませんでした。
シュルレアリスム ― 潜在意識の解放(1924〜1930s)
1924年、アンドレ・ブルトンが『シュルレアリスム宣言』を発表。
ダリ、マグリット、エルンストらが「夢・無意識・自動記述」を表現に持ち込みました。
絵画や彫刻にとどまらず、映画や文学とも交差し、NON ART=夢や潜在意識 を「NOT ART」として提示しました。
しかしシュルレアリスムは、詩的・文学的側面が強く、社会的実践には結びつかず、2.0の「社会彫刻」には直結しませんでした。
バウハウスとデザインの統合(1919〜1933)
ヴァルター・グロピウスのバウハウスは「芸術と工業の統合」を掲げ、家具、建築、デザインを総合的に扱いました。
ここでは NON ART=工業製品や住宅 が「デザイン」を通じてアートの地平に並置されました。
ナチスによって閉鎖されましたが、その理念は世界に拡散し、戦後のモダンデザインの基盤となりました。
第二次世界大戦と亡命アーティスト(1930s〜1945)
戦争はヨーロッパの前衛運動を分断し、芸術活動は制約を受けました。
しかし、この時期に多くのアーティストがアメリカへ亡命し、ニューヨークが「戦後美術の中心」となる土台が築かれました。
抽象表現主義 ― ニューヨークの台頭(1940s〜1950s)
戦後アメリカでジャクソン・ポロックやマーク・ロスコが登場。
ポロックはキャンバスを床に置き、絵の具を滴らせる「アクション・ペインティング」を展開しました。
これは NON ART=身体の動作や偶然の滴り をそのまま作品に変えた点でNOTART的でした。
ロスコは大画面に色面を広げ、観客を没入させる「カラーフィールド」を展開。
これにより絵画は「内面的体験の空間」となりました。
抽象表現主義は戦後アメリカの力と結びつき、アートの中心がパリからニューヨークへ移る転換点となりました。
ジョン・ケージとハプニングへの接続(1950s〜)
1952年、ジョン・ケージが《4分33秒》を発表。
沈黙と環境音を音楽とする発想は、NON ART=沈黙や偶然を芸術にした瞬間でした。
この思想は、アラン・カプローらによる「ハプニング(即興的パフォーマンス)」へと継承され、60年代のNOTART 2.0につながっていきます。
NOTART 1.5 まとめ
1920〜1960年は「谷間」ではなく、次の大転換を準備する橋渡し期でした。
- デ・ステイル → 抽象の徹底
- シュルレアリスム → 無意識の導入
- バウハウス → デザインと日常の統合
- 抽象表現主義 → アメリカ中心への移行
- ジョン・ケージ → ハプニングと概念アートへの布石
つまりこの時代は、「NOTART 2.0の土壌を育てた時期」と位置づけられます。
NOTART 2.0 ― コンセプチュアルと社会彫刻(1960s〜1970s)
概念を作品にする:ジョセフ・コスース《椅子の一と三》
1965年、ジョセフ・コスースはニューヨークの小さなギャラリーに、一脚の椅子を展示しました。
その横には椅子を撮影した写真、さらに「chair(椅子)」の辞書的定義が並べられていました。
タイトルは《椅子の一と三》。
観客は混乱しました。
「どれが作品なのか? 実物か、写真か、それとも言葉か?」
この問いこそが作品でした。
アートは物質ではなく、概念そのものに宿る。
NON ARTであるはずの辞書の一文や、写真といった複製物が「作品の一部」として機能する。
ここにコンセプチュアル・アートの核心がありました。
ソル・ルウィット:アイデアが芸術を決める
同時期に活動していたソル・ルウィットは、「芸術作品とはアイデアであり、制作は必ずしも作家自身が行う必要はない」と宣言しました。
彼の《ウォール・ドローイング》シリーズ(1968年頃~)は、作家が壁に描くのではなく、手順を指示したマニュアルを展示し、それに従って他人が描き、彼の死後も作品は作られて展示され「死なないアーティスト」と称されています。
つまり作品の本体は「指示=概念」にあり、実際に壁に描かれる線はその具現化に過ぎません。
この考え方はのちの「プロジェクト型アート」や「参加型アート」の先駆けとなり、「だれが作者なのか」という問いとともに、現在のAIアートやNFTにもつながっていきます。
ヨーゼフ・ボイスと「社会彫刻」
ドイツのヨーゼフ・ボイスは、20世紀アートの中でも特異な存在です。
彼はフェルトや蜂蜜を使った作品を制作しましたが、より大きな視点で「社会そのものを彫刻する」と考えました。
代表作のひとつは、1982年のドクメンタ7(ドイツ・カッセルで5年ごとに開かれる国際展)で行った《7000本の樫の木》。
会場に7000本分の玄武岩を積み上げ、参加者が一本の樫を植えるたびに石が一本ずつ取り除かれていく。
最終的に街全体に樫の木が植えられ、都市の風景そのものが「作品」となりました。
ここでは、アートは美術館に閉じ込められるものではなく、人々の共同作業と社会の変化そのものになっています。
NON ARTであるはずの「植樹」という行為が、NOT ARTとして立ち上がった瞬間でした。
岡本太郎と社会的エネルギーの爆発
同じ1960〜70年代、日本では岡本太郎が「芸術は日常にこそある」という逆転劇を実践しました。
彼の代表作《太陽の塔》(1970, 大阪万博)は、高さ70メートルを超える巨大造形物です。
それは建築でも彫刻でもない、祝祭的なシンボルであり、時代の記憶を抱え込んだ社会的装置でした。
岡本は「芸術は爆発だ」という言葉に象徴されるように、芸術を特権的なものから解き放ち、
人々の暮らしや公共空間に「生命のエネルギー」として解き放とうとしたのです。
ここでも、NON ART=建築的構造物や社会的記号が、文脈に置かれることでNOT ARTとして立ち上がりました。
岡本の思想は「芸術は大衆のものだ」という強い信念に基づいており、
その実践は日本独自のコンセプチュアル・アートの姿を示したといえるでしょう。
アンディ・ウォーホルとポップアートの逆転劇
同じ頃、アメリカではアンディ・ウォーホルが「消費社会の象徴」をアートに持ち込みました。
《キャンベルスープ缶》(1962)は、スーパーで売られていた日常品をそのまま描いたものです。
《マリリン・モンロー》の連作では、スターの顔をシルクスクリーンで繰り返し印刷し、大量生産と死のイメージを結びつけました。
ウォーホルのアトリエ「ファクトリー」には、音楽家、俳優、ファッションデザイナーが出入りし、アートはカルチャーそのものと一体化していきました。
NOT ART=商品やセレブの写真が、文脈に置かれることでアートに変わる。
この手法はのちの広告、デザイン、SNSカルチャーに大きな影響を与えています。
ビートルズ『サージェント・ペパーズ』とアルバムジャケットの革命
1967年、ビートルズのアルバム『Sgt. Pepper’s Lonely Hearts Club Band』は、単なる音楽作品を超えたコンセプトアルバムでした。
アルバムジャケットには、ピーター・ブレイクがデザインしたカラフルな群衆のコラージュが描かれています。
歴史上の偉人、作家、俳優、政治家などが並び、音楽と視覚が一体となった文化現象を生み出しました。
NOT ART=商業用アルバムジャケットが、コンセプチュアル・アートとして機能した瞬間です。
デヴィッド・ボウイ:ジギー・スターダストの演劇化(1972〜2016)
1972年、ボウイは「ジギー・スターダスト」という架空のロックスターになりきり、ステージに立ちました。
現実と虚構を混在させ、自らをひとつの「キャラクター作品」として提示。音楽だけでなく、ファッション、演劇、映像が融合した総合的なインスタレーションでした。
そして晩年、『★(ブラックスター)』(2016) をリリースした直後に亡くなります。これはまさに「死をもって作品とする」最終表現であり、ジギー・スターダストが星へ還るように、自らの人生そのものを完結させた前人未到の孤高の「NOT ART」でした。ここでは、NON ART=死や生の終焉 が、文脈と演出によって NOT ART=壮大な作品世界 へと変換されたと言えます。この最終作品により、ボウイは人類史における別格の存在になったのではないでしょうか。
【参考:V&Aにおけるデヴィッド・ボウイの扱い】
ロンドンのヴィクトリア&アルバート博物館(V&A)は、デヴィッド・ボウイの衣装・歌詞ノート・映像・アートワークなど7万点以上を包括的に収蔵し、研究・展示の対象としています。これはボウイを単なるロックスターではなく、ファッション・デザイン・パフォーマンスを横断する総合的なアーティストとして位置づけた事例といえるでしょう。
ブライアン・イーノ & ロバート・フリップ ― 音と環境の再定義
- イーノ:《Music for Airports》(1978)でアンビエントを提唱、「環境を変容させる音楽」を構築。
- フリップ:《In the Court of the Crimson King》(1969)でプログレッシブ・ロックを総合芸術化。
フリップ本人が「プログレッシブ・ロック」というレッテルを張られることを嫌っているのも「NOT ART」に通ずる気がする。 - さらに2人は 、NOT ART 3.0の時代には、Windowsの起動音※ を作曲。日常の機械音=NON-ARTを「詩的な体験」に変換。(1995年のWindows95がイーノ、2006年のWindows vistaがフリップ。)
- 本来、別々に紹介するべき重要人物であるが、「フリップ&イーノ」の作品もあるので一緒にとりあげた。
さらに、デビッド・ボウイの「Heroes(1977年)」というアルバムは、この3人がコラボしており、歴史的な「NOT ART」な作品かもしれない。
※ブライアン・イーノがWindows95の起動音で果たした役割
マイクロソフトの依頼で制作された3.25秒の音。(イーノの名前を知る人以外は、今でも、「マイクロソフトの開発陣の誰かが作ったただの起動音」としか認識していないと思われますが。)
イーノは「未来的で、楽観的で、感性的で、情熱的で…」という数多くの課題を与えられ、その結果、極めて短い中に「体験としての時間の圧縮」を実現しました。
さらに重要なのは、イーノが大衆性と前衛性を両立できた稀有な作家だという点です。
デヴィッド・ボウイの『Heroes』(1977)やTalking Headsのアルバム群(1970s〜80s)でプロデュースを担当し、実験的な音響を「ポップミュージック」として世界的に成立させた実績がありました。だからこそ、Windows95のような大衆的製品に「前衛的サウンド」を自然に融合できたのです。
この起動音は、世界中のユーザーが毎日のように耳にした「日常の儀式」となり、NON ART=コンピュータ操作音 が NOT ART=グローバルな体験共有 に変わった象徴的事例でした。
そして、このWindows95の発売こそが、インターネット時代の幕開けとなったことも注目に値するできごとです。
なお、最近では、イーノの個展が開催されたり映画が公開されて、まさに「ミュージシャン」というラベルから「現代アーティスト」というラベルへの貼り換えが進んでいる人物です。
建築分野:都市をインスタレーションに変えた時代の息吹
1960年代から70年代にかけて、日本の建築は世界に衝撃を与える「実験の舞台」になりました。
丹下健三《代々木第一体育館》(1964)
東京オリンピックのために建てられたこの体育館は、まるで空へ舞い上がる巨大な布のような曲線屋根で世界を驚かせました。単なるスポーツ施設ではなく、「未来都市の象徴」として日本の高度成長期のエネルギーを体現した建築です。黒川紀章《中銀カプセルタワー》(1972)
未来は更新可能なカプセルに宿る――黒川はそう信じ、銀座のど真ん中に「着脱式住居」を実現しました。メタボリズム建築の到達点ともいえるこの建物は、建築が「固定物」ではなく「生命のように循環するシステム」になり得ることを世界に示しました。磯崎新「建築は廃墟から始まる」という思想と都市論(1968)
磯崎は、「完成した建築など存在しない。都市もまた時間の中で崩れ、廃墟から再び始まる」と語りました。その思想は、建築を物理的な形以上のもの――社会の記憶や未来像を映し出す批評的なメディアとして位置づけました。
これらの建築は単なる「建物」ではなく、都市や社会をインスタレーションとして読み替える試みでした。つまり、NON ART=都市計画や建築物が、コンセプチュアル・アートと並行してNOT ART=批評的なアート装置へと変わった瞬間だったのです。
映画・音楽・思想との交差
NOTART 2.0は美術館に限らず、他のジャンルにも広がりました。
- ジャン=リュック・ゴダール:「映画文法の破壊」「作品=批評」「美術館展示」をすべて実現した点で別格の存在。
- 黒澤明:映画《羅生門》《七人の侍》は、人間の普遍的テーマを描き、映画を「人類の倫理的装置」へと昇華しました。
- スタンリー・キューブリック
《2001年宇宙の旅》:映像・音楽・デザインを統合した総合芸術。観客は映画館で没入的インスタレーションを体験。《博士の異常な愛情》:冷戦という社会現象=NOT ARTをブラックコメディに変換。軍事と政治を風刺し、現実批評としてのNOT ARTを成立させた。今の時代、改めてこの映画を観ると「真の恐怖」を感じる。 - クリント・イーストウッド
《許されざる者》:西部劇の様式を借りながら、暴力と贖罪を描き出し、ジャンルを自己批評へと反転させた。スター自身の「英雄神話」を老いと後悔で解体し、快楽を与えない娯楽映画として観客に倫理的思考を迫る。表面的には西部劇だが、暴力の虚構を暴き出す構造は一種の反戦映画でもあり、ジャンル映画=NOT ARTを通じて、暴力の快楽神話を解体する批評装置となった。 - 武満徹:現代音楽と映画音楽を横断し、音と映像を融合させた。
- ボブ・ディラン:フォークを詩と政治に結びつけ、ノーベル文学賞を受けたことで「音楽は文学でもある」と再評価された。
- フィリップ・K・ディック:《アンドロイドは電気羊の夢を見るか?》は「人間と機械の境界」というテーマを提示し、『ブレードランナー』を生んだ。
- ダナ・ハラウェイ:《サイボーグ宣言》で「人間・機械・動物の境界は幻想だ」と語り、ポストヒューマン思想を打ち立てた。
これらはいずれも「NON ART=文学や科学思想」をアート的に機能させる試みでした。(「文学」はそれだけで既に「NOT ART」なので、より「ART」の境界に近づけるという試みです。)
【参考:別格としてのゴダール ― NOT ART 2.0 の核心】
ジャン=リュック・ゴダール(1930–2022)は、旧来の現代アート史の本にはほとんど登場しませんでしたが、その実践はコンセプチュアルアートと同等、あるいはそれ以上に過激でした。今後は、普通に紹介されても不思議はない存在です。
- 『勝手にしやがれ』(1960)
ジャンプカットで映画の文法を破壊。物語を消費する娯楽から、思考を促す装置へと転換。 - 『映画史(Histoire(s) du cinéma)』
映画批評と作品を融合させた「映像による哲学」。 - ポンピドゥー・センター《Voyage(s) en Utopie》(2006)
映画上映ではなく、空間・模型・映像断片を用いたインスタレーション展示。映画監督が現代アートの展示空間に“作家”として立った稀有な例。 - 『イメージの本』(2018)
カンヌ国際映画祭で「スペシャル・パルムドール」を受賞。最後の長編にして映像コラージュの到達点。2025年はこれを映像インスタレーションとして再構成する展覧会も開催され、死後もなお「展示される作家」としてアートの場に生き続けている。
他にも、グリーナウェイやマルケルらが映画とアートを横断しましたが、規模・理論性・影響力の点でゴダールは別格の存在と言ってよいでしょう。
NOT ART2.0の時代の核心でありつつ、4.0の時代にわたっても活躍したという時代の橋渡しをした点も重要です。
NOT ART2.0まとめ
NOTART 2.0は、物質から解放されたアートが「概念」「社会」「思想」を直接扱うようになった時代です。
つまり、「考えること」や「社会を変えること」そのものがアートとして認知されはじめたのです。

NOTART 1.5~2.0 関連潮流と作家(1960s〜1970s)
※上記に漏れたものを中心に現代アート正史においてよく取り上げられる主義・作家 を補記します。
- シュルレアリスム:アンドレ・ブルトン、ジョルジュ・デ・キリコ、サルバドール・ダリ、ルネ・マグリット、マン・レイ、マルク・シャガール
- 抽象表現主義:ジャクソン・ポロック、マーク・ロスコ、バーネット・ニューマン、ウィレム・デ・クーニング
- ネオダダ:ジャスパー・ジョーンズ、ロバート・ラウシェンバーグ
- ミニマリズム:フランク・ステラ、ドナルド・ジャッド、カール・アンドレ、ロバート・モリス、ダン・フレイヴィン、ソル・ルウィット(既出)
- ポップアート:アンディ・ウォーホル(既出)、ロイ・リキテンスタイン
前半まとめ ― 「キュレーション観の転換」の始まり
NOTART 1.0〜2.0は、アートを「物質」から「概念・社会」へと拡張した時代でした。
この過程で、古くから存在していた「キュレーション」という営みは、単なる収集や管理を超え、アートそのものの成立条件を規定する行為へと転換しました。
20世紀以降のアートは、まさに「キュレーションなしには存在し得ない」芸術へと変わったのです。
NOTART 3.0 ― 消費・拡散・体験の時代(1980s〜2000s)
草間彌生《無限の鏡の間》:光に包まれる終わりなき体験
もともとは1960年代に制作されましたが、1980年代以降の再展示で爆発的に人気が高まり、SNS時代に「拡散型作品」として再定義されました。
美術館の扉をくぐると、そこは無数の小さな電球と鏡に囲まれた部屋。
観客が一歩足を踏み入れると、天井も床も壁もすべてが鏡で反射し、無限に広がる光の宇宙が出現します。
これが草間彌生の代表作《無限の鏡の間(Infinity Mirror Room)》です。
日本人作家でありながら、ニューヨークを拠点に活動していた草間は、自身の幻視体験を作品化しました。
観客は作品を「鑑賞」するのではなく、「没入」する。
美術館に行列ができ、入場者はわずか30秒〜1分という短い時間で交代します。
それでも人々は数時間待ちの列に並び、この「体験」を求めるのです。
ここでは、NON ART=鏡や電球といった日常的素材が、展示構成と観客の身体的体験によって「アート」へと変わります。
草間作品はSNS時代に最適化され、写真を撮って拡散する行為そのものが作品の延長になっているのです。
村上隆と「スーパーフラット」:オタク文化の世界戦略
日本から世界に飛び出したもう一人の巨匠が村上隆です。
彼は「スーパーフラット」という理論と展示を2000年頃に打ち出しました。
アニメやマンガの平面的な表現を肯定し、それをそのまま大規模なアート作品に昇華したのです。
代表作《DOB君》は、巨大でカラフルなキャラクター。
ルイ・ヴィトンとコラボしたバッグは、アートとファッション、消費文化を直接つなぎました。
村上隆が提唱した「スーパーフラット」は、アニメやマンガといった大衆文化を、美術館や国際市場と同じ地平に置いた理論です。
これは、アートと非アートの境界を意識的にずらし、消費社会そのものを作品の基盤とする発想でした。
本記事で扱う「NOTART」という視点も、歴史的に「本来アートとされてこなかった領域」が文脈によってアートに組み込まれていく過程を整理するもので、「境界を揺るがせる」という問題意識が共通している概念かと思います。
但し、スーパーフラットは単なる批評ではなく、作品制作と市場流通を実際に動かす「実践的思想」だという点です。
本記事で扱う「NOTART」が「キュレーションの道具=非アートをアートに見立てる批評ラベル」であるのに対し、スーパーフラットは「作品制作の実践的思想=市場や展示で機能する理論」として異なる立ち位置にあります。
奈良美智の「無垢な怒り」
1990年代後半〜2000年代に世界的に浸透した、奈良美智の絵に登場するのは、無垢な子どもや犬。
しかしその目は鋭く、挑戦的な視線を投げかけています。
「かわいい」の中に「怒り」や「孤独」を秘めたその表情は、90年代以降の若い世代に強い共感を呼びました。
NON ART=子どもの落書き風の絵が、文脈を与えられ、現代の孤独や社会批判の象徴となったのです。
ダミアン・ハースト《サメ》:死と市場
イギリスのヤング・ブリティッシュ・アーティスツ(YBAs)の中心人物ダミアン・ハーストは、ホルマリン漬けのサメを展示しました。
タイトルは《The Physical Impossibility of Death in the Mind of Someone Living(生きている者の心における死の物理的不可能性)》です。
- 1991年:イギリスのコレクター、チャールズ・サーチの支援でホルマリン漬けのサメを展示。
- 1990年代:YBAs(ヤング・ブリティッシュ・アーティスツ)の象徴的作品として注目を集める。
- 2004年:老朽化のためホルマリン溶液を入れ替え、再制作。
- 2000年代以降:美術市場で数十億円規模で取引される象徴的な「現代アート×市場」の作品に。
水槽の中で静止する巨大なサメは、鑑賞者に強烈な死の存在を突きつけます。
同時に、この作品は市場で数十億円の値が付き、アートとマネーの関係を象徴するものとなりました。
NON ART=死体そのものが、「NOT ART」、いや、ここではむしろ「ART」というラベルをつけられて売買される。
ここに現代アートの逆説的な姿が表れています。
フランク・ゲーリー《グッゲンハイム美術館ビルバオ》:都市を変えた建築
1997年、スペイン・ビルバオに登場したゲーリー設計のグッゲンハイム美術館は、チタンの曲線がうねる未来的建築でした。
この建築が観光客を呼び込み、街の経済を蘇らせたことは「ビルバオ効果」と呼ばれます。
NON ART=都市再生や観光が、建築を通じてNOT ARTとなります。
ここに3.0の特徴である「体験」が現れています。
安藤忠雄《光の教会》
1989年に竣工した、この「光の教会」は、ただのコンクリートの箱に、十字の切れ込みから光が差し込む空間です。
観客は無機質な空間に入り、光そのものを体験します。安藤忠雄は独学の建築家で「自然との対話」を徹底して追求しました。打ち放しコンクリートと光、風、雨といったNON ARTを組み合わせ、NOT ART=建材が精神的体験を生む場に転換されます。
これもまさに「NOTART 3.0の体験型空間」の代表例です。
磯崎新《つくばセンタービル》
1983年に竣工した、つくばセンタービルは、未来都市のような外観で、都市の廃墟的なイメージを同居させました。
都市そのものがインスタレーションであり、NOT ART=建築がアート的に機能しています。
直島:島全体が「インスタレーション」(1990S~)
瀬戸内海の小島・直島は、ベネッセや安藤忠雄の建築群、草間彌生の南瓜オブジェなどによって「島そのものがインスタレーション化」しました。
もともとは瀬戸内の小さな島でしたが、現代アートを軸に観光地化され、今では「訪れること」自体が作品体験となっています。
ここで扱われているのはNON ART=島・自然・生活の場。
しかしそれが「現代アートの聖地」として再編され、芸術祭や観光産業と結びつき、地域経済をも変える装置となったのです。
島全体が「体験の場」として構築された直島は、NOT ART 3.0が示す「消費・拡散・体験」のすべてを体現する空間と言えるでしょう。
ピンク・フロイド《The Wall》:巨大な体験装置
年代的には、ジャケットのヒプノシスとともに、NOT ART2.0の時代から活躍しており、両時代にわたって活動しました。
1979年のアルバム《The Wall》は、コンサートで実際に巨大な壁を組み立て、最後に壊すという演出で観客を圧倒しました。
音楽は単なる演奏を超え、空間的な「インスタレーション」として提示されたのです。
観客は音だけでなく、光、映像、建築的演出を同時に体験しました。
NON ART=舞台装置が、そのままNOT ARTの体験に転換した例です。
ヒプノシスとアルバムジャケット・アートワーク
デザイン集団ヒプノシス(1968結成)は、ピンク・フロイドのアルバムから出発し、商業パッケージ=NON ARTを「アートワーク」へと押し上げた存在です。
- 1968《神秘》で初参加。
- 1970《原子心母》の牛、1973《狂気》のプリズムなど、シンプルな象徴を時代のアイコンに。
- 1975《炎》では炎上握手を実演、1977《アニマルズ》では都市景観を改変。
その革新的ジャケットは大人気となり、ピンク・フロイドに留まらず、レッド・ツェッペリン、イエス、ピーター・ガブリエルなど名だたる大物が依頼。
アルバムジャケットは単なる包装を超え、「アートワーク」と呼ばれる新しい文化領域を確立しました。
ヒプノシスが活動していた 1968年〜1980年代前半 の時点では、まだ現在のようなCG合成(コンピューター・グラフィックス)は存在していませんでした。ヒプノシスの特徴はまさにそこにあります。
ほとんどの作品は 写真撮影+コラージュ+暗室作業(多重露光や切り貼り) で制作。つまり、ヒプノシスは 「現実を舞台化して撮影する」=アナログ時代のインスタレーション的手法 が核でした。
CG以前だからこそ、作品には独特のリアリティと神秘性が宿った、と言えます。
ゲームとインタラクティブ・デザイン
- 《パックマン》(1980, ナムコ/2012年MoMA収蔵)
アーケードゲームとして登場し、世界的なカルチャー現象となりました。シンプルなルールと直感的なデザインで、誰もがすぐに遊べる「普遍性」を備えていました。
2012年にはニューヨーク近代美術館(MoMA)の「Architecture and Designコレクション」に収蔵され、単なる娯楽ではなく デザイン史・文化史における重要作品 として認められました。ここでは、NON ART=ゲーム が、美術館に展示されることで NOT ART=文化的アートワーク に転換された象徴的な事例となりました。
その他、美術館のコレクションとして「NOTART」がアート化された事例
美術館の収蔵という形で「NOT ART」に「アート」のラベルを貼った例は、デヴィッド・ボウイやパックマンだけではありません。
- ビョーク(Björk):MoMAが音楽だけでなく映像やファッションを含めた総合芸術として展示。
- マンガやアニメ原画:ポンピドゥー・センターやMoMAで、かつて娯楽とされた作品が視覚芸術として扱われている。
- 日用品デザイン:MoMAの《Humble Masterpieces》展ではポストイットやジップロックなどが収蔵対象に。
- ストリートアート:バンクシーやバスキアは、落書きやタギングから世界的な美術館収蔵作家へ。
これらはすべて「NOTART」から「ART」への転換点として読むことができます。
やなせたかしと《アンパンマン》:カッコ悪いヒーローに込めた愛と善
アニメというと「火の鳥」とか外せない作品が多数ですが、NHK朝ドラの放送中ということもあって、アンパンマンをセレクトしました。カッコよくないヒーロー像、という過去の常識を破ったという点で、デユシャンの便器のとなりに展示するならこれかな、という想いもあります。
1988年にテレビアニメ化された《アンパンマン》は、今や日本で最も有名なキャラクターのひとつです。
空腹の人に自分の顔をちぎって与えるヒーローという設定は、子ども番組でありながら「自己犠牲」「分かち合い」という深いテーマを孕んでいます。
アンパンマンの世界は、絵本、テレビ、グッズ、テーマパークとあらゆる形で拡張されました。
その浸透力は圧倒的で、日本中の家庭に存在する「アンパンマングッズ」は、社会的共有体験そのものです。
ここで扱われるのはNON ART=子どもの絵本やキャラクター商品ですが、それが世代を超えた倫理観や共同体意識を育む「文化的装置」として機能しました。
「正義とはなにか」「愛とはなにか」をシンプルに問うアンパンマンは、大衆文化の領域にありながら、社会哲学的な問いを幼児教育にまで浸透させた、まさにNOT ART 3.0の代表例と言えるでしょう。

NOT ART3.0のまとめ
NOTART 3.0は「消費・拡散・体験」がアートの条件になった時代でした。
作品はもはや「もの」ではなく、人々が参加し、拡散し、体験する場そのものとなったのです。
長くなったので割愛してしまいましたが、NOT ART3.0の時代は、まだまだ重要な人や作品が山ほどあります。
とても紹介しきれないのですが、一部を列挙しておきます。
特に、音楽や映画などは現代アートの領域では、しばしば「エンターテインメント」として軽視されがちです。
楽しませることを目的とする表現は「浅いもの」とされ、アートの正統から外されてきました。
また、建築は「機能性」必要不可欠なため「デザイン」の延長、として見られることが多い分野です。
しかし、こうした分野の周縁にこそ NOT ART が豊かに存在しています。
大規模なコンサート、スポーツイベントの演出、テーマパークの体験型ショー等、それらは一見「ただのエンタメ」に見えます。
また、建築も機能を追求するだけのようで、実は、そこに「機能以上の何か」を表現したものが多く存在します。
これらは、文脈を与えられれば、そこには批評性や社会的メッセージが潜み、“NOT ART” として立ち上がるものが数えきれません。
つまり、エンタメや日常的なデザイン等の世界は現代アートから切り離された外部なのではなく、むしろ NOT ARTの宝庫 なのです。
それは、音楽のレコードジャケット等に見られるように、「現代アート」というラベルのある作品たちの大きな流れが、その時代のエンタメや日常的な工業製品、建築物等にも大きな影響を及ぼしたはずです。
「現代アート」が嫌われて批判されるものがありながらも、実は、そのコンセプトや主張は、私たちが「現代アート」だと認識していない日常のエンタメや身の回りのデザイン等のクリエイターの共感を呼び、「NON ART」に対しても影響を及ぼして、現実社会が形成されている部分があるのではないでしょうか。
現代アートは中心に見えて、実は並列のひとつ
下記の追録リストは、「現代アート」というラベルを持つ作家と、そうでない周辺ジャンルのクリエイターを同列に並べたものです。これを見ると、NOT ART 3.0 の時代には、ラベルの有無にかかわらず広大なクリエイションの世界が広がっていることがわかります。しばしば現代アートは知的クリエイションの最上位と見なされますが、実際には単に「ラベル=カテゴリの違い」にすぎません。
「アートになった」と言われると、格が上がったように響きます。しかし本質はクオリティの上下ではなく、社会へのメッセージがどれだけ強く反響したか という点にあります。現代アート作家は「オリジナリティ」や「最初の一滴」を問われ、実利的な制約に縛られずに社会への問いを先導する自由度が高い。そのため「中心に近い」と感じられることがあるのです。
けれどもラベルを外してみれば、中心という構図そのものが消え、残るのは相互に響き合う多様なクリエイションです。
「NOT ART」という大きなラベルでくくれば、そこには序列はなく、ただ境界で反響し合う声の混在があるだけ、ということを感じられるはずです。
NOTART3.0 追録
もはや記載しきれないため、作家や作品のレベル・重要性や人気の順位付けとは一切関係ありませんので、未記載の作家のファンの皆様、その点、ご容赦ください。
現代アート
- ジャクソン・ポロック(アクション・ペインティング):少し時代は早いが、体験型アートの源流。
- アンゼルム・キーファー:戦争の記憶と素材性を結びつけた大規模絵画・インスタレーション。
- カラ・ウォーカー:影絵を用い人種・ジェンダー問題を批評する作品群。
- ビル・ヴィオラ:ビデオインスタレーションの第一人者。スローモーション映像で精神性を提示。
- マシュー・バーニー《クレマスター・サイクル》(1994–2002):映像と身体を用いた巨大コンセプトアート。
- シンディ・シャーマン:セルフポートレート写真でアイデンティティを解体。
- ジェームズ・タレル:光と建築を操作し、感覚の限界を体験させる。
- オラファー・エリアソン:《The Weather Project》など環境と身体を接続する大規模装置。
- アイ・ウェイウェイ:社会問題を素材に現実批評としての空間芸術を提示。
建築
- レンゾ・ピアノ & リチャード・ロジャース(ポンピドゥー・センター)
- レム・コールハース(ポストモダン都市論)
- ザハ・ハディド:コンピュータ建築時代の先駆け、曲線と未来的フォルムを導入。
音楽
- フランク・ザッパ:音楽と政治風刺・実験を融合、ロックを批評性のあるアートへ。
- ローリー・アンダーソン:パフォーマンスとテクノロジーを融合させたアート的音楽家。
- ブライアン・フェリー/ロキシー・ミュージック:ファッション・アートとの接続点として影響大。
- U2《Zoo TV Tour》(1992):巨大スクリーンや映像操作を駆使した「ライブ=メディアアート」。
- マイルス・デイヴィス(エレクトリック期):ジャズを分解し、音響実験と美学を提示。
- サン・ラ(Sun Ra):宇宙をテーマに音楽・映像・パフォーマンスを統合=アフロフューチャリズムの源流。
- 坂本龍一:映画音楽や社会活動を通じて、歴史・戦争=NOT ARTを旋律に翻訳し、音楽を批評装置へ拡張。
映像・映画
- デイヴィッド・リンチ:《イレイザーヘッド》《ブルーベルベット》などでシュルレアリスム的映像を大衆映画に。
- ケン・ラッセル:《トミー》(The Whoのロックオペラ映画, 1975)→ロックと映像の総合芸術。
- ジョージ・ルーカス/スター・ウォーズ(1977〜):娯楽大作ながら神話構造と映像革新を持ち込み、世界的文化装置に。
- リドリー・スコット:《ブレードランナー》(1982)→SF映画を哲学的・視覚芸術的体験に昇華。
- 宮崎駿/スタジオジブリ:《風の谷のナウシカ》(1984)以降、アニメを世界的な芸術言語に。
- クリント・イーストウッド《許されざる者》(1992):西部劇を自己批評へ反転、暴力神話を解体する一種の反戦映画。
- スティーヴン・スピルバーグ:《シンドラーのリスト》《プライベート・ライアン》で歴史の現実を映画に刻んだ。
マンガ・アニメーション
- 手塚治虫:《火の鳥》《ブッダ》などで娯楽マンガを哲学・宗教・生命論に昇華。
- 大友克洋:《AKIRA》(1982〜)でマンガ・アニメの映像表現を刷新し、世界的文化装置に。
- 藤子・F・不二雄:《ドラえもん》で未来観・テクノロジー・倫理を子供向けエンタメに織り込み、社会的想像力を形成。
テレビ・メディア
- ナム・ジュン・パイク:テレビを素材にしたビデオアートの先駆者。大衆メディア=NOT ARTを批評的に使用。
- MTV:音楽と映像を融合させたメディアプラットフォーム。ポップカルチャーの消費=アート体験の変容を牽引。
演劇・パフォーマンス
- ピナ・バウシュ:ダンスと演劇を融合し、舞台そのものを現代アート化。
- ロバート・ウィルソン:舞台を美術・映像と接続、没入型体験を創出。
写真・メディアアート
- アンドレアス・グルスキー:巨大スケールの写真で経済・グローバル化を可視化。
- 森山大道:アレ・ブレ・ボケの写真スタイルで都市の感覚を切り取る。
文学
- ジェイムズ・ジョイス:《ユリシーズ》(1922)で日常を実験的言語に昇華し、文学と批評の境界を開いた。
- フランツ・カフカ:不条理を通じて「現実=NOT ART」を文学的に批評。
- サミュエル・ベケット:《ゴドーを待ちながら》(1952)で不条理劇の原点を築き、文学・演劇・哲学を横断。
- ガブリエル・ガルシア=マルケス:《百年の孤独》(1967)で魔術的リアリズムを確立し、現実と幻想を並列化。
- フィリップ・K・ディック:SFを哲学的実験場にし、映画や現代アートに反響を与え続ける。
- 村上春樹:ジャズやポップカルチャーと文学を接続し、現代人の無意識を国際的文学言語へ。
NOTART 3.0 関連潮流と作家(1980s〜2000s)
※現代アート正史においてよく取り上げられる主義・作家 を補記します。
- シミュレーショニズム:ジェフ・クーンズ、シェリー・レヴィーン、バーバラ・クルーガー
- ニュー・ペインティング:ジャン=ミシェル・バスキア、ジュリアン・シュナーベル、アンゼルム・キーファー
- グラフィティ/ストリートアート:ジャン=ミシェル・バスキア、バンクシー(後出)、Invader、vhils
NOTART 4.0 ― ネットワークとAIによる批評の時代(2000s後半〜2025)
2000年代後半から今日にかけて、アートは ネットワーク と 人工知能(AI) によって根本から変容しました。
拡散・批評・生成そのものがアートの条件となり、美術館の外、SNSやアルゴリズム空間で成立する時代です。
自律型AIの衝撃 ― AIプログラマーが「アーティスト」になる時代!?
2022年、Stable Diffusion や Midjourney が一般公開されました。
これまで専門家やプログラマーだけが扱えたAI画像生成が、ついに誰でも数秒で作品を生み出せる時代に突入したのです。
例えば、テキストで「sunset over futuristic Tokyo, cyberpunk style」と入力すれば、まるでプロのイラストレーターが描いたかのような画像が現れます。
ここで重要なのは、プロンプトを書く行為そのものが「キュレーション」になり得るという点です。
AIに与える指示の言葉選びによって、生成される結果は大きく変わります。
つまり「制作」と「キュレーション」が一体化し、言葉に思考や主張を込めることで、誰もが「NOT ART 4.0の作家」となれる可能性が開かれたのです。
さらに近年では、プロンプトすら不要となる自律型AIが登場しました。
この技術は「作者は誰なのか?」という根本的な問いを投げかけます。
まさにソル・ルウィットが語った「アートはアイデアである」という概念が、改めて注目される時代に入ったと言えるでしょう。
もし彼が今も生きていたら、自律型AIの生成した作品の「作者」を誰と見なしたでしょうか。
ここで焦点となるのは、プログラマーがアート生成のロジックをどこまで設計したのかという点です。
しかし、もし生成物が社会的な共感を全く呼ばないなら、それは「アート」とは呼ばれず、単に著作権などの法的問題の対象にとどまるでしょう。
逆に、社会の共感を呼び起こす生成物を生み出す「アート生成の自律型AI」を設計できたなら、そのプログラマーは「アーティスト」として評価されるべき、ということになりますが…
いよいよ、アートとテクノロジーの境界が揺らぐややこしい時代に突入しました。
バンクシーと「シュレッダー事件」:市場批判のパフォーマンス
2018年、ロンドンのサザビーズで行われたオークション。
バンクシーの代表作《Girl with Balloon(風船と少女)》が約1.5億円で落札された瞬間、額縁の中で「ジジジ…」という音が鳴り響きました。
作品は額縁に仕込まれたシュレッダーにかけられ、下半分が細断されて垂れ下がりました。
会場は騒然。
オークションは混乱しましたが、作品はそのまま「完成作」として再評価されました。
むしろ破壊のパフォーマンス自体が新たな価値を生み、価格はさらに高騰したと言われています。
ここでは、NON ART=破壊行為が、そのまま作品の一部となりました。
そして、アート市場を批判するはずの行為が市場に取り込まれるという逆説的な状況も浮き彫りになりました。
Refik Anadol《Unsupervised》:MoMAをデータで満たす
2022年、ニューヨーク近代美術館(MoMA)のロビーに、巨大な映像インスタレーションが登場しました。
Refik Anadol の《Unsupervised》です。
AIにMoMA所蔵の数十万点の作品データを学習させ、それを絶えず変化する3D映像として空間に投影。
色と形が流動し、抽象画や彫刻の断片が次々と溶け合い、観客はデータそのものの「夢」を体験します。
NON ART=数値データが、AIとキュレーションを通じてNOT ART空間をつくり出す。
ここにNOTART 4.0の象徴的な姿があります。
ダントー理論の再来
1980年代、哲学者アーサー・ダントーは「芸術を芸術たらしめるのは理論である」と述べました。
デュシャンの《泉》を例に、物体が芸術になるのは「芸術世界の理論に位置づけられるからだ」と。
AIアートの時代、同じ問いが再び浮上しています。
AIが生成した画像は、単なる「NON ART=アルゴリズムの出力」です。
しかし、美術館で展示され、批評家が語り、観客が意味を見出した瞬間、それは「NOT ART」となる。
AIにプロンプトで指示を出すのは人間であり、作者はプロンプトの指示者、という見方もできますが、自律型AIの出現で、その概念すらも揺らぎつつあります。これをどう考えるべきなのか、まだ議論ははじまったばかりです。
AI作品もまた、キュレーションと理論と今後の社会的合意によってNOT ARTに変わっていくかもしれません。
アイ・ウェイウェイ:デジタル社会の社会彫刻
中国出身のアーティスト、アイ・ウェイウェイはSNSを駆使して政治批判を行ってきました。
震災被害の犠牲者名を並べたインスタレーション、難民危機を可視化する映像作品。
そして、それらはツイッターやInstagramで拡散され、世界的な共感を呼びます。
ここでは、NON ART=社会的な出来事が、デジタル空間で「共有されること」自体によってNOT ARTに変わります。
彼の活動は、ボイスの「社会彫刻」がインターネット時代に進化した形とも言えるでしょう。
SNS文化と「日常のキュレーション」
私たち一人ひとりも、知らぬ間にNOTART 4.0に参加しています。
Instagramでランチを撮影し、ハッシュタグを付けて投稿する。
X(旧Twitter)で出来事を写真と一言でシェアする。
これらはすべて「NON ART=日常の断片」を、文脈を与えて「NOT ART」として公開するキュレーション行為とも言えますが、もちろん、同じインスタグラムを見ても、キュレーションとしての意図が強く感じられるものもあれば、単なる「NON ART」の画像であって、個人的な記録に過ぎない「情報の伝達、公開」の域を出ないものが殆どかもしれません。
しかし、そうした人でも、この記事を読まれて「NOT ART」への転換を意図した瞬間から、単に「イイネ」や「フォロワーを増やしたい」という目的から、アート・キュレーションを強く意識したアップ画像の構成に変わるかもしれません。
バンクシーの壁画や草間彌生のインスタレーションと同じように、SNS上の画像は「いいね」や「シェア」を通じて意味を獲得し、NOT ART的に機能するメディアとなる余地があります。
AI音楽・バーチャルライブ ― 境界を超える体験
音楽も同じ潮流を迎えています。
AIによって生成された楽曲、ボーカロイドによる歌声、そしてバーチャル空間で開催されるライブ。
観客はヘッドセットを通じてステージに入り込み、リアルとデジタルが融合した「体験型NOT ART」に参加します。
ここでは、NON ART=データやアルゴリズムが、観客の身体を介してNOT ARTに変わります。
参考:周辺クリエイションから「アート」と呼ばれた新鋭たち
NOTART 4.0 が示す境界の拡張は、すでに世界の美術館で具体化しています。
かつては「ポップカルチャー」「デザイン」「娯楽」とされた領域からも、新たなアーティスト像が生まれつつあります。
- Holly Herndon – AIボイスを用いた音楽とパフォーマンス。テート・モダンなどで展示。
- Arca – 身体と映像を融合した音楽家。MoMAやICA Londonで取り上げられる。
- Refik Anadol – データとAIを素材とする没入型インスタレーション。MoMAやLACMAに収蔵。
- TeamLab – 日本発デジタルアート集団。森美術館などで「体験型アート」として扱われる。
- KAWS – グラフィティ出身。MoMA PS1やBrooklyn Museumで大規模展。
- MADSAKI – 漫画的表現を大画面に展開、現代アート市場で評価。
- Shona Heath / Hussein Chalayan – ファッションや舞台美術を横断し、美術館でアートとして提示。
- Jenova Chen (thatgamecompany) – 『Journey』『Sky』を通じて「ゲーム体験=アート」と認定。
これらはすべて「NOTART」から「ART」へ移行した事例であり、次世代の境界的クリエイションを考えるうえで欠かせない参照点となります。
NOTART 4.0の特徴
- 制作とキュレーションの一体化:プロンプトを書くこと自体が創作行為。
- 社会的拡張:SNSでの拡散が作品の一部になる。
- AIとの協働:人間と機械の共同制作が常態化。
- 批評の再定義:理論と文脈が、NOT ART成立の最後の鍵となる。
NOTART 4.0 関連潮流と作家(2010s〜2020s)
※AIやSNS以外にも、現代アート正史で評価される主要作家や潮流 を補記します。
- AIアート/データアート:Refik Anadol、Beeple(NFT)、Ian Cheng
- ポストインターネットアート:Amalia Ulman、Hito Steyerl
さいごに ― 「キュレーションの時代」を生きる
NOTART 1.0〜4.0を振り返ると、アートの核心は常に「NOT ART」をどう扱うかにありました。
- 1.0:モノや日常を置くことでアートに。
- 2.0:概念や社会を作品そのものに。
- 3.0:消費・拡散・体験を通じてアート化。
- 4.0:AIと人間の協働による新しいキュレーション。
現代アートは「わからない」と批判されがちですが、それは「NON ARTをどうNOT ARTに変えるか」という問いを突きつけているからです。
そしてその問いに答えて「ART」というラベルを貼る行為がキュレーションです。
SNSを使い、AIを触り、街を歩き、音楽を聴く。
私たち一人ひとりがすでに「NOTART 4.0」のキュレーターにも成り得る時代なのです。
最後になりますが、下記のサイトから引用します。
2021年のインタビューで、アイ・ウェイウェイは芸術の力と限界について次のように語っています。
「芸術家は戦争を止めることはできません。過去を振り返ってもそうですし、現在も未来も同じでしょう。その意味において、芸術は無力と言えるかもしれません。しかし、自分たちの感情を獲得し、我々が何者であるかを権力に示すという点で芸術は力をもっています。それがもっとも重要なことです。政治家の個人的な野望や政府がもつ国家に対する間違った考えに異を唱え、我々の人生はすべからく有意義で美しいものだとメッセージを発していくことができる。そういう意味では、芸術家は強力な存在なのです。」
― The Fashion Post 「アイ・ウェイウェイが語る“危機の時代における芸術家の役割”」(2021年インタビューより)
https://fashionpost.jp/portraits/228842
芸術家の一人一人は、戦争を止められない、地球温暖化も止められない、かもしれませんが、その生き方、思想の表出としての作品が、社会の良識ある人々の大きな共感と行動への覚悟を導いた時、それは、決して無力ではないと思います。
「NOT ART3.0」の時代でみたように、「現代アート」というラベルをつけた「NOT ART」作品のいくつかが、静かに「NON ART」の世界にも影響を及ぼし「現代アートのラベルのないNOT ART」となって大衆の生活の中に息づいています。
作品の表現方法によっては、「訳が分からない、意味がない、無駄だ、嫌いだ」という批判はこれからも消えることは無いかもしれませんが、キュレーションのあり方次第で、そういう声も逆転する可能性があります。
誰に向けて何を伝えていくのか、NOT ART4.0の時代のキュレーションが目指すべき道しるべです。