ラテアートの世界

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最も儚いアート~カフェで楽しむラテアート

世界で最も儚いアートと言えば… 一瞬で形を変えていくアート、というと、すぐに思い浮かぶのがカフェで淹れてもらえるコーヒーのラテアートでしょうか。 ラテアートの起源や歴史については、正確な発明者を特定するのは難しいですが、1980年代から1990年代にかけて、イタリアやアメリカのバリスタたちの間で始まったとされています。 以下にその概要をまとめてみました。 (正確な情報かどうかは不明です。)

起源

  • イタリアのエスプレッソ文化 ラテアートの基礎はイタリアのエスプレッソ文化にあります。ミルクをスチームしてクリーミーなフォームを作り、エスプレッソに注ぐ技術はイタリアで発展しましたが、アートとして意識的にデザインを描く文化はまだ確立されていませんでした。
  • アメリカでの発展 ラテアートが「アート」として進化したのは、アメリカ、特にシアトルなどのコーヒー文化が盛んな地域でだと考えられています。1980年代後半から1990年代初頭にかけて、バリスタたちがスチームミルクを使って自由なデザインを追求し始めました。

主な人物

  • デヴィッド・ショマー(David Schomer) アメリカのコーヒーカルチャーにおいて、ラテアートを普及させた先駆者の一人とされています。彼はシアトルにあるカフェ「Espresso Vivace」のオーナーであり、ラテアートの技術を磨き、広めました。ショマーは特に「ハート」や「ロゼッタ」のデザインに大きく貢献しました。
  • ルイジ・ルピ(Luigi Lupi) イタリアのバリスタで、ラテアート技術の国際的な普及に貢献した人物です。彼の技術は多くの若手バリスタに影響を与えました。

技術的な進化

  • ラテアートは、エスプレッソのクレマ(表面の泡)とスチームミルクの質が重要です。
  • エスプレッソマシンの進化やスチームミルクの技術向上が、このアートを可能にしました。

現代のラテアート

  • 現在では、単なるハートやロゼッタに留まらず、3Dラテアートやカラーラテアートなど、さらに複雑で創造的なスタイルが登場しています。
  • ラテアート競技会も世界中で開催され、バリスタたちがその技術を競い合っています。

まとめ

ラテアートは、エスプレッソ文化の進化とともに、イタリアとアメリカのバリスタたちが協力して発展させたものであり、今ではコーヒー文化の一部として世界中で愛されています。

この記事のラテアートの写真は、美味しいコーヒーと焼き菓子が楽しめる、駒場東大前駅のちかくにある自家焙煎カフェの「GRATBROWN Roast and Bake」のものです。

下記は、ホットサンドのセットで出して頂いた、ダーティチャイのラテアートです。

 

 

日本ラテアート協会

コーヒー等の飲料とミルクを使い、カップの液面に美しいハートやリーフのアートを作ることを「ラテアート」と言います。
写真に撮らない限り、その一瞬で消えてしまうという意味では、アートの中でも最も儚い一瞬のアートですが、視覚だけでなく、同時に味覚も味わえるというのが他のアートにはない特徴です。
このラテアートですが、実は「ラテアート協会」なるものもあるんですね。
ラテアート協会は、ラテアート技術の向上と普及を目的とした組織です。 ラテアートは、バリスタの技術と創造性が求められますので、協会はバリスタの育成や技術の向上、ラテアートの文化を広めるために様々な活動を行っています。
ご興味ある方は、日本ラテアート協会のサイトをご覧ください。 (このページの写真はラテアート協会のサイトからの引用ではありません。)