現代アート(NOT ART)のこれからのスキルとは

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AI時代の表現と真実の未来

アートとスキルの変化

伝統的なアートは、美しいものを生み出すための熟練した技巧に支えられてきたと考えられます。ピカソやマティスも、自由奔放に描いているように見えながら、実際には古典的な訓練を徹底して積んでいたといわれています。
しかし20世紀以降、アートは技巧から解放され、コンセプトや社会的文脈を重視する表現へと移行してきたとみなすこともできそうです。

現代アートにおいては、必ずしも「上手に描くこと」が中心ではないと考えられています。コンセプトを立てる力や文脈を読み解く力、展示空間を構成する力、リサーチ能力や批評的思考、さらに観客や社会とつながる力などが重視される時代に変化したのです。

「NOT ART」という逆説

こうした転換は、しばしば批判を呼んできました。
「子供の落書きと変わらない」「技巧がないのに高額で売られている」――現代アートは常に「これはアートなのか?」という問いを突きつけられてきたともいえます。
つまり「現代アート」と言われるように、「アート」のラベルを使うからこのような誤解や批判を生むのです。

その中で登場したのがこのサイトでも主張する 「NOT ART」 という逆説的なラベルへの移行の運動です。

  • デュシャンやダダは「反芸術(ANTI-ART)」を掲げ、アートの枠組みを挑発しました。

  • コスースは「アートとNOT ARTの境界」を哲学的に問いました。

  • ダントーは「芸術の終焉」を論じ、アートの本質を「哲学的な区別」に見いだそうとしました。

  • バンクシーは「NOT ART」という言葉をそのまま武器のように用い、批判をブランド化しました。

このように、批判そのものを取り込んでいく、ということも行われて今日に至っていますが、SNSやAIの出現など、時代は大きく変化しており、そろそろこういう議論をやめて、新たな時代に移行してはいかがでしょうか。

それには、「ANTI-ART」という伝統的なアートとの対立を煽るような呼称よりも、自らが「アートなんかじゃないよ」という「NOT ART」の方が平和的な呼称だと感じます。

もちろん、古典的な技法のスキルを活かした「NOT ART」はAIだけでは生み出せないものを造形、表現することで、よりインパクトのある共感を呼ぶ大きな手段としてこれからも残っていくはずであり、そうしたスキルの重視派と対立するのではなく、どちらも尊重していくべきなのではないでしょうか。

AIと表現の未来

この「NOT ART」の構図は、AIの表現にも重なる部分があるように思われます。

  • 漢字の正確さ:2026〜2027年頃にはOCRやフォントデータを統合したモデルによって克服される可能性が指摘されています。

  • 人間の手の正確さ:2030年前後には3D形状ベースの学習が進み、精度が飛躍的に高まると予測されています。

AIは「答えが決まっている対象(文字)」は比較的早く習得できる一方で、「答えが無限に変化する対象(手)」には時間がかかる傾向があるようです。
この非対称性は、人間の技巧と多様性の関係を映し出しているとも考えられます。

フェイク画像の脅威と対策

AIが精密な表現を可能にすれば、フェイク画像の脅威が一層拡大していくと考えられます。

技術的な対策として検討されているもの

  • 透かし・ウォーターマーク:目に見えない情報を埋め込む方法。

  • メタデータ署名(C2PA規格):誰が、いつ、どの機器で撮影・編集したかを暗号署名として残す仕組み。

  • カメラ署名:ソニーやニコンなどが開発中で、撮影時にカメラ本体が改ざん不能な署名を付与する技術。

  • ブロックチェーン認証:写真のハッシュ値を分散台帳に記録し、改ざん検知を可能にする方法。

それでも残る課題

  • JPEG再圧縮やSNS投稿によって透かしやメタデータが容易に消えてしまう可能性。

  • 巨大な組織が「透かし無しAI」や「署名を外す技術」を悪用するリスク。

ニュースの未来と検証機関の必要性

こうした状況を受け、未来のニュース流通は次のように変わっていくのではないかと考えられます。

  • ニュース写真・映像には署名必須
    → C2PA署名やカメラ署名がないものは、報道として扱えない社会標準が確立する可能性があります。

  • フェイク検出の専門機関の設置
    → 国際機関や政府レベルで「フェイク検証センター」が必要になると議論されています。
    → 民間のファクトチェック団体や報道機関内の「Verification Desk」も強化されていくと考えられます。

  • 新しい基準の定着
    → 信頼の尺度は「透かしがあるから信じる」のではなく、「透かしが無いから信じない」へと変化していく可能性があります。

現代アート/NOT ARTの社会的意義

ここで改めて問われるのは、現代アートやNOT ARTがどのような意味を持つのかということです。
それは「技巧」や「定義」をめぐる遊びにとどまるものではないのかもしれません。

AIやフェイクの時代において、現代アートやNOT ARTには次のような役割が期待されるのではないでしょうか。

  • 社会の分断を埋める

  • 多様性を評価する

  • 悪を駆逐する共感を生み出す

つまり、アート/NOT ARTとは、もはや美術館に閉じ込められた表現ではなく、社会を結び直す触媒として作用することが期待されるのだと思われます。

 

そのためには、NOT ARTは、実物展示を優先するためにネット公開しない、ということよりも、まずは容易で安価に社会に広く認知される現実的な手段として、ネット公開のスキルを重視し、自ら積極的に発信して、実物展示の機会との相乗効果を狙っていく、ということが求められるかもしれません。

 

ネット公開を費用の掛かる専門業者への外注するのではなく、従来のアートや展示キュレーションに必要とされたスキルと同様に、ネットキュレーションのスキルとして習得していくことが、NOT ART作家には必要不可欠な時代になっていくのではないでしょうか。

NOT ARTの未来とは

最後に、この全体を凝縮した宣言を記してみます。

未来ビジョン宣言

アートか、NOT ARTか――それはもはや問題ではありません。
大切なのは、分断を超えて人と人をつなぐことかもしれません。
技巧よりも、問いよりも、必要とされるのは共感であるように思われます。
多様な声を見える化し、互いの違いを祝福できる社会が望ましいのではないでしょうか。
偽情報や憎悪を利用する「悪」を共感の力で無力化できることが期待されます。
批判すらも共有し、対話に変えることが求められるかもしれません。
アートは美術館に閉じ込められるのではなく、社会を動かす触媒を目指すべきです。
NOT ARTは、その境界を越える勇気を与えてくれるものかもしれません。
アートのエリートと大衆の分断を統一し、共に創りましょう―未来の表現と未来の社会を。

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