NON ARTからNOT ARTへ ― 現代アートはどこで生まれるのか?

外部ページURL

ただの「もの」がアートになる瞬間

「現代アート」のラベルを「NOT ART」に張り替える

美術館に置かれた便器、スーパーに並ぶ缶詰、誰にも見せられなかった写真。
それらは本来「アート」ではありません。


しかし、展示され、解説され、議論を呼び起こすとき、それらは「現代アート」と呼ばれるようになります。

ところが、世間の「現代アート」というラベルやキュレーションは、しばしば狭すぎるのです。

現代アートの領域では、ポップカルチャーや大衆的な表現がしばしば「アートではない」と切り離されてきました。

Artstylicでは、その境界線を少し違った角度から見直すために、あえて「現代アート」を NOT ART と呼び替えています。

この呼び方には、「一見アートではないように見えるものの中にも、現代アートを理解する上で重要な要素が潜んでいるのではないか」という視点が込められています。
そして同時に、「現代アート」に嫌悪感を持つ人々と専門的なアートの世界との間にある価値観の分断を、少しでも埋める試み でもあるのです。

NON ARTとは何か

  • 日用品、消費財、記録データ、娯楽映像など、そもそもアートの意図も文脈も持たないもの。

  • 「ただの物体」「ただの出来事」として存在する状態。

  • 例:便器そのもの、スーパーの商品棚、未現像のネガ、ただの環境音。

NON ARTは純粋にアートの外部にあります。

NOT ARTとは何か

NOT ART=Artstylicが呼び替える現代アートです。

本来は現代アートに数えられるべき表現が、
「これはアートではない」「ただの娯楽」「ただのポップカルチャー」と見なされる――その誤ったラベルを逆手に取って、Artstylicは「NOT ART」と呼びます。

例:デュシャンの《泉》

便器はただの日用品=NON ART。
しかし展示された瞬間「これはアートではない(NOT ARTだ)」と批判されました。
その否定こそが、現代アートの議論を切り拓いたのです。

例:ジョン・レノン《イマジン》

この曲はポップソングとして流通しましたが、背景にはオノ・ヨーコのコンセプトアート的発想がありました。
平和をめぐる批評的メッセージを社会全体に拡張したにもかかわらず、現代アートのキュレーションからは排除されてきました。今では、正式にジョンとヨーコの共同作品として認められています。
Artstylicにとって、これは典型的な「NOT ART」なのです。

誰がNON ARTをNOT ARTにするのか?

問いはこうです。
「NON ARTをNOT ART=現代アートへと立ち上げるのは誰か?」

  • 作家:素材や出来事(NON ART)を作品として提示する(例:シンディ・シャーマン)。

  • キュレーター/他者:死後の発掘や展示で文脈を与える(例:ヴィヴィアン・マイヤー)。

  • 観客/社会:解釈や議論によって「これはアートではないのか?」と問い直す。

この三者の関与が、NON ARTをNOT ART(=現代アート)へと変えるのです。

写真における二つの事例

シンディ・シャーマン ― セルフキュレーション

  • 《Untitled Film Stills》で自らをモデルに演出。

  • 映画スチルのようで映画ではない写真=NON ARTを、コンセプトによってNOT ART=現代アートへ。

  • 作家自身がNON ARTをNOT ARTにした典型例。

ヴィヴィアン・マイヤー ― 死後のキュレーション

  • 生前は発表されなかったストック写真=NON ART。

  • 死後に発掘され、「なぜ見せられなかったのか」という問いを呼びNOT ARTに浮上。

  • 他者のキュレーションがNON ARTをNOT ARTにした例。

この対比は、「NOT ARTを生むのは作家か、キュレーターか?」という問いを鮮明にします。

Artstylic的視点

Artstylicでは、アートの分類を次のように整理します。

  • NON ART:アートの外部にあるもの。

  • NOT ART:Artstylicが現代アートを呼び替えるラベル。“アートではないように見えるが、アートとして立ち上がるもの”。

  • ART:古典的・伝統的なファインアート。

この枠組みによって、現代アートは「NOT ART」として位置づけられ、非アート(NON ART)と伝統的アート(ART)の中間領域にあることがわかります。

アートは「NON ART」の外部から突然生まれるのではありません。
日用品や記録、出来事といった NON ART が、作家・キュレーター・観客の関与によって文脈化されたとき、
それは NOT ART=現代アート として立ち上がります。

便器、缶詰、セルフポートレート、死後に発掘された写真――
そしてジョン・レノンとヨーコ・オノの《イマジン》。


これらはすべて、当初はNON ARTとして扱われ、しばしば「アートではない」と退けられてきました。

しかしその否定の背後にこそ、現代アートの本質が隠れています。

NOT ARTとは、Artstylicが現代アートを呼び替えるために用いる独自のラベルです。
それは「アートではない」と見なされがちな表現群をも視野に含め、現代アートをより広い文脈の中で読み直そうとする試みでもあります。

必ずしも美術館や専門的なキュレーションに収まらなくとも、社会や日常の中で「これはアートなのではないか?」と問いを投げかける瞬間こそ、現代におけるアートの生きたかたちなのではないでしょうか。

そして、「こんなものがアートと言えるのか?」といった不毛な議論に終止符をうち、「NOT ART」としての作品の主張に耳を傾けて議論する、ということに向かって欲しいと思うのです。

関連記事
ブログ一覧