AI is humanity's echo.
The First Drop ― 境界 ―

この作品はAIを利用していますが、アートにAIを使うことを全面的に肯定している立場ではありません。
また、大学の公開講座の中で制作した作品ですが、自由テーマの中での作品であり、大学や指導教員の公式見解やスタンス等とは一切関係のない、個人的なものです。
自分で撮影した写真以外のイメージ画像はAdobe Stockで販売されている著作権利処理済みデータのFirefly由来の生成AI画像に加工修正を加えています。
私の美術館:The First Drop ― 境界 ―
この箱に入れたもの
AIとの対話から紡いだ詩と、シュレッダーで裁断された紙屑を透明なケースに収めています。
蓋には AI is humanity’s echo. と印字した写真を入れ、中の紙屑が覗く切れ目を入れました。
【詩の内容】
The First Drop ― 境界 ―
大海の最初の一滴を どこに垂らすのかを決めるのは 人間だ。
AIもまた創る。
だが、波紋を始めるのは人間だけ。
アートは 生存を超えた遊びであり、 存在の証。
その境界に、私たちは立っている。
(この詩を印刷したカードの最後には、当初の宣言通り、AIとの共作であることを明示しました。)

詩をAIと共作するということ
アートとは、人間の多様性を表出させる行為そのものです。
「詩」を作るという最も人間的な行為の一つにAIを使うことは
アートにAIを使うことに反感を持つ人からは、もっとも忌み嫌われるでしょう。
AIの発明も、核兵器の発明に匹敵するかもしれません。
価値観の多様性が、価値観の分断を生む、という人類滅亡のパラドックスも二重の意味で表現してみました。
現代アートとしては、説明しすぎですね。
もう一つのアイテムは、説明せずに解釈の余白を残しておきます。
ART×AI≠PoC死
箱の外に貼ったカードの意味
アートとビジネスのパラドックスを超えて
アートの世界では「AIを使うべきか否か」をめぐって議論と反感が渦巻く。
一方、ビジネスの現場では「AIを使うのは当然」という風潮が広がっているが、著作権をめぐる問題が解決されたわけではない。
ここ数年で、急速に賢くなったとはいえ、AIはしばしば誤り、何でも前向きに肯定するため、真に受けて従えば大失敗につながりかねない。
一方で、アートでは、正確性とかの心配よりも、著作権への不信感や、アートのあり方を巡る、使うか使わないかという価値観の問題が横たわる。
アートは人間の多様性を認識し、相互理解を深めるためのものであるはずが、AIをめぐっては価値観の分断を生みかねないという矛盾に陥る。
ビジネスで、この逆説的な状況に翻弄され「PoC死」に陥らないためには、
むしろ「アート思考」の覚醒に向けて、AIとの「対話の壁打ち」を行うことこそが有効なのかもしれない。
いずれにしても、これがなくても人類は生きてこれたのに、やっかいなものを作ってしまったのである。

作品の背景~アートにおけるAIの倫理的課題を通じて「人間とAIの境界」を探る
アート界では、いまも「アートにAIを用いることの是非」が議論されています。
著作権の問題もまた、世界中で議論や訴訟が続いている解決途上のグレーな部分が残る大きな課題です。
また、アートという分野に限って言えば、著作権問題が解決されたとしても、最後には倫理的価値観の問題が横たわります。
社会では、AIがフェイクに悪用されることが注目される一方で、ビジネス界では「AIを使わないことはありえない」という状況が急速に広がっています。
しかし同時に、AIを導入しても成果に結びつけられない「PoC死」という言葉がビジネス用語として広まるなど、私たちは混沌とした時代のただ中にいます。
こうした背景のもと、私は「アートとAI」という大きくポピュラーなテーマをあえて選びました。
独創的にまとめることが難しい挑戦的な題材でしたが、もともと私がアートに触れるきっかけとなったのはアート関連サイトを始めたことにあります。
コストのかけられない個人のブログサイトであることから、サイト「デザイン」の延長で、記事に使用する画像を実利的な必要性から生成AI画像も使っています。(僅かとは言え、著作権的なリスクを覚悟したうえで、です。)
そこで今回、自分の作品をこのサイトに掲載し、制作のプロセスもあわせて共有することを目的として、チャレンジしてみることとにしました。
ただし、この作品は「AIを使うべき/使うべきでない」という主張ではありません。
この作品にAIを使った問いの核心は、著作権問題が仮に解決されたとしても残り続ける倫理観の問題にあります。
個人的には、倫理観の問題については、伝統的技法や表現が重要な「ファインアート」的分野と、現代アート、コンセプチュアルアートの分野では、問題の核心は異なるものと考えています。
なぜなら、こうした倫理的、社会的な課題こそが、コンセプチュアルアートの大きなテーマとなりうるからです。
(アートの境界が曖昧なデザインの分野においては、倫理的な問題よりも著作権上の問題の方が比重が大きいと考えられますが、アート的表現を重視するデザインとなれば、その比重が変わります。)
人間の文明の利器の追求の上で生み出されてしまったものは、それが無かった時代には戻せません。
カメラの出現が写実的絵画の価値を失わせた一方で、印象派などに大きな影響を与えました。
AIの出現は、何を失わせ、何を生み出すのか?
果たして、私たちを幸せにするのか、破滅へと導くのか?
私たちは、AIの時代にどう向き合っていくのか、一人一人がその置かれた環境ごとに、その決断を迫られているのです。

Fireflyの生成AI画像をさらに手作業でデジタル加工した作品。
(Adobe StockのFirefly由来の生成AIは全て著作権処理を行った画像を学習したもの、とされている。)
「写真表現」を追求する作家であれば、実際に撮影すべき画像。
「生成AI」を使ったことを秘匿すれば、それは自ら「写真家」であることを放棄した欺瞞作家に堕落する。
写真とAIの問題については、あるフォトコンテストで1位となった作品が生成AIであったことが明らかとなり、衝撃的なニュースとなったことが記憶に新しい。
著作権問題が完全に解決されていない現状において、このような生成AI画像のネット公開には問題が横たわるが、アート以外の現実社会では、もはや個々人に著作権違反を問いだすと、社会的な混乱が生じる状況。
(しかし、著作権問題は利用者個人に責任があるとされているAIが多いので注意が必要だ。)
AIをサービスとして提供する企業と著作者(集団)との訴訟が継続しており、法的な解決が待たれている。
この問題の解決の方向がどうであれ、生成AIを使っていることを明示すべきであることは、フェイク画像を排除するうえで必要であるが、悪用を考える人ほどそれを秘匿する、というパラドックスが生じる。
サービス提供者には、生成AIであることを容易に隠せないようにする「技術的な解決」の追求も責務として求められている。
追録作品
Rachel’s Memory
57年前には絶対にありえないと思っていた
空想の一つが現実になった今、
自分の記憶は本当に自分自身の記憶なのか?
それがわからなくなる日がいつか来るのでしょうか?
本作品は、フィリップ・K・ディックの小説『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』に敬意を込めたオマージュ作品です。
左のカードは、原作タイトルから着想を得て独自にデザインし、さらに手作りの粘土細工を組み合わせています。
粘土細工の下にあるのは、40年以上前に人気を博したポケットコンピューター「PC-1350」のメモリー拡張用のRAMカード。
(RAMカードとタイトルの羊「RAM(原作はSHEEPです)」つながりは日本人の私には気がつきませんでしたが、先生の発見を使わせて頂きました。)
右のカードは、AIによって生成されたイメージ画像に「人間の記憶」をテーマにしたオリジナルの詩を配置しています。
原作の著作権は、出版社および原著作権者に帰属します。
AIに作らせる必然性のない「詩」に対して、最後は実利的な利用の記録を公開します。
以下はAIの見解なので正確かどうかの保証はありませんが、今回の研究調査の一環として記載します。
■原作タイトルとの関係
「フィリップ・K・ディックの小説『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』」は著作権で保護されています。
ただし、小説のタイトルそのものは原則として著作権の対象外(創作的表現性が認められないため)。
日本では題号に商標登録がされていれば商標法の問題が生じますが、現時点で「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」自体は商標登録されていないはずです。
よって、「タイトルから着想を得た」程度であれば著作権侵害にはあたりません。ただし、説明文で「原作に敬意を込めたオマージュ」と明記したのは適切と考えられる、らしい。
■粘土細工とRAMカードの利用
粘土細工はご自身の創作物なので著作権的な問題はありません。
「40年以上前のポケットコンピューターPC-1350のRAMカード」については、現物の工業製品であり、意匠権の存続期間(最長25年)はとっくに終了しています。
美術的な著作物と評価されることもありませんので、実物を作品素材に用いることに法的な問題はありません。
■ AI生成画像+詩の配置
AIで生成された画像は、その利用規約の範囲内であれば著作権的に問題なく利用可能です。
その上に配置したオリジナルの詩は、完全にご自身の創作著作物として保護されます。
したがって、「人間の記憶」をテーマとした詩を載せること自体に問題はありません。
■ 意匠権・商標権の観点
本作品に使われている「PC-1350」や「RAMカード」という名称は、既存メーカーの商標である可能性があります。
ただし、「作品説明」に事実として明記する程度なら商標法違反にはあたりません(商品表示として使っていないため)。
デザインの意匠権もすでに存続期間が切れているため問題なし。
■ 総合評価
著作権侵害のリスク:低い
タイトルを直接コピーして商用利用しない限り、問題はほぼありません。
意匠権・商標権リスク:ほぼない
古いハードウェア部品を素材として利用することに権利は及びません。
■推奨される対応
説明文にあるように「原作の著作権は出版社と著作権者に帰属」と明示しておくのは良い対応です。
商用展示や販売の際には「オマージュ作品であり、原作や出版社と関係はない」旨を明示しておくとさらに安心です。
本の表紙がダメな理由(要約)
表紙デザイン(イラスト・レイアウト・文字)は著作権で保護されているため、そのまま利用すると著作権侵害になる。
「引用」の条件(批評・研究目的、主従関係、必要最小限)を満たさない限り、展示や作品に使うのは不可。出版社ロゴやシリーズ名などが商標登録されている場合、公式と誤認されるリスクもある。
よって、表紙そのものではなく、自作のデザインやモチーフ化で表現するのが安全。
ここまでの画像と、説明文やログのPDFの全て、ネット公開までが一体です。
本ページ内の作品は、私のアイデアにもとづく言葉をもとに、AIに反響させながら制作したものです。
ページ内の画像は著作権クリアしたとされている生成AIを使用し、デジタルツールによる手作業での加工修正を加えています。
Artstylic 編集長兼執筆者 K.Fujii(2025.8.27)