現代アートの課題をテーマにSFアート小説をAIに書いてもらう-PartⅠ

「現代アート」がオワコンだと批判する記事も時々見かけます。
そこで、「現代アート」の現代が、「現代」でなくなったSFアート小説をAI君にかいてもらいました。
登場人物の「リナ・ダルトン博士」も含めて、全て架空の物語、画像です。
くだらない試みですが、アートの素人かつAIの使い方にも詳しくはない作者(いわゆる「大衆」の一人です)が、AIを使ってアート小説を書くとどうなるかの実験的作品※です。pdf版は初版であり、サイト版は追加修正しています。
(AIの作り出した「リナ・ダルトン博士」のアート小説をベースに、ARTSTYLIC編集長が加筆修正した合作です)

※生成AIのイメージ画像は実在の人物をモデルにしたものはありません。
(画像やストーリー等の無断転載等は一切禁止いたします。)

電子ブック版(電子ブックのみの特別画像入り)

 

(ご参考)生成AIの画像利用はまだリスクが大きい~リスク低減の手間も大変

生成AIの画像は、Google レンズ等でチェックしたとしても、類似性の排除が完璧にできない現状では、ネットで使用するには相応のリスクを伴いますので、かなり限定的な画像しか使用できないという制限があります。
小説の内容にきちんとマッチした画像を用意したいところですが、今のところ、DALL-E3の生成そのままでは怖いので、気になる画像が生成された場合は、Adobe Firefly と手作業での独自の修正を加えて、さらにGooleレンズで類似画像をチェック、という手順を踏んでいます。

しかし、厳密にやるには相当な手間がかかり商用サイトで利用するのは、まだまだ難しい、と感じています。
生成した画像を使えるのは、せいぜい数十枚に1枚程度で、さらにそれを手作業で修正するとなると、Adobe Stock等の有料フリー画像を使った方が安全で手っ取り早い、というのが現状の結論です。

小説のように、同じ人物を登場させないといけない、という場合のみ、やむを得ず使ってみましたが、これまたなかなか難しく、面倒ですが、基本的には、生成AI画像は、生成されたままでは使用しない、という方法を採用しているため、限界があります。
小説なので、挿絵は不要、と言えば不要なのですが、上記のような面倒な手順を踏んで、一応何枚か使っています。
(人物の顔なども、統一感が無いですが、一方で、どれもありふれた顔、個性的な誰かに似ていない、他のアーティスト作品にも似ないようにありふれた服装にする、といった画像に修正しています。)


タイトル: 「アートの未来:知性と感性の交差点」
副題:現代アートが「カリストアート」になるとき

1. アートの未来のはじまり

2100年、世界はAIが進化したことにより21世紀初めとは大きく変わっていた。テクノロジーは進化し、社会構造は大きく変容した。人々はもはや物質的な所有に価値を見出さず、情報と感覚をシェアすることが最も重要な時代となった。その中心にあったのは、アートの世界だった。

数世代前のアート業界では、現代アートが幅を利かせ、エリート層による評価がその命運を握っていた。しかし、現代アートの複雑さと難解さに対する反動が起こり、その評価は一部の特権的な存在に支配されていった。アートは、知識を持つ批評家やコレクターによって取引され、一般大衆には遠い存在となっていた。しかし、この世界はミームアート等の広がりにより、急速に変化していた。

2. アートの新たな秩序~リナ・ダルトン博士のアート評価システム

「アートはもはや『所有』するものではない。」そう語ったのは、リナ・ダルトン博士、アートの社会的価値を研究する最前線の学者であり、AIを使った新しいアート評価システムを開発した人物だった。彼女の提案は、過去の芸術家が描いた夢のようなアイデアを現実のものとした。それは、アートの評価をAIの膨大な情報と人間の感覚そのものの両方に基づいて行える、全く新しいアート評価システムだった。
これと併せて、ほぼ全ての大衆は「アート史」というものを重要な知識として「AI教育システム」の恩恵を受け、一部のエリート層だけが知っていたアートの知見をほぼ同じレベルで共有できる時代となっていた。

そして、AIによって開発された「感性解析システム」(Sensory Analysis System, SAS)は、膨大なデータをもとに、観客の心の反応をリアルタイムで解析し、過去の膨大な情報との比較と同時に、人間の感性でアート作品の価値を評価することができるようになった。このシステムによって、アート作品はもはや一部のエリート層による過去の蓄積情報に基づく理論的な解釈だけに依存することなく、大衆の感情や直感的な反応とAIの蓄積情報の両方に基づいて評価されるようになった。

アートが大衆の手に戻る瞬間が訪れたのだ。アートの所有権は無意味となり、今ではアート界の偉大なるレジェンドとなった「Ken Okabe」の精神が改めて賞賛された。
そして、全ての作品は公共のものとして共有され、誰もがそのアートを楽しむことができるようになった。

アート独占所有禁止法の成立を祝して「Ken Okabe Tribute Art Festival」が開催された。

3. 「カリストアート」~歴史遺産としての21世紀のアート

とはいえ、すべてのアートが無償で大衆に提供されるわけではなかった。かつて現代アートと呼ばれた作品群は、「カリストアート」(Callisto Art)として新たなカテゴリに分類され、保存と研究のために保存されることとなった。この名前は、古代の神話に登場する「カリスト」に由来し、変化を経て新しい存在として生き残ったように、現代アートはその複雑性と深さを維持しながらも、新しい枠組みで再構成されたことを象徴していた。

「カリストアート」は、専門的な知識と哲学的な解釈を必要とする作品群として、学術的に保存されることとなった。これらの作品は、一般には容易にアクセスできないが、学者や批評家、アーティスト等によってその歴史的・理論的価値が評価され、保存されることになった。

これらの作品は、感覚的な楽しみや刺激の鑑賞のみを提供するものではなく、過去の文化や哲学、アートに関する深遠な議論を引き起こすものとして位置づけられた。この施設の中で、訪れる者はその作品をじっくりと研究し、理論的な背景に没入する。これらのアートは過去の遺産として、かつて「現代アート」と呼ばれていたジャンルの一部として、未来の学問に深い影響を与える存在となった。

4. 大衆のアート体験~感性は知性で揺らぐ

一方、一般大衆のアート体験は、AIとSNSが支配する新たな世界に移行した。すべてのアート作品は、オンラインでアクセス可能となり、AIによって個々の感性に最適化された形で提供されるようになった。SNSのプラットフォームでは、ユーザーがアート作品を「感じる」ことに重きが置かれ、作品に対するリアルタイムでの反応が記録され、それがアートの価値として反映される。

「いいね!」の数やコメント数ではなく、感情的な反応のデータが最も重要な指標となった。AIは、作品がどれだけ人々の感情に影響を与えたかを測定し、そのデータを基にアートのランキングが決定される。
また、「感性」は「知性」との複合的な要因で「揺らぐ」ものである、というリナ・ダルトン博士の「感性揺らぎ理論」により、豊かな感性を育めるような知性の教育も重視され、評価する人々の評点にも反映されることで、「価値観の多様性や歴史を学習すること」へのモチベーションを高めることにも貢献した。
このシステムにより、アートは単なる視覚的な表現にとどまらず、個々の人々の知性と感性の集合体となった。

アートはもはや金銭的な投資対象ではなくなり、全ての人々に平等に開放された「体験」として存在することとなった。アートはもはや「所有するもの」ではなく、「体験するもの」「共有するもの」として、未来に向けて無限の可能性を秘めていた。

5. 「投資対象アート」の消滅~大衆による共有へ

さらに、アートが完全に大衆のものとなった結果、過去のようにアートが投資対象となることは一切なくなった。全てのアート作品は「非商業的」に扱われ、許可された複製品以外のアート作品の個人の所有や取引が禁止される法律が施行された。

もちろんデジタルによらない伝統的なファインアートや伝統工芸的なクラフト作品の制作は自由であったが一般への販売は全て統一市場で正当に評価されて価格がつけられて販売された。アートだから誰が何を使って何を作ってもいいという時代は、地球環境問題の高まりとともに批判されてゴミとなるような作品を密かに作っていたアーティストは批判されて、マイナスポイントが蓄積されるため、ホログラム制作が普通になり、そこから実物のパブリックアートとして採用されることが夢となった。

また資源ゴミとなりかねないような評価されなかったアート作品はホログラムで記録されたのちに資源再生センターに有料で引き取られるか制作者が自費で処分する必要があるため、一定の評価を得るまではアーティストは形のあるアート制作をしたい場合は、ホログラムで制作するのが一般的となった。

その結果、評価と名声を得て実物のアートを制作するという目標を持つアーティストが増加した。

こうして従来の不条理だったアート市場は消え、アートは唯一無二の資産ではなく、社会全体が共有する文化的財産となった。

富裕層やコレクターたちは、自分のアートコレクションを手放し、作品が一般大衆の中で評価されることに価値を見出すようになった。アートの価値は、もはやその金銭的な取引によって決まることはなく、どれだけ人々の心を動かしたか、どれだけ社会に影響を与えたかがその本質的な価値を決定する基準となった。

6. エピローグ:「アート」は生き続ける

リナ・ダルトン博士は、こう語った。「アートはもはや『所有』するものではなく、人々が共感し、感じ、体験するもの、そして、広く「共有するもの」です。アートの本質は、「感性=感覚と感情」にあります。そして、この感性は、「知識と論理的思考力=知性」によって揺らぐのです。その両方を学び、知性と感性を高めるには「アート」が最適なのです。私たちは、アートを再びみんなのものにすることができた。今、アートは人々の生活の中に溶け込み、過去の価値観から解放されたのです。」

そして22世紀の未来は、アートはもはや商業的な価値を持たず、すべての人々に感動を与え、共鳴し続ける。人々は、アートがもたらす心の影響を最も大切にし、その評価はAIと大衆の感性によって築かれた。過去のアートは遺産として保存され、未来のアートは知性と感性の交錯を重視した新たな時代の「共有財産」として生き続けていた。

また、「アート」の手段は、伝統的なファインアートの技巧による作品と、3D映像や次世代のWEBサイト5.0と呼ばれるツール、インスタレーションやコンサート等のイベントが複合された体験型のアートがメインとなり、そこでは、デジタルと高度な人間の表現技巧の両方が絶妙に融合して、知性と感性の両方に、体験を通じて刺激を与えるものが大きな人気を博した。

こうして、アートは、一部の人に所有されるものではなく、個人でも自由に生活に取り入れたり皆で体験するものとして、さらに未来に向けて無限の可能性を秘めるものと進化した。

リナ・ダルトン博士の「アート評価システム」が2100年1月1日に世界アート学会で発表され、満場の拍手喝采を浴びた。

7.追記~リナ・ダルトン博士の演説

感性と知性の交差点に立つアートの未来

リナ・ダルトン博士の演説

皆さん、本日は21世紀頃に「現代アート」と呼ばれてきた「アート」が抱える課題と、その可能性についてお話しする機会をいただき、大変光栄に思います。
アートは人類の歴史を彩る重要な要素であり、私たちの感性と知性を結びつける架け橋でもあります。
しかし、21世紀以降において、アートはその両極端に引き裂かれたような状況を続けてきました。
過去100年近い間、感性至上主義と知性至上主義、そして投資主義の台頭がアートワールドを支配してきた歴史について考察し、その先にある22世紀のアートのあり方を提示したいと思います。

21世紀初頭の「現代アート」の課題と解決

私が2090年代から研究を始めたのは、21世紀初頭における「現代アート」と呼ばれたアートのあり方についてでした。
当時の「現代アート」を含む「アート」と呼ばれたアートワールドは、感性至上主義と知性至上主義の対立、そして投資主義による市場の支配が顕著でありました。そしてその構造が少しづつ変化しながらも、長い間、大きな変革をできないまま、何十年もの年月が過ぎていました。

また、ある一部の国で「芸術・美術」と「アート」の定義、さらには「現代アート・コンテンポラリーアート」と呼ばれる新たなアートが生れた時代の混乱の研究を通じて、「現代アート」は伝統的な「美」を追求する「美術」ではないにもかかわらず、「アート」という一括りの言葉で包んだための弊害を明らかにし、「現代アート」として続いてきたカテゴリを「アート」とは呼ばない方が良かった、との私の母の論文も高く評価して頂きました。

しかし、その後の研究で「美」とは関係ない、と思われていた「コンセプトやメッセージ」がテーマのアートや、その中でも「平和や愛」よりも、厳しく切り込んだテーマ、例えば「人間の生と死」「破壊と混乱」「性」「醜悪さ」などをあからさまに見せつける「シャドウサイト・アート」についても、一定の評価を受けた作品の根底には、無意識レベルでの人間が根源的に感じる「美意識」がベースとして構成されていたことも発見できました。

例えば、有名なM・デュシャンの「泉」という作品も、作者の何気ないサインの中に、無意識のうちに、どうしても、配置や大きさのバランスといった基本的な「美」の構成要素が存在していたのです。

私は、この複雑な状況を解明するため、21世紀初頭のアートの評価基準や市場の仕組みを詳細に分析し、また「芸」や「美」という言葉に対する表面的誤解や価値観の違いといった問題から「知的エリート層と大衆の分断」が生れたという課題を浮き彫りにしました。
これらは、「アート」だけの課題にとどまらず、全世界の平和を脅かす人類社会全体の根源的問題にも通ずるものとして、日夜、研究をつづけたのです。

こうした研究と議論の結果、私の母「Dr.Ana Dalton Stellin」の提唱により、「現代アート」と呼ばれていたものから「アート」という呼称を外して「カリスト」と呼んでいた歴史的な作品群を、娘である私が、新たに「カリスト・アート」として「アート」という言葉を復活させて保存し、研究を続けさせて頂けることとなったのです。



そして、表面的に「芸術」や「美術」の追求ではない作品も含めて「アート」という文化、曖昧な言葉が使われ続けた多くの作品の遺産を通じて社会学的な研究も行ったことが、重要な発見のきっかけとなりました。
その成果を基に、2090年代から2100年にかけて10年間の研究を通じて「統合アート評価システム」を構築しました。

感性至上主義と知性至上主義

21世紀以降のアートに対する批判には、相反する二つの視点が存在しました。
一方では、現代アートが”何でもあり”の状態になり、感性至上主義に陥っているという批判。
もう一方では、現代アートは知性に依存しすぎており、大衆には理解できない難解な世界に閉じこもっているという批判です。
なぜ当時は、同じ「現代アート」に対して全く矛盾した批判が存在したのか、が研究のスタートでした。

私はこの矛盾を解決するために、感性と知性を統合した評価軸を設計することに取り組みました。
例えば、当時の人気作家や作品を例に、批判と賞賛が時代毎に入れ替わった歴史と、感性と知性が融合した成功例を研究の中心に据え、これらを新しい評価基準の土台としました。また、当時は「深みが無い」とか「低俗」とされたものや、「NOT ART」のカテゴリとされた作家や作品も研究対象としました。
当時、日本で起きた「ヒロヤマガタ問題」や「ラッセン」等に関する歴史的な文献や研究も大変興味深いものでした。
さらに、「宇宙猫」のようなミームアート・インスタレーションの事例も重要な研究対象でした。

投資主義とアートの評価

21世紀初頭のアート市場では、投資対象としてのアートが市場を支配していました。
この影響に対し、私は新しいアート評価の枠組みを研究しました。この枠組みでは、以下の要素を重要視しました:

  • 芸術的価値の透明性: 作品の価値を市場価格だけでなく、その文化的意義や社会的影響を基準に評価する。
  • 大衆参加型の評価システム: 大衆の感性を反映する仕組みを作り、専門家だけに依存しない評価モデルを確立する。
  • 非営利的なアプローチ: 投機的な市場から独立した評価基準を持つ非営利団体の役割を強化する。

これらの考えは、「統合アート評価システム」の設計において中心的な役割を果たしました。

2100年の「統合アート評価システム」

私が2090年代からの10年にわたる研究で完成させた「統合アート評価システム」は、感性、知性、そして市場の影響を統合的に評価する革新的な仕組みです。このシステムは以下の要素で構成されています:

  1. 三層評価モデル
    • 第一層: 感性(大衆の芸術・美術などにある「根源的な美意識」への直感的反応)
    • 第二層: 知性(作品の文脈、歴史、社会的意義等のメッセージ性)
    • 第三層: 影響力(社会的インパクトの多寡と市場価値の関係性)
  2. AIとブロックチェーン技術の活用
    作品の評価プロセスを透明化し、全世界の人々が評価に参加できるプラットフォームを開発。
  3. 教育プログラムの普及
    アートの背景や歴史を学びつつ、感性を磨くための教育プログラムを組み込む。

このシステムは、専門家だけでなく、大衆、アーティスト、そしてテクノロジーを融合したものであり、アートワールドの民主化を大きく進めることが可能です。

もちろん、AIが発達した今においても、皆さんは、過去の歴史や膨大な情報を適確に学習する必要があります。
いかに、人間が膨大な過去の情報を体系的に効率的に学習すればいいのか、そうした長年の課題も同時に解決する必要がありました。

私は「感性は知性によって揺らぐ」という論文を発表済みですが、この時から、「感性」とは何か、知性と感性の関係の研究を、実用的な「教育プログラム」に落とし込みました。
これによって、過去の「アート」における「エリートと大衆」という分断を消滅させて、アート評価が全ての人々が適正に可能となる方法も実現したのです。

最後に

私の「統合アート評価システム」は、21世紀初頭からアートワールドが抱えてきた矛盾を解決すべく10年以上の研究を続け、ようやく、その完成を迎えました。感性と知性、そして市場のバランスを保ちながら、アートの本質的価値を守るこのシステムは、1世紀近くも根源的な課題を抱えてきたアートワールドを劇的に変革できるはずです。

アートの評価とは、単に「誰が評価するか」を問うものではなく、感性と知性を通じて互いに何を感じ、共有するかを探る行為です。
そして、「アートへの興味と探求心」が、自身の「世界の多様性や過去の歴史への学び」へのモチベーションにもなるのです。
この理念を胸に、私たちは未来のアートと向き合う準備を進めていきましょう。

ありがとうございました。

(この研究成果を母である「Dr.Ana Dalton Stellin」に捧ぐ)

「カリストアート研究博物館」の「WHAT’S ART?」の研究展示室。
観客にみえるものや羊も当時の状況を「Dr.Ana Dalton Stellin」が再現した展示物であり、自由な一般公開はされていない。

「現代アートの課題をテーマにSFアート小説をAIに書いてもらう – partⅡ」に続く


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コメント

    • 森空海
    • 2025年 1月 09日 1:22pm

    面白い試みですね!。是非、続編が読みたいです。

      • Rina Dalton
      • 2025年 1月 09日 1:29pm

      ありがとうございます。丁度、PART2の準備中だったので、アップ予定です。

    • LinLin
    • 2025年 1月 09日 7:40pm

    各個人にFITするアートということは、十人十色のアートが生まれるわけで普遍性はなくなるということですね。
    アートではなくAIに価値があるということになりそうですね!

      • Roina Dalton
      • 2025年 1月 10日 8:41am

      アートの価値はAIによって多様かつ普遍的なものにできたということです。

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