WEBサイトがエフェメラル・キュレーションアートになる時
最近、私はこんなことを考えています。
一つの思想と想いを込めて作られたWEBサイトは、
一種の「エフェメラルアート」としてのWEBサイトなのではないか。
ただし、WEBはいずれ消えてゆくデジタルメディアだからといって、すべてのWEBサイトがエフェメラルアートになるわけではありません。
ただの情報サイトやニュースメディアと、「アート」としてのWEBサイトの違いはどこにあるのか。
私はその違いを、
ある特定の想いを表現したいという一本の目的で貫かれているかどうか
にあると考えています。
もちろん、アートには、自分の想いを表現するという広い意味でのアートと、第三者の心を揺らし、社会的に「アート」というラベルで評価される狭い意味でのアートがあります。
そのため、この考え方が、ひとりよがりに見える可能性もあります。
あるいは、ただの情報サイトにしか見えない、と評価されることもあるでしょう。
それは承知しています。
それでも私は、WEBサイトという一時的で変化し続けるメディアに、思想や想いを込めて構成していく行為=一種のキュレーションには、エフェメラルアートとしての可能性があると感じています。
Artstylicとは何か
Artstylicは、アート、建築、デザイン、映画、AI、インテリア、日常文化などを横断しながら、
“not art” を、生活とアートへ再接続していくキュレーションアートサイトです。
私たちの身の回りには、本来はアートとして扱われていなかったものが数多く存在しています。
例えば、
- ヴィンテージラベル
- 広告
- パッケージ
- 古い印刷物
- 都市の痕跡
- 映画の空間
- 建築
- 日常の記録
などです。
それらは通常、「not art」として通り過ぎていくものかもしれません。
しかし、そこには、
- 時代の感性
- 消費文化
- 記憶
- 人間の多様性
- 時間の流れ
が刻まれています。
Artstylicでは、そうした日常の痕跡を、現代アートの視点で再編集し、新しい文脈として接続していくことを試みています。
別々のものが、なぜつながるのか
例えば、
- ヴィンテージラベルと工芸
- Blade Runnerとインテリア
- 建築と時間性
- AIと記憶
- エフェメラと現代アート
など、本来は別々に存在しているものたちを、
「時間・記憶・痕跡」
という感覚の中で横断的にキュレーションしています。
もちろん、このような接続の仕方に違和感を覚える方もいると思います。
「それは一緒にするものではない」
「全く別の分野ではないか」
そう感じるのも自然なことです。
実際、
- 建築は建築
- 映画は映画
- 工芸は工芸
- 商業印刷物は商業印刷物
として、それぞれ独自の文脈を持っています。
しかし私は、その違いや距離感を残したまま、それでもなお、どこかで響き合ってしまう感覚に強く惹かれています。
時間を通過した痕跡の奥行き
例えば、1900年前後の欧州ヴィンテージラベルには、
- 当時のデザイン
- 印刷技術
- 消費文化
- 都市の空気
- 人々の感性
が、小さな紙片の中に圧縮されています。
そして私は、そこに、
Blade Runnerの都市空間や、Le Corbusierの建築に通じる、
「時間を通過した痕跡の奥行き」
を感じてしまうのです。
キュレーション自体を作品化する
Artstylicは、単なるアート紹介サイトではありません。
「何を紹介するか」だけでなく、「どうつなぐか」
そのものを表現として捉えています。
つまり、
キュレーション自体を作品化する
という考え方です。
また、Artstylicでは、記事だけではなく、
- 額装作品
- 空間
- インテリア
- AI生成
- レトロモダンな感覚
まで含めて、「アートと生活を再接続する」ことをテーマにしています。
混沌の中に一本の糸を通す
現代では、「一つのテーマに絞るべき」「統一感が重要」という考え方が主流です。
実際、Webサイトやマーケティングの世界では、
- 専門性
- 明快さ
- ターゲットの明確化
- 一貫した世界観
が重視されます。
それはとても合理的な考え方だと思います。
しかし私は、あえて、
「混沌の中に一本の糸が通っているような空間」
に惹かれています。
- ヴィンテージラベル
- 映画
- 建築
- AI
- 工芸
- 都市の痕跡
それらが雑多に存在しながら、どこかで静かにつながっている。
私は、その感覚をインテリアや空間の中へ取り込んでみたいと思っています。
デッカードの部屋と、逆ディストピア
例えば、Blade Runnerのデッカードの部屋のように、多層的な時間や痕跡が堆積した空間。
あるいは逆に、そこから削ぎ落としていった、静かで明るい“逆ディストピア”的空間。
それぞれ、好みが分かれるでしょう。
だからこそ、その両方を同じサイト内で提示していきたいのです。
デッカード風の部屋とエフェメラアート
エフェメラ・リ・アートという考え方
最近、「エフェメラ・リ・アート」という新しいアートの呼び方を考えました。
エフェメラとは、本来は短期間で消えていくはずだった印刷物や痕跡のことです。
しかし私は、その消えていく日常の痕跡を、「リ・アート」する。
つまり、
- 額装し
- 再編集し
- AIで拡張し
- 空間へ置き直す
ことで、時空を感じさせる新たなアート表現の分野を見い出したいと思っています。
AIもまた、現代のエフェメラである
また私は、生成AIそのものも、現代のエフェメラだと感じています。
AI画像は大量に生まれ、消費され、急速に過去化していく。
その意味で、生成AIもまた、
「消費され、流れていく時代の痕跡」なのです。
だから私は、
- 実際に100年以上時間を通過してきたエフェメラ
- 今この瞬間に大量生成されているAIイメージ
を重ね合わせることで、
- 記憶
- 時間
- 消費
- 人間の感性
について考えてみたいと思っています。
サイト構成としては邪道
もちろん、これはサイトを「集客=アクセス数」という視点だけで見れば、
かなり邪道なやり方でしょう。
人によっては、「結局何のサイトなのかわからない」と感じるかもしれません。
しかし、それでもかまいません。
人間そのものが、本来はもっと矛盾していて、多層的で、統一されていない存在だからです。
それを、同じサイトの中で、嫌いなものも好きなものも、少しだけ見ていただきたい。
理解しきれないまま、相互に生きる
理解し合うことは大切です。
しかし、すべてを理解し合うことは、おそらく不可能です。
だから私は、無理に理解し合うことよりも、
理解しきれないまま、相互に生きること
に関心があります。
違うものを同じにするのではなく、違うまま並べる。
好き嫌いが分かれるものを、一つの価値観で裁かない。
混ぜて曖昧にするのではなく、それぞれの輪郭を残したまま、共存できる場をつくる。
それが、私にとってのキュレーションの目的です。
「誰でも作れるではないか」
「そんなことを言ったら、誰でも作れてしまうではないか」
「どんなサイトもアートって言えばアートになってしまうではないか」
そう思う人もいるかもしれません。
しかし私は、それでいい
と思っています。
むしろ、
誰もが、自分自身の感性や記憶や時間を編集できる
ということこそが、アートと生活の接続になうからです。
人間そのものがキュレーションを行っている
人は誰でも、
- 好きな映画
- 古いモノ
- 音楽
- 建築
- 記憶
- 空間
- 日常
など、バラバラな断片を、自分の感性の中で勝手につなぎながら生きています。
つまり、人間そのものが、ある種のキュレーションを行っているのです。
WEBサイトもまた、エフェメラルである
もちろん、WEBそのものを作品化するアーティストや、デジタル空間そのものを扱う表現は、すでに数多く存在しています。
いわゆる、
- ネットアート
- Webアート
- デジタルアート
- インタラクティブアート
などと呼ばれる分野です。
しかし私が興味を持っているのは、WEB技術そのものよりも、
WEBを使って、
“not art” や日常の痕跡を、どう再接続するか
ということです。
WEBサイトは、一見すると単なる情報の集合に見えます。
しかし実際には、
- 何を書くか
- 何を書かないか
- 何を接続するか
- どんな空気感をつくるか
- どのように回遊させるか
によって、作者の感性や思想が強く反映されています。
つまり、WEBサイトそのものが、一種のパーソナルなアートマインド、
が発揚した空間作品にもなり得るのです。
時間と共に変化し消えてゆく
しかもWEBサイトは、完成して固定されるものではありません。
記事が増え、削除され、デザインが変わり、考え方も変化していく。
さらに、
- サービス終了
- リンク切れ
- 技術の陳腐化
- ドメイン消失
によって、簡単に失われる可能性もあります。
つまりWEBサイトは、
時間の中で変化し続け、やがて消えていく存在
でもあります。
だから私は、Artstylicを単なる情報サイトではなく、
“not art” を生活とアートへ再接続し続ける、
キュレーション型エフェメラルアート
として捉えています。
そして、このサイト自体もまた、
時間と共に変化し続け、消えてゆく「エフェメラル・アート」
なのです。

