評価されない現代アート作品の未来

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評価されなければ現代アートではない?

こんにちは、Artstylic編集長です。

今回の「WHAT’S ART?」では、ある短い動画についてお話しします。

主役は、私が最近つくったばかりの作品(敢えて「作品」と表現)です。
缶バッジ、メッセージ、キャラクター——すべて既製の要素を組み合わせて作った、小さなフレーム。
もちろん、これが世間的に「現代アートやポップアートとして評価される」なんてことはありません。


むしろ、評価されないことが前提

この動画で描かれるのは、未来の地球。
荒廃した世界で、ある“もの”が土の中から発掘されるシーンです。

それはかつて、「アートだ」と作者が勝手に主張したもの。
だれにも知られず、認められず、そして時を経て、土に埋もれたものです。

「評価されない作品は、アートになり損ねた“何か”なのか?」

そう問いかけること自体が、ショート動画のテーマです。


▶「Kiyo Gocochi」の編みぐるみから生まれた「Kiyoにゃん」の缶バッジのポップアート(?)フレームも販売中です。


現代アートとは、評価か?主張か?

現代アートの本質が「問い」や「文脈」にあるとするならば、
それは他者によって評価されて初めて「アート」として立ち上がるのか。
あるいは、評価を前提としなくても、自らの主張だけで成立するのか。

この作品が、未来の土の中に埋まっているところからスタートします。


説明しすぎの動画

正直、動画内ではいろいろ語りすぎました。 説明しすぎないのが現代アートですから、この動画を公開した時点で、この作品の自己否定です。
メッセージも、アイロニーも、構造も、見れば伝わってしまいます。 最後の一言は、言わずもがなですね。

一応、作品にタイトルをつけて作家自身が解説するという記事を作っておきました。
「作品No.0001:「0.000001%の未来」

Artstylic 編集長より

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