SF映画「ブレードランナー」への批判から学べる「現代アート」の本質

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ブレードランナーにみる現代アートとの境界

『ブレードランナー』のような映画が最初にヒットしなかった理由や、面白くないといった批判、その後のカルト映画としての評価に至る経緯を学ぶことは、現代アートと同列に「創造性の評価の変遷」と「人間の感性の多様性」を考える題材として非常に有益です。
このような映画は、ただの娯楽作品ではなく、視覚表現、哲学、社会的メッセージの融合として深く議論する価値があります。
映画としては面白くない、つまらない、という批判が多いのもブレードランナーの特徴ですが、当時の映像をリアルタイムで見て「衝撃を受けた」という感性の人たちと、映画としてのストーリーや出来栄えで「つまらない」と感じた人にわかれたことも興味深いSF映画です。
もはや特撮やCGの映像には何を見ても驚かないという現代の人が見た場合に感じる「映画として面白くない」という感覚はある程度は仕方ないとしても、当時、リアルタイムに初めてみる人でも、多くの人が「つまらない映画」としてヒットしなかった、というのが逆に、この映画の奥深い面白さです。

そして、映画監督と主演のハリソンフォードが当時険悪な状態で、ハリソンフォードはこの映画が嫌いだった、とか、監督の意図と違う形で公開されたから、のちに、ディレクターズカット版が出たとか、その複数版にそれぞれ異なる賛否があるとか、作り手の意図を超えたところで後世に影響を与えたとか、もはや語り尽くせないほどの数々のエピソードと賛否が存在するという意味で、もはや「SF映画」という枠を超えた、映画史に残る「カルト映画」です。

「オスカーに登壇したハリソン・フォードが、『ブレードランナー』を痛烈に批判するリストを披露(この映画は上映ごとに悪化する)」(IGN JAPAN)

以下では、『ブレードランナー』を例に、なぜこうした大衆娯楽作品であっても、現代アートの学習や議論の場で取り上げられるべき価値があるのかを考え、その理由と方法を説明します。


1. 『ブレードランナー』が初めはヒットしなかった理由

(1) 1982年公開当時の映画市場とのズレ

  • 観客の期待に反した内容:
    • 『ブレードランナー』は、公開当時、一般の観客が期待していたアクション重視のSF映画とは異なり、哲学的で重厚な物語とビジュアルに重点を置いていました。
    • 当時は『スター・ウォーズ』や『E.T.』のような、明るく冒険的なSF映画が主流で、暗く退廃的な『ブレードランナー』は市場の期待と合致しませんでした。
  • ペースの遅さと難解さ:
    • 映画のゆったりとしたテンポや、登場人物の内面描写、哲学的テーマ(人間とは何か?生命とは何か?)は、大衆受けしにくかった。

(2) 批評家からの低評価

  • 一部の批評家は、物語の難解さやテンポの遅さを批判しました。また、作品内の暗いビジュアルスタイルが「視覚的には魅力的だが、感情的には冷たい」とされました。
    映画としてつまらない、面白くない、駄作である、という批判は、リアルタイムでみていない世代の人には「映像の先進性」が理解できないため、現在において「評価が高い映画」として後から見た人が批判する場合には一番多い感想ですから、公開当時のこういった批判にも一理あるでしょう。

(3) テーマの先進性

  • サイバーパンクの先駆けとしての役割:
    • 『ブレードランナー』は、まだ一般的ではなかった「サイバーパンク」というジャンルを提示しました。
      機械と人間の融合や、ディストピア的未来を描いたスタイルは当時の一般の観客にとっては新しすぎました。

2. カルト映画として再評価された理由

(1) 視覚的表現の革命性

  • リドリー・スコット監督が描いた、ネオン輝く退廃的な都市景観や、未来のディストピア的ビジョンは、他の映画やアートに多大な影響を与えました。
    • 例:
      • 建築デザイン:ポストモダン建築との類似性。
      • 現代アート:草間彌生のように、人間と環境の関係性を考えるビジュアル表現。

(2) 哲学的テーマの普遍性

  • 「人間とは何か?」という問い:
    • 人間とレプリカント(人造人間)を対比し、生命の本質や意識の境界を問いかけるテーマが時代を超えて共感を呼びました。
    • 関連するアートテーマ:
      • 現代アートでよく扱われる「アイデンティティ」や「存在」の探求と共通。

(3) サイバーパンクの確立と文化的影響

  • 『ブレードランナー』がサイバーパンクのジャンルを確立し、その後の映画、ゲーム、文学に大きな影響を与えたことで評価が高まりました。
    • 影響を受けた作品:
      • 映画『マトリックス』、ゲーム『サイバーパンク2077』、アニメ『攻殻機動隊』など。

(4) ディレクターズカット版の登場

  • 公開当時に批判されたナレーションやハッピーエンドを変更した「ディレクターズカット版」や「ファイナルカット版」が公開され、作品本来の深みが再評価されました。
    この複数のバージョンの存在にも、多様な意見があり、必ずしも監督の意図に沿ったものがいいとは思わないという意見も多く存在します。
    作り手である監督の意図を超えたところで、後世に大きな影響を与えているというのがブレードランナーの面白さです。
    例えばこのような意見も。
    「『ブレードランナー』(1982)を今の時代に論じることが難しいのは作品そのものではなく「後世に与えた影響」の方が重要だから」(「ヒュウガ・クロサキ」さん)
    https://note.com/hyugakurosaki/n/nd2da2d6765a2

    私は映画において完成度の高さや監督の意図した通りにできたかどうかなんてのは重要なことではないと思っている、何故ならば作品というのはそれを世に放った時点で作り手から切り離された独立生命体だからだ。
    それが監督にとって本意であろうが不本意であろうが、世俗に向けて公開された時点で既に「生き物」として存在しているのであって、それを加工して後出しジャンケンで「こっちの方が完成品です!」はいかがなものか?


3. 『ブレードランナー』を現代アートと同列に学ぶ意義

(1) 映画も「ビジュアルアート」の一部として扱える

  • 映画の中の都市景観や照明技術、衣装デザインなどは、現代アートに匹敵するビジュアル表現として評価できます。
    • 教育現場で、『ブレードランナー』を通じて「映画における空間表現」や「色彩の心理的効果」を学ぶことが可能です。

(2) 哲学的テーマの共通性

  • 現代アートで扱われる「アイデンティティ」や「未来の人間像」というテーマは、『ブレードランナー』でも中心的な要素です。
    • 教育では、この哲学的なテーマを他のアートや文学と結びつけて議論できます。

(3) 文化的影響の研究

  • 『ブレードランナー』が映画だけでなく、建築、デザイン、ファッションに与えた影響を学ぶことで、映画がどのように社会文化全般に波及するかを理解できます。

(4) 多くの批判の存在

  • 現在では、映画として面白いか、ヒットしたかどうか、ということとは異なる視点で高い評価を受けていますが、そういう評価が多いからこそ、逆に「映画としてつまらない、駄作である」とした批判も多く存在します。
    このように、「多くの人が知っていて、かつ、極端に賛否が分かれるクリエイション」というものは人間の感性の多様性を知る上で参考になります。
    賛否両論ある場合の「賛」の方の人に「とにかく深く刺さる」というのが「カルト映画」と言われる作品の特徴です。
    そして、「賛」の人が強くその主張をすればするほど、理解できないという人がたくさん現れて反対意見を展開し、ネット上に「賛否両論」が混然となって存在する、という点は「現代アート」にもよく見かける構図です。
    (そのどちらにも、正しいとか間違っているとかの、唯一絶対の評価基準は存在しません。)


4. 具体的な教育活用の例

(1) 比較学習:映画とアートの影響を探る

  • テーマ:ディストピアの表現
    • 『ブレードランナー』の都市景観を、現代アートや建築と比較。
    • 例:ポストモダン建築(磯崎新)や草間彌生の無限の視覚表現との関連。

(2) 映画の哲学的テーマを議論する

  • 議題例:
    • レプリカントに魂はあるのか?人間と機械の境界とは?
    • 現代社会で「人工知能」と「人間の価値」をどう考えるべきか?

(3) 映画のクリエイションプロセスを分析

  • 美術教育の中で、映画製作における視覚デザインやストーリーテリングの方法を学ぶ。
    • プロジェクト例:
      • 学生が未来都市をテーマにしたビジュアルアートや短編映画を制作する

(4)賛否がある理由を考察

  • 議題例:
    • 映画として面白くない、駄作である、こんなに評価する人がいる理由がわからない、という人が多い理由を考察しディベートします。
    • 多くの現代アートが「わけがわからない」という賛否があることの理由、人の感性、センスの多様さ、を考えます。

5. まとめ

『ブレードランナー』は、映画という枠を超え、現代アートや哲学、社会文化全般と深く結びついています。
特に、これだけ多くの議論を巻き起こしたカルト映画が、当初ヒットしなかったことや、今でも、つまらないという多くの批判も存在するという点がクリエイターを目指す人たちに多くの示唆と考える機会を与えてくれます。
このような作品を現代アートと同列に学ぶことで、学生たちはクリエイションに対する多様な感性による賛否の存在や「評価の変遷」、さらには文化的影響の広がりを理解することができます。

映画を「単なる娯楽」ではなく、「視覚芸術」「哲学的探求」「文化的影響力の媒介」として再評価することは、「現代アート」の教育の幅を広げ、現代社会を深く考えるための有効な方法となるでしょう。

 


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