2024年4月、ルーチョ・フォンタナという有名な現代アート作家の「空間概念 待機」(1960年)という作品が約45億円で落札されたそうです。
この作品、なんとキャンバスを切り裂いただけなんですね。
ウーン、わけがわからん?と思うのは、アートの素養もセンスもないからかなあ、と悲観的に考えることはありません。
今回は、現代アートが難解な理由をまとめてみました。
現代アートがわかりづらいと感じる理由は、アートの表現方法が非常に多様であり、特に「意味」や「価値」が従来の枠組みで理解できないことが多いためです。
アートが持つテーマ、手法、またその背後にある意図や社会的背景が複雑に絡み合っているため、観る側が直感的に理解するのが難しいことがあります。
さらに、アートの歴史を通じて常に新しい思考や挑戦がなされてきたため、アートの進化の過程を理解することも一つの難しさを生んでいます。
ここでは、フォンタナの作品を通して、また現代アートの時代背景に触れながら、その理由を探ります。
現代アートがわかりづらい理由
- 抽象化と非具象表現
- 近代以降、アートは具象から抽象へと進化しました。従来の「リアリズム」に代表されるような、物事をありのままに描くスタイルから離れ、アーティストは視覚的な「現実」を越えた内面的な表現や概念に挑戦するようになりました。
この変化により、作品の意味が一義的ではなく、個々の解釈に委ねられることが多くなります。
- 近代以降、アートは具象から抽象へと進化しました。従来の「リアリズム」に代表されるような、物事をありのままに描くスタイルから離れ、アーティストは視覚的な「現実」を越えた内面的な表現や概念に挑戦するようになりました。
- 技術や形式の多様化
- 現代アートは、絵画、彫刻だけでなく、インスタレーション、パフォーマンスアート、映像アート、デジタルアートなど、表現方法が多岐にわたります。そのため、観る者はしばしばアートの本質が何であるかを理解しにくいと感じます。
- アートのコンセプト化
- 現代アートは、「何を表現するか」よりも「何を意味するか」や「どのような問いを投げかけるか」を重視することが増えました。
つまり、物理的な美しさや感覚的な喜びよりも、哲学的な問いや社会的な問題への意識が強調されるため、直感的に感動を得ることが難しくなっています。
- 現代アートは、「何を表現するか」よりも「何を意味するか」や「どのような問いを投げかけるか」を重視することが増えました。
45億円で落札されたフォンタナの作品とは?
フォンタナ(Lucio Fontana)
イタリアの芸術家、ルーチョ・フォンタナは、「空間の開放」をテーマにした作品を制作し、「スラッシュ・ペインティング」などで知られています。
彼はキャンバスに切れ目を入れることで、従来の絵画の枠組みを破り、空間的な広がりを表現しようとしました。
フォンタナの作品は、単に視覚的な芸術だけでなく、空間と時間に関する哲学的な問いを含んでいます。
このような「物理的な破壊」と「概念的な広がり」の関係は、観る者にとって理解するには深い考察が必要となるため、現代アートが難解に感じられる要因となります。
アートの歴史的背景:リアリズム、モダニズム、コンテンポラリーアート
リアリズム(19世紀)
リアリズムは、19世紀中頃に登場し、産業革命や社会変動に対する反応として、社会の現実を忠実に描くことに焦点を当てました。物語性や感情を描くのではなく、現実の人々や風景をそのまま描写することで、社会的な問題を視覚的に表現しました。リアリズムでは、観る者が作品を「見て理解する」ことが前提となっており、感覚的にわかりやすい形式でした。しかし、モダニズムに進むと、これらの具象的な手法から離れ、アートはもっと抽象的で象徴的なものになっていきます。
モダニズム(20世紀初頭〜中期)
モダニズムは、工業化や都市化が進み、伝統的な価値観や社会構造に対する反動として、芸術において新しい価値や表現形式を模索しました。モダニズムのアーティストたちは、自己表現や主観的な視点を重要視し、具象表現から抽象表現への移行を推進しました。ピカソやカンディンスキー、マティスなどは、形式や色彩の革新を通じて、「美」の定義を根本的に変えました。この時期のアートは、観る者がその背後にある哲学や意図を理解しなければ真に鑑賞できません。
コンテンポラリーアート(現代アート、20世紀後半〜現在)
コンテンポラリーアートは、20世紀後半から現在に至るまでのアートを指し、様々なメディアや表現方法が登場しています。現代アートでは、アーティストは常に社会的、政治的、文化的なテーマを扱い、技法や媒体においても実験的なアプローチを取ります。また、アートの価値は観察者の解釈に大きく依存し、物理的な完成度よりもアイデアやコンセプトが重視される傾向があります。そのため、現代アートは時にわかりづらく感じられます。デュシャンの「泉」のように、アートの定義そのものを問い直すことも多く、見る側の感覚や解釈が試されます。
「現代アート」の評価には専門知識が必須なのか?
「現代アートはパクリではダメだ」という主張が、現代アート業界の専門家や作家の中で広く見られます。
このような主張には、アートの評価における独自性や革新性が強調される背景があります。
しかし、この考え方には評価基準の専門性や一般の人々との認識のギャップが関係しており、そこに議論の余地も存在します。
現代アートにおける革新性とオリジナリティ
現代アートは、作品が新しい視点や独自の表現方法を提供することを重視しており、過去のアートスタイルや技法を単に模倣することは評価されません。
現代アートの価値は、視覚的な美しさや技術的な完成度だけでなく、社会的・哲学的メッセージや新しい視点の提案にあるとされています。
そのため、「パクリ」と見なされるような作品はオリジナリティや革新性が欠けているとされ、評価の対象にはなりません。
現代アートの批評家や作家の多くは、他のアーティストのアイデアやスタイルを単に模倣することを避け、新しいアートの地平を切り開くことがアートの目的であると強調しています。
現代アートの評価には専門知識が必要?
「現代アートは専門家でなければ評価できない」という主張は、アートが非常に多様化し、評価にはある程度の知識や経験が必要だという現実から来ているものです。
現代アートは、技術的な完成度だけでなく、作品が持つコンセプトや背景にも基づいて評価されることが多いため、アートの専門知識がないとその意図やメッセージを理解することが難しくなります。
たとえば、インスタレーションアートやコンセプチュアルアート(概念芸術)では、視覚的な美しさだけでなく、作品の背景やアーティストの意図、あるいは作品が提示する社会的・哲学的な問題を理解する必要があります。
そして、最も重要なことが、「パクリ」ではないか、ということを見抜けるかどうかの、過去の作品の知識の有無です。
これは、一般の人がどうしても専門家には劣る部分です。
これにより、評価には一定の専門的知識が求められることになります。
一般の人々と専門家の評価基準のギャップ
現代アートにおいて、一般の人々と専門家の間には評価基準にギャップが存在します。
多くの人々はアートを視覚的に楽しみ、感覚的に評価することが多い一方で、専門家はその背後にある思想やコンセプトを理解することを重視します。
そのため、専門家はアートを評価する際に、作品が伝えようとしているメッセージや意図を深く考えなければなりません。
このような状況から、「現代アートは専門家でなければ評価できない」と感じられることがあります。
しかし、専門家の評価基準が必ずしも一般の観客と一致するわけではないため、この点での不満や疑問も生じることがあります。
現代アート評価のバランス
現代アートの評価において重要なのは、革新性やオリジナリティを重視する一方で、一般の人々がそのアートを感じ、理解できる余地を残すことです。
現代アートの専門家は、作品の意図やコンセプトを読み解くことが求められますが、アートは必ずしも専門知識がなければ理解できないものではなく、感覚的に共感できる部分や、観察者自身の直感に訴える力も大切です。
したがって、現代アートの評価は、専門的な知識と感覚的な理解のバランスを取ることが必要です。
「パクリ」と「影響」の違い
「パクリ」と「影響」の違いは非常に曖昧で、現代アートにおいても多くのアーティストが他のアーティストや時代のスタイルを参考にします。
影響を受けることは創作過程で自然なことであり、必ずしも悪いことではありません。
特にサルバドール・ダリのようなアーティストは、自己の作品において他のアーティストの影響を受けることを肯定的に捉えていました。
ダリは、「模倣は最も真実な形の賛辞である」と言ったように、影響を受けること自体を否定するのではなく、それを自分の文脈や視点で再解釈し、新たな意味を加えることが重要だと考えていました。
まとめ
現代アートにおける「オリジナリティ」や「革新性」は、過去のスタイルを模倣しないことだけでなく、その影響を受けながらも新しい視点や独自の表現を加えることで成り立っています。
アーティストが他者から影響を受けることは、決して「パクリ」ではなく、新しいコンテクストを生み出すことで革新を生み出すプロセスであると言えます。
現代アートの評価には、革新性やオリジナリティを重視することが必要ですが、同時に、一般の人々にもそのアートの魅力や価値を伝え、理解してもらえるようなアプローチが求められます。
また、「現代アートはパクリではダメだ、革新性が無ければ評価されない」とする専門家の主張には、そもそも「そういう分野のアート」なのだという理解が必要です。
この点で、現代アートが一般の人々にとって理解しづらいこともありますが、評価には一定の専門知識が求められることも事実です。
しかし、アートが持つ感覚的な力や共感の部分も重要であり、アートの価値は専門知識だけでなく、感覚的な理解にも基づくべきであるという考え方も広く受け入れられています。
そうであれば、「パクリ」なのか「模倣から生み出した独自性」なのか、そこには、必ずしも「専門家」を職業とする人の感性だけが正しい評価をし得るのか、という疑問の余地も残るところです。
なお、「現代アート」は、「アート」という言葉がついて広まってしまっていますが、このことが一般の人に混乱を招いていた、という側面もあると考えられます。
本当は「アート」とは言わずに「別の名前」をつければよかったのかもしれません。
最後に
現代アートがわかりづらい理由は、その多様性や抽象性、コンセプト化された表現が、従来の美術の枠組みでは捉えきれないこと、また、オリジナリティの評価に膨大な作品の専門知識の蓄積が必要とされていることによります。
こうした「現代アート」は、一般の人にも理解しやすい適切な講評、説明(敢えて答えを示さない、という場合も含めての適切な解説)などとともに展示するといった「現代アート」の伝え方、表現、展示方法が求められるところでしょう。
なお、「評価」は専門家でないと難しいですが、単に鑑賞するという立場なら、今では、現代アートの展示ギャラリー等で、作品の説明資料やWEBサイト等での解説も一般化していますので、これらを読みながら現代アートを十分に、楽しんで鑑賞できると思います。
もっと詳しく面白い記事を見つけたのでご紹介しておきます。
「現代アートがわかりづらい理由。アート鑑賞を通じて育まれるものとは?」(「あしたメディア by BIGLOBE」:美術解説するぞー~鈴木博文(すずき・ひろふみ)さんのコラム)
この記事では、「日本の美術教育の遅れ」、「美術作品は伝わるために作られていない」という2つの理由を挙げられています。
ナルホド、納得!ですね。
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生活の中の身近なアートこそ感性と知性をつなぐきっかけになるかもしれません。