解体されるモダニズム建築と残り続けるエフェメラ

巨匠のモダニズム建築も解体される

日本を代表する建築家である 丹下健三 が設計した旧香川県立体育館、通称「船の体育館」が解体されることになったそうです。
1964年竣工。
戦後日本のモダニズム建築を象徴する建築のひとつであり、その独特な吊り構造から「船の体育館」と呼ばれてきた。

巨大な公共建築。
国家的プロジェクト。
建築史的価値。
文化的象徴。

そうしたものを背負った建築ですら、現代では維持が難しくなり、解体されていく。
このニュースを見ながら、私は不思議な感覚を覚えました。
それは、「エフェメラとは何なのか?」
という感覚が、逆転し始めていることです。

本当に短命なのは紙なのか

エフェメラ(Ephemera)とは、もともと「短命なもの」「一時的な印刷物」を意味する言葉です。

チケット。
広告。
ラベル。
包装紙。
ポスター。

本来は使い終われば捨てられる紙片たちです。
しかし、ヴィンテージラベルを大量に見続けていると、不思議なことに気づきます。
100年前の小さな紙片が、普通に残っている。

しかも、かなり綺麗な状態で。
もちろん、劣化はします。焼失もあります。水害もあります。
それでも、紙というものは意外なほど長寿です。
なぜなら、保存コストが極端に低いからです。

箱に入る。アルバムに収まる。
乾燥した場所に置ける。
つまり、小さい。
これが決定的に大きい。

建築は「存在するだけ」で維持する負担が大きい

一方で、建築は違います。
建築は巨大です。
放置できない。老朽化する。
耐震基準が変わる。空調や配管が壊れる。
固定資産税もかかる。

さらに公共建築になれば、

  • 行政判断
  • 利用率
  • 維持予算
  • 安全基準
  • 都市計画
  • 再開発

といった社会システム全体に接続され続ける必要がある。
つまり建築は、
「存在しているだけ」で社会との関係を維持し続けなければならないのです。
これは実は、とても不安定な存在です。

巨大建築のほうが“エフェメラ”なのかもしれない

私たちは普通、

  • 建築=長く残る
  • 紙=すぐ消える

と思っています。
しかし現実には、巨大建築のほうが先に消え、小さな紙片のほうが生き残ることがある。

ここで常識が揺らぎます。
本当に短命なのはどちらなのか。
むしろ堅固なはずの建築のほうが、社会や経済に強く依存した、巨大なエフェメラなのではないか。

そう思えてくるのです。

モダニズム建築は「未来を信じた時代」の象徴だった

そもそもモダニズム建築とは、
20世紀前半から世界的に広がった建築思想です。

鉄筋コンクリートや鉄骨を用い、合理性と機能性によって、
新しい社会をつくろうとした。

その背景には、「未来はもっと良くなる」
という近代の強い思想がありました。

ル・コルビュジエバウハウス に代表される思想は、日本にも大きな影響を与えます。
そして戦後日本では、丹下健三らによって、未来都市のような建築が次々につくられていった。

「船の体育館」もまた、その時代の象徴でした。

しかし皮肉なことに、未来を信じて建てられた巨大建築は、
その未来の中で維持できなくなっていく。

ここにもまた、エフェメラ的な感覚があります。

丹下健三の設計で有名な東京都庁舎は果たして生き残れるのでしょうか?

白川郷が残り、モダニズム建築が消える逆説

さらに面白いのは、古い木造集落が残り、
近代建築が消えていくことです。

例えば 白川郷 の合掌造り。
本来は、雪国で生活するための「生活の建築」でした。
豪華な未来建築ではありません。

しかし、地域全体で維持され、
観光価値を持ち、
修繕技術も継承され、
現在まで残っている。

一方で、
巨大なモダニズム建築は、維持費や法制度の問題によって解体されていく。
これは非常に不思議な逆転です。

なぜ人は、残したいと思い続けられないのか

では、なぜこうした建築は解体されてしまうのでしょうか。
もちろん、維持費や耐震基準、老朽化、行政判断など、現実的な理由は数多くあります。

しかし、それだけではない気もします。
建物が完成した当時、人々はそこに未来を見ていました。

新しい時代。
新しい都市。
新しい文化。

「これは残すべき建築だ」と思った人も、確かにいたはずです。
しかし時代が流れると、人は慣れてしまう。
最初は未来だったものが、やがて「古いもの」になる。

そして少しずつ、
「残したい」という感情そのものが薄れていく。
もちろん、これだけの希少な建築物ですから、解体に対し多くの反対意見があり、反対運動も起きました。
それでも、行政側には解体という選択を優先せざる得ない事情があるのでしょう。

しかし、こうした行政の背景には、「解体はやむを得ない」という空気が反対派より重い、
そういう多くの圧力もあるはずです。
つまり、もしかすると、本当にエフェメラなのは、建築でも紙でもなく、
人間の想いなのかもしれません。

どれほど強い熱狂も、
どれほど大きな理想も、
時間の中で揺らいでいく。
だから多くの建築は消えていく。

逆に言えば、小さな紙片が100年後まで残ることがあるのは、
誰かがその想いを、静かに持ち続けたからなのかもしれません。

エフェメラとは「消えるもの」ではなく、「揺らぐもの」なのかもしれない

エフェメラという言葉を使うと、私たちはつい、
「小さい」「儚い」「すぐ消える」というイメージを持ちます。

しかし実際には、
巨大であることのほうが、維持困難で、消えやすいこともある。

そしてさらに言えば、物質そのものよりも先に、
「残したいという気持ち」のほうが消えていく。

そう考えると、エフェメラとは単なる物質の問題ではなく、

人間の記憶や感情、
そして時代の熱量そのものなのかもしれません。

巨大なモダニズム建築も、
小さなヴィンテージラベルも、
結局は人間の想いによって残され、
人間の想いによって忘れられていく。

私たちは、永遠に残るものを作ろうとしているのではなく、

消えていく想いを、別の形に変えて残そうとしているだけなのかもしれません。

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