「インテリアアート」と呼ばれる分野のアートは、その目的が主に「装飾」にあるものが中心、かつ商業目的から「玉石混合」の状態のため、「本格的なアートとして制作された作品」であったとしてもアートとして評価されにくい、といった風潮があります。
日本のアート業界において、インテリアアートが低く評価されがちな背景には、「玉石混合」になってしまったいくつかの要因がありますので、その主な内容をまとめておきたいと思います。
最後に、安っぽいインテリア雑貨というイメージになってしまったインテリアアートという呼称を見直してみるという独自の提言もしてみました。
1. アートの「本質」としての評価基準
伝統的なアート業界では、アートの評価基準が「オリジナリティ」「メッセージ性」「創造性」に基づいていることが多いです。インテリアアートが批判される背景には、これらの基準を満たさないと見なされることがあるためです。
- オリジナリティと創造性の欠如
インテリアアートは「装飾的」であることが多く、独創的な思想や社会的なメッセージを伝えるものが少ないと見なされがちです。特に、商業的な目的で作られたアートは「アートとしての深み」が欠けていると評価されることが多いです。 - メッセージ性の欠如
アートは社会的な問題を反映したり、深い哲学的なテーマを扱うことが期待される場合が多いですが、インテリアアートは装飾性を重視するため、メッセージ性が弱いとされることがあります。アート業界では「メッセージがあるものこそが真のアート」と見なされる傾向が強いため、インテリアアートは評価されにくいのです。
2. 商業性と大量生産
インテリアアートが商業的な目的で作られることが多く、その結果として「アート」としての評価が低くなる場合があります。
- 大量生産可能性
インテリアアートはしばしば「複製」されることが多く、限られたオリジナル作品の価値が薄れてしまうことがあります。複製が容易で、特に安価に手に入るものは、アート業界における「真のアート」とは対極にあると見なされることがあるのです。 - 商業的な目的
インテリアアートはインテリアデザインの一部として販売されることが多く、芸術作品としての深い意義よりも装飾的な機能が重視されます。これにより、「芸術作品」としての評価が低くなることがあります。
3. アートのエリート主義
日本のアート業界には、長らく続いているエリート主義的な風潮があります。アートは「高尚な文化」として評価されるべきだという考え方が強く、商業的に広く流通するインテリアアートはその基準に合わないとされがちです。
- 高尚さとエリート性
アートは「生活空間の装飾」にとどまるべきではなく、知識人や芸術家が評価するような深遠なテーマや技術が求められるという価値観が存在します。
このような価値観の中では、インテリアアートはその「高尚さ」に欠けるとされ、低く評価されがちです。
4. インテリアアートの役割と位置づけ
インテリアアートはあくまで空間を彩るための「装飾品」としての側面が強く、芸術作品としての独立性や存在感が薄くなることが評価を低くする要因です。
- 空間の一部としての役割
インテリアアートは、空間を美しく飾ることが主目的であり、空間の一部として自然に溶け込むことが求められます。そのため、個々の作品が持つ独自の力強さやメッセージ性が薄くなり、評価の対象になりにくいといえます。
5. 価格と市場性
価格が安く、誰でも手に入れられるアートがインテリアとして使われる場合、アートの「価値」が低く見積もられることがあります。
- 安価な価格帯
インテリアアートは、比較的安価で大量に流通しているため、その価格が低いことが「価値の低さ」を印象づけます。アートとしての評価は、作品が高額であるほど高くなる傾向があり、価格帯が低いと、商業的に「大衆向け」であると見なされ、「低俗で低級なアート」、あるいは、「そもそもアートではない」、といった評価を受けます。
まとめ
インテリアアートが低く評価される背景には、商業性、複製性、メッセージ性の欠如、高尚さを求める文化的価値観、そして価格帯が影響しています。
日本のアート業界は、アートを「深い思想や創造性」を持つものとみなす傾向が強いため、インテリアアートがその基準に達しない場合、評価されにくいという背景があると思われます。
もちろん、「アート」への考え方も「多様性」を評価する時代となり、「インテリアアート」というカテゴリに分類されたからといって、必ずしも「アートとしての評価」がそれだけで決まるわけではない、という考え方がアート業界全体でも共有されるようになってきています。
「芸術は大衆、民衆のものであるべき」と主張した岡本太郎が再評価されたように、生活の中に気軽に飾れるアートも再評価されるべきです。
ただ、確かに、大量に複製してパネルにしただけの装飾的な作品で価格も安い、という「インテリアアート」という範疇の「商業製品的な作品」等は、「インテリア雑貨」という日常消耗品に「アート」というブランド的呼称をつけただけ、と言えるものが大半であるのも事実でしょう。
そうした「インテリア雑貨」的な「エセアート」と一括りにされたくない、という意識から、アート業界では「インテリアアート」という言葉への拒否感、嫌悪感が蔓延している、という部分もあると思われます。
こうした背景から「インテリアアート」という「玉石混合」的なカテゴリが、いつの間にか薄っぺらいイメージとして日本人の意識の中に埋め込まれてきたことは歴史的、文化的事実として受け止める必要はあります。
アンビエントアート!?
しかし、今や「生成AI」を使えば容易に「現代アート」風の画像も一瞬で作れる時代になり、ますます「アート」というワードの定義、使われ化が問われる時代になっており、新時代の「アート」という言葉の見直しが必要になってきている気がします。
もう一度、日本人的、和製英語的な「アート」という言葉の位置付けと細分化を行い、「インテリアアート」と呼ぶだけで嫌悪感を持たれるような古い昭和の感覚から、一歩先に進めて、日本人の何でもかんでも「アート」と呼んでしまう文化を前提にしつつも、「アート」の日本人的な今の時代の細分化をしていくような言葉の定義の見直しをしてもいいのかもしれません。
雑貨的アートと差別化するためにわざわざ「本格的なアート」という言い方をする必要がある現状ですが、たとえば「クリイエイティブ・ウォールアート」とか、「ウォールギャラリー・アート」、あるいは、「アンビエントアート」といった新しい呼び方も一つの方法ではないかと思いますが、いかがでしょうか。