インテリアアートが否定された系譜

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インテリアアートにみる「大衆アート」の意義

はじめに~玉石混合のインテリアアート

「インテリアアート」というのは、いわゆる俗称であり、正式なアート分野の分類カテゴリではないそうです。
しかし、便利な言葉なので、世間一般の共通言語としては、これほどポピュラーな分野はありません。
本当は「アート分類の分野」ではなく、その使い方のひとつという意味で使うべきなのですが、インテリアアートがアートとして評価されづらくなった理由があります。
それが、下記の大きな括りで分類した場合の②の雑貨的アート(敢えて、わかりやすくこの記事では「雑貨的」とつけています。)が多いからです。

①インテリア装飾として飾るのにも適している本格的なアート、あるいはそれを目的に作られた「作家によるアート」
②インテリア装飾として売るために大量複製で安価に作られた工業製品の雑貨的アート

②の雑貨的アートにおける「アート」というワードは製品を売るために「雑貨」と言ったのでは売れづらいため、製品のイメージブランド的に「アート」とつけているという側面も大きいはずです。
こうした背景から「いわゆるアート業界=アートの評論家、権威、作家」の多くから、「インテリアアートなんてアートではない」「資産性のないアートはアートではない、その代表がインテリアアートだ」みたいな論調で現在でも全否定されているケースが多く見られます。
「アートの多様性」「価値観の多様性」という考え方がかなり広まった現在においても、「全否定されていました」という過去形ではなく、今でも現在進行形で、こうした記事が検索上位に出てきます。
あまりアートに関心がない人が、こうした検索上位の記事をチラ見すれば、「ああ、インテリアアートってエセアートなのね」と思うのも無理はありません。(実際、私もそうでしたから)

さらに、わが日本のシニア世代では「インテリアアートの代表」として、「ラッセン」や「ヒロヤマガタ」といった、一世を風靡した作家の名前が思い浮かび、これらの絵画商法の記憶がよみがえるために「エセアート」というイメージに直結する人がさらに多いでしょう。
ラッセンやヒロヤマガタの作品は、①と②の両方の要素を併せ持っていたので、より複雑な「アートとは何か」という議論の対象となり、10年以上前に「ラッセンとは何だったのか?」のような書籍も発行されて話題を呼びました。

結局、インテリアアートは単に「装飾目的のアート」だけでなく、「現代アート」的な作家のメッセージが込められたアートもあるし、あるいは、その装飾性を高める「美を追求した技巧の優れた作品」もあるのですが、日本人のそれら玉石混合のアートも雑貨的アートもひっくるめてしまったところに問題があります。
つまり、日本人の「いい加減な言葉の文化(悪い意味で無く、鷹揚な文化として肯定的な意味です)」の、マイナス面として、「本格的アート」としての価値を評価されることなく否定されて、無視されてきた「インテリアアート」の系譜、というものがあるということです。
ただ、これは日本におけるラッセンやヒロヤマガタだけでなく、世界レベルでも、「インテリアアート的」なカテゴリに入る作家が否定されてきた、という歴史があり、この点は洋の東西を問わず、というところです。

以下で、この「インテリアアートが否定された系譜」についてまとめておきます。
各作家のリンク先も、作家の批判されながら再評価された過程などの記述に詳しい外部サイトをご紹介しています。


(以下、情報は生成AI「Chat GPT」を使用して構成していますので、正確性については保証できないことを予めお断りしておきます。)

インテリアアートの価値と否定の系譜

インテリアアートは、生活空間を飾る芸術としてしばしば軽視され、否定されることが多々ありました。
しかし、その否定の裏側には、文化的な偏見や芸術の定義をめぐる複雑な議論が存在します。
以下は、近代から現代において、時代的に否定されながらも後に再評価され、大衆的な支持を得た作家、
あるいは、未だに十分な再評価に至っていない作家等を取り上げ、インテリアアートが持つ価値とその未来を探ります。


否定された作家たち

アンリ・ルソー (Henri Rousseau)

背景: フランスの独学画家で、素朴派(ナイーヴアート)の代表的存在。幻想的で童話的な風景を描き、ジャングルを舞台にした作品が特に有名。
否定の理由: 正式な美術教育を受けていないことから、「稚拙な子供の絵」として酷評されました。
再評価の理由: 彼の独特の構図と想像力がピカソやアポリネールらに支持され、死後に芸術界で再評価されました。インテリアアートとしての装飾性も認められています。


ウィリアム・モリス (William Morris)

背景: アーツ・アンド・クラフツ運動を主導したイギリスのデザイナー。壁紙や家具のデザインを手がけ、「実用美」の概念を提唱。
否定の理由: 工芸品と見なされ、純粋な美術として評価されませんでした。
再評価の理由: 工業製品に美を与える先駆者として、インテリアデザインの分野で高い評価を得ています。


サルバドール・ダリ (Salvador Dalí)

背景: スペインのシュルレアリスムの代表者で、独創的な発想と表現力を持つ画家。「記憶の固執」など夢と現実の境界を超える作品が有名です。
否定の理由: 商業的活動が多く、「芸術の矮小化」と批判されました。また一時期、政治的思想が問題とされた時期もありました。
再評価の理由: 商業性をも芸術とみなす姿勢が現代アートの多様性を象徴するものとして認められています。


ノーマン・ロックウェル (Norman Rockwell)

背景: アメリカの日常生活を温かく描き、「土曜夕刊」の表紙イラストなどで親しまれた画家。
否定の理由: 大衆向けであることから、美術界では「イラストレーター」として軽視されました。
再評価の理由: 物語性と普遍性が評価され、家庭的な空間を彩るインテリアアートとして支持されています。


トーマス・キンケード (Thomas Kinkade)

背景: 「光の画家」として知られるアメリカの画家で、温かみのある風景画が特徴。
否定の理由: キッチュで商業的との批判を受けました。
再評価の理由: その作品が家庭的な癒しの空間を演出するものとして支持されています。


ジェフ・クーンズ (Jeff Koons)

背景: ポップアートの巨匠で、バルーンアートやキッチュなイメージを活用した作品が特徴。
否定の理由: 商業性と派手なスタイルが「浅薄」と批判されました。
再評価の理由: 大衆文化と高級芸術の境界を壊し、現代アートの象徴的存在となりました。


ジャクソン・ポロック (Jackson Pollock)

背景: アクションペインティングを創始した抽象表現主義の巨匠。
否定の理由: 無秩序で意味がないと当初は批判されました。
再評価の理由: その革新性が認められ、現代アートの象徴として評価されています。


マーク・ロスコ (Mark Rothko)

背景: 色彩を用いた抽象表現の巨匠で、深い精神性を持つ作品を制作しました。
否定の理由: 当初は「無機質で感情が欠けている」と批判されました。
再評価の理由: その作品が持つ深い精神性と空間的な影響力が評価されました。


アンドリュー・ワイエス (Andrew Wyeth)

背景: アメリカの日常的な風景や人物を静謐に描いた写実主義の画家。
否定の理由: モダニズム全盛期には「保守的で時代遅れ」と批判されました。
再評価の理由: 詩的で内省的な作品が空間デザインに静謐さを与えるとして評価されています。


マックスフィールド・パリッシュ (Maxfield Parrish)

背景: 鮮やかな青を用いた幻想的な風景画で知られるイラストレーター兼画家。
否定の理由: 商業的なポスターやイラストとして軽視されました。
再評価の理由: その夢幻的な色彩がインテリア空間に詩的な雰囲気を与えるとして評価されています。


エドワード・ホッパー (Edward Hopper)

背景: 孤独感や静寂を描いたアメリカの画家で、シンプルな構図が特徴。
否定の理由: 初期には単純すぎると批判されました。
再評価の理由: 空間的な広がりと深みがインテリアデザインで注目されています。


タマラ・ド・レンピッカ (Tamara de Lempicka)

背景: アール・デコ時代を象徴する女性画家で、洗練されたポートレートを制作。
否定の理由: 「商業的で装飾的」と批判されました。
再評価の理由: エレガントなスタイルがモダンインテリアに適合し、注目されています。


グスタフ・クリムト (Gustav Klimt)

背景: 金箔を多用した装飾的な作品で知られるアール・ヌーヴォーの画家。
否定の理由: 商業的で軽薄と批判されました。
再評価の理由: 独自の技法が空間に華やかさを与えるアートとして評価されています。


ジョージア・オキーフ (Georgia O’Keeffe)

背景: 花や自然をモチーフにした作品を描いた女性画家で、大胆なスケールが特徴。
否定の理由: 女性的で装飾的という偏見がありました。
再評価の理由: 空間を活性化する力が認められ、モダンインテリアで活用されています。


ポール・クレー (Paul Klee)

背景: 抽象画や色彩実験を得意とする画家で、遊び心のある作品が特徴。
否定の理由: 遊び心が強すぎると軽視されました。
再評価の理由: 色彩感覚が空間に活力を与えるアートとして評価されています。


アメデオ・モディリアーニ (Amedeo Modigliani)

背景: 優美なラインで描かれた肖像画が特徴のイタリアの画家。
否定の理由: 単純化された形状が装飾的すぎると見なされました。
再評価の理由: 空間にエレガンスをもたらすものとして評価されています。


アルフォンス・ミュシャ (Alphonse Mucha)

背景: アール・ヌーヴォーを象徴するポスターアートの巨匠。
否定の理由: 商業デザインに分類され、美術としては軽視されました。
再評価の理由: 華やかで優雅なデザインがインテリアアートとして再評価されています。


サム・フランシス (Sam Francis)

背景: 明るい色彩と抽象的な構図で知られるアメリカの画家。
否定の理由: 軽い装飾として扱われがちでした。
再評価の理由: 空間に活力を与えるものとして、モダンインテリアで支持されています。

以上の作家たちは、取引額の多寡とアートとしての評価は同一ではありませんが、「再評価された」という目安として言えば、非常に高額で取引された実績があります。


未だに再評価とまではいかない象徴的作家とその背景


上記の作家は、現代において、ある程度の再評価がなされた作家の事例ですが、未だに評価上の議論の対象となっているインテリアアート系の作家の代表的な二人の事例をあげておきます。


クリスチャン・リース・ラッセン (Christian Riese Lassen)

背景: 海洋をテーマにした幻想的なアートで知られ、イルカや珊瑚礁をモチーフにした鮮やかな色彩の作品が特徴的。一般家庭や商業空間で広く人気を得ました。
否定の理由: ラッセンの作品は大衆的な人気を得ましたが、アートの専門家や批評家からは「商業主義の象徴」として批判されています。
彼の絵画が大量生産されること、その絵画商法的な売り方の問題、そしてその装飾性が「深い芸術性に欠ける」と見なされることが理由です。
また、多くの専門家は、ラッセンの作品が鑑賞者に直接的な感情的影響を与える一方で、深い思索や解釈を求める要素が欠如していると指摘しています。
また、アート作家や評論家から「評価性の議論」を避けるためか、単に「嫌い」という言い方で否定されることが多いのも特徴です。
最初は否定されて、のちに再評価された作家と違い、現時点では、まだまだ否定派がメインの作家としての象徴でもあります。
再評価の可能性: 現時点では広範な再評価というまでには至っておらず、むしろ商業的価値に偏重しているとの見方が続いています。
ラッセンは、特に日本において「一時期、大衆に絶大な人気があった」という作家であり、この現象をどうとらえるべきかという評価上の議論は未だに続いています。
「ラッセンとは何だったのか?」という書籍が、詳しくこの議論を深めてくれています。


ヒロ・ヤマガタ (Hiro Yamagata)

背景: 1980年代から1990年代にかけて人気を博した日本の画家。色彩豊かで夢のような都市風景や祭りの情景を描いた作品で、ポストカードやポスター、カレンダーなどを通じて広く知られました。
否定の理由: ヒロヤマガタもまた、商業的成功の反面、「ポップであるがゆえに芸術的重厚さが欠ける」として批判されることが多いです。
その作品は鮮やかな色彩と詳細な描写で人気を博しましたが、一部の批評家は「装飾以上の価値を持たない」との厳しい意見を持っています。
アート評論の業界の中で「ヒロ・ヤマガタ問題」という言葉が使われていることでも有名です。

再評価の可能性: 美術史的な観点ではまだ広範な再評価の動きは見られず、現在も大衆的な商業アートの範疇に位置づけられています。
ヒロ・ヤマガタ自身も当時の自分の作品を否定的に語っている部分もありますが、なぜこれほど人気を博したのか、という「大衆アート」という視点からは、ラッセンと同様に議論の余地がある作家と言えます。


アートの専門家から嫌われる理由と問題点

これらの作家たちが専門家や批評家から嫌われる理由の多くは、以下のような問題点に集約されます:

  1. 商業主義の強調
    大量生産やライセンスビジネスにより、作品が商品化されすぎていると見なされる。
  2. 芸術性の欠如
    装飾性が強調される一方で、深い哲学的・社会的メッセージが欠如している。
  3. 解釈の余地の狭さ
    作品が観る者に直接的なメッセージを与えすぎ、解釈の自由が少ないとされる。
  4. 大衆性と高尚さの対立
    大衆に親しまれる一方で、美術館やアート市場での評価が低く、「高尚なアート」の基準を満たさないとされる。

「ヤンキー好み」のインテリアアートの未来と価値

これらの批判にもかかわらず、インテリアアートが持つ「意義」(資産的な意味を持つ「価値」というワードよりも「意義です」)は無視できません。
ラッセンやヤマガタ等の作品は、特定の時代において絶大なる人気を博し一世を風靡したことは事実です。
これを全否定することは、この時代の大衆のセンスをも全否定しかねない、といった課題も残っていますが、一方で、インテリアアート批評においてはこうした「単にアイドルの写真を飾るがごとくに飾る層」を称して「ヤンキー的」と評する言葉も生まれています。

しかし、岡本太郎のように「アートは大衆のためにこそあるべき」と主張する作家も多いこと、また、「ヤンキー的」視点での単純な「好きか嫌いか」といった大衆の個々人の自由なセンスへの許容等、その意義を議論していく余地が残されています。
現在では、生成AIで、ラッセンやヒロヤマガタ的なCGっぽい、スーパーリアリズム的作画やイラスト的作画が容易に生成される時代になりました。
しかし、逆に、そうした時代の中で、人の手によって生み出された作品として「ヤンキー好み」なラッセンやヒロヤマガタ等の作家までもが再評価される日が来るのかどうか、それもまた興味深いことではあります。

 

 


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